阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

令和の平和も法と共に 親友対談 半藤一利さん×中西進さん     2019年8月28日 東京新聞朝刊

2021年01月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2019年8月28日 東京新聞朝刊  新元号「令和」の考案者とされる国文学者の中西進さん(90)=写真(右)=と、昭和史ノンフィクションの第一人者で作家の半藤一利さん(89)=同(左)=が
戦後七十四年のこの夏、「令和の平和」をテーマに対談した。二人は東京大文学部国文学科の同級生。
それぞれの戦争体験に始まり、青春時代、新元号「令和」などを語り合い、平和憲法の大切さを訴えた。  対談は終戦の日の翌十六日に、東京・内幸町の東京新聞で行われた。
 半藤さんは昭和二十(一九四五)年三月十日の東京大空襲で、九死に一生を得た。中西さんは勤労動員先の東京・高田馬場の工場で空襲で亡くなった人々の遺体を目撃するなどした。  
こうした戦争体験をベースに、二人は憲法九条の平和主義(戦争放棄)の大切さに言及。中西さんは、憲法と聖徳太子の十七条憲法との類似を指摘し、憲法の平和主義は「深い深い身体的英知」だと話した。
半藤さんは憲法が発表された時の喜びを振り返り、「これほど良い憲法はないと今もって思う」と語った。  
最後に令和に語り残すメッセージとして、半藤さんは「過去を顧み、深い反省の上に立って、惨禍を繰り返さないことが大事」、中西さんは「争わないという肉体感覚が大事。それをつくるべきだ」と話した。

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2019年8月28日掲載

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78年前の今日12月8日、日本はアメリカ、イギリスなど連合国に宣戦布告して戦争を始めた。 敗戦までの4年間に軍人軍属戦没者は230万人。民間人を入れると310万人。

2021年01月13日 | SNS・既存メディアからの引用記事

「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。帝国陸海軍は、本8日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。今朝、大本営陸海軍部からこのように発表されました。」

一部引用・・・「戦没者230万人」という数字を、私たちはどのように読み解けばいいのだろうか。昭和史の著作が多い「歴史探偵」こと作家の半藤一利さん(84)に聞いた。【聞き手・高橋昌紀/デジタル報道センター】 <データで見る太平洋戦争>230万人はどのように戦死したのか?

太平洋戦争戦-戦没者の60%強140万人は餓死であった。 日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人とされている。 外地での戦没、一般邦人30万人、内地での戦災死者50万人、計310万人となっている。 現在では、日本軍人の戦没者230万人というのが、政府が明らかにしている概数である。引用元。

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2019年12月8日掲載

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