阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

「一所懸命に漕(こ)いできた〜“歴史探偵”半藤一利の遺言〜」 ETV特集 明日 午後11時から放送

2021年01月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

歴史にこそ現代を生きるヒントがあり、未来につながる道がある。

昭和の軍人や官僚一人一人に取材して、「日本のいちばん長い日」「昭和史」がベストセラーとなった半藤一利さん。

いつもニコニコと軽妙な語り口で、歴史を照らす語り部として愛された。自らの原点である東京大空襲の体験や

司馬遼太郎との秘話を語る秘蔵映像、晩年まで共に活動した“歴史探偵団”メンバーのインタビューなどから、半藤さんが遺したメッセージに迫る。

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 諏訪湖の「御神渡り」を578年観測し記録してきた「八剱神社」の宮司の日課          「君の名は」聖地に世界が注目する理由  長野日報

2021年01月29日 | 諏訪便り
 
立石公園から見た結氷した諏訪湖

日本地図を見ると、日本列島の真ん中にぽっかりと穴が開いている。これが信州最大の湖、諏訪湖。映画「君の名は。」の聖地の一つで、結氷した氷が山脈状に盛り上がる「御神渡り(おみわたり)」で知られている。今季の諏訪湖はすでに全面結氷し、3年ぶりの御神渡りの出現へ地元の期待は高まるばかり。ただ、熱いまなざしを向けるのは地元民だけではない。気候変動を究める世界の学者がこの湖に熱い目を注いでいる。(長野日報・野村知秀)

これぞ神の力?轟音とともにせり上がる

御神渡りの名前の由来は「神様が渡った跡」との伝承からだ。

肌を刺すような冷気漂う冬の朝「ゴゴゴゴゴォー」という轟音(ごうおん)とともに氷が割れ、せり上がる。湖上を見ると、そそり立つ氷の山脈。とても人間の所業とは思えない現象を昔の人々は、「これは神の力に違いない」と考えた。

御神渡りの認定は、諏訪市にある八剱神社によって行われる。

宮坂清宮司(70)と氏子総代たちは小寒の1月5日から毎朝欠かさず諏訪湖を訪れ、観察を続けている。その様子をメディア各社が毎朝追いかけ、結氷面の広がりや氷の厚さに一喜一憂する。

2021年1月半ばの強烈寒波で諏訪湖は一気に凍り、13日に宮坂宮司は「全面結氷」を認定した。凍りついた諏訪湖を見ながら、「やった。やってくれました」。昭和、平成、令和の御神渡りを見てきた宮坂宮司は、3年ぶりの全面結氷を無邪気に喜んだ。

全面結氷後、零下10度を下回る日が3日ほど続くと氷はせり上がる。

世界がうなる観察記録、なんと578年

世界の学者が関心を寄せているのは神社の歴代の宮司、総代たちが書き残した結氷、御神渡り出現の記録。その歴史は室町時代にまでさかのぼる。

室町時代の1443(嘉吉3)年から578年のデータが途切れることなく続いている。御神渡りができなかった年も「明けの海」として記録してきたため、凍った年、凍らなかった年が分かる。かつては時の幕府に報告され、今は宮内庁と気象庁に結果が伝わる。

日本気象学の草分けで「お天気博士」と親しまれた気象学者の藤原咲平(1884~1950)は、御神渡りの観察データを「世界に比類なき貴重文書」と高く評価した。近代的な観測が始まる前の気候については国内はおろか、世界でもあまり手掛かりがないためだ。

米国ウィスコンシン大学のジョン・マグナソン名誉教授は宮坂宮司と情報交換しながら御神渡りのデータと気候変動について研究している。英国の権威ある科学雑誌「ネイチャー」をはじめ学術誌などでも紹介された。世界屈指の大手通信社、ロイターも特集を組んだ。「LakeSuwa」「omiwatari」は世界を駆け巡る。

「八剱神社の宮司たるもの御神渡りのすべてを知っていなければ」と宮坂宮司は古文書読解のスキルを身に付けた。

2020年にはオランダやカナダの研究者も宮坂宮司に話を聞こうと諏訪にやって来た。578年の記録を読み込んだ宮坂宮司は、いわば生き字引。世界中から研究者やメディアが足を運んでいる。

室町時代から続く御神渡りの記録

“異常”から“普通”になった「明けの海」

全面結氷する国内の湖で諏訪湖は最も南に位置している。欧米で結氷する湖の南限も、諏訪湖よりかなり北。諏訪湖は地球温暖化の影響が「凍らない」という形で目に見えやすい湖でもある。

578年間の記録をひも解いてみよう。

御神渡りが出現しない年を「明けの海」と呼ぶ。きりがいいように1451年から50年ごとに区切って「明けの海」だった回数を見ていくことにする。

1950年まで、「明けの海」だったのは多くが数回。1551~1700年の150年間ではたった2回だった。諏訪湖は凍ることが当たり前。「明けの海」が異常だったのだ。

「冬に諏訪湖が全面結氷しないこと、御神渡りができないことがどれほど珍しいことであったか」と宮坂宮司は話す。

ところが1951(昭和26)年からはがらりと変わる。2000(平成12)年までの50年間で「明けの海」は22回。2001(平成13)年以降はさらに増え、2020(令和2)年までの20年間で13回を記録した。21世紀に入ってからは御神渡りができる方が珍しいのだ。

人類に警鐘を鳴らす冬の諏訪湖

世界気象機関(WMO)は今月14日、2020年の世界の平均気温が過去最高水準だったと公表した。気温の上昇は、米・カリフォルニア州やオーストラリアなど世界各地で大規模な山火事や干ばつなど深刻な問題を引き起こした。

気象庁によると、諏訪の昨年の平均気温は1945(昭和20)年の統計開始以来2番目に高い12.2度。45年の平均気温は9.1度で、その後も10度前後が続いたあと、80年代から11度台が目立ち、2018(平成30)年からは3年連続で12度台。戦後75年で気温は2度ほど上がったことになる。

世界の平均気温は約200年前の産業革命から1.2度上がっているが、諏訪はそれを上回るスピードだ。

諏訪の人々が冬の諏訪湖に異常を感じるのは御神渡りだけではない。

戦前、冬の諏訪湖には軍の飛行機が離着陸したり、戦車が走ったりしたことがある。それだけ湖面を分厚い氷が覆っていたのだ。「冬は湖上でスケートをした」「氷の上を歩いて対岸まで渡った」と懐かしむ地元の年配者は多い。

「諏訪湖が凍らなくなり、御神渡りができないのは、自然が人類に警鐘を鳴らしているからではないか」。2016(平成28)年、宮坂宮司とマグナソン名誉教授はこのような一致した見解を示した。

大正2年の御神渡り。人の背丈よりも高い氷のせり上がり

御神渡りは恋の道&親子愛の道

昔の人々が神の力と恐れ敬った御神渡りには、ロマンチックな伝説もある。

諏訪市の諏訪大社上社にいる男神「建御名方神(タケミナカタノカミ)」が諏訪湖の対岸、下諏訪町にある下社の女神「八坂刀売神(ヤサカトメノカミ)」に会いに行った跡という解釈だ。

御神渡りを正式に認定する神事「拝観式」では「一之御渡」「二之御渡」「佐久之御渡」と名付けた3本の氷の筋を見定める。その上で、過去の記録と照らし合わせてその年の気候や作物の豊凶、世相の吉凶を占っていく。

氷の筋は湖内の水の流れや湖底から噴き出るガス、温泉の影響から毎回おおむね同じような場所にできる。

上社と下社をつなぐ「一」、「二」のほかに「佐久之御渡」があるのは、建御名方神の子で長野県佐久地方の開拓神とされる「興波岐命(オキハギノミコト)」が父神に会いに行ったため。父子の対面も御神渡りでかなうのだ。

諏訪湖の氷の厚さを確認する宮坂宮司㊥

「君の名は。」聖地巡礼=御神渡りの道

諏訪湖を一望できる諏訪市の立石公園は、新海誠監督の大ヒットアニメ映画「君の名は。」の聖地として国内外で話題となった。映画の中でヒロインの住む町と湖の様子が諏訪の街と諏訪湖にそっくりだったのだ。

新海監督は長野県南佐久郡小海町出身で、佐久市内の高校に通った。その佐久市にある新海三社神社は新海監督と同じ名前を持つだけではなく、「君の名は。」の聖地であり、ヒロインが口嚙み酒を奉納するシーンのモデルとされる。

実はこの神社には建御名方神の子、興波岐命が祭られている。「佐久之御渡」が結ぶ父子の出会いの道は、新海三社神社の方向から諏訪湖に延びた道でもある。それはそのまま「君の名は。」の聖地巡礼コースにもなっている。

結氷した諏訪湖上で湖面を観察する神社関係者

昨季は雨降り続き、漁業被害に新型コロナ

諏訪湖ではきょうも早朝から宮坂宮司や氏子総代たちが足を運び、氷の状態を観察している。2020年は湖上で氷を見ること自体がまれで、雨降りの中、傘をさして観察をしたことすらあった。

総代の代表「大総代」を務める宮坂平馬さん(67)は「冬なのにまったく凍らないどころか雨が何度も降る諏訪湖はどこか不吉な感じがした」と振り返る。

その年、諏訪湖の漁業資源であるワカサギは不漁だった。湖にふたをする氷がなかったため、鳥たちに狙われ続けてワカサギが数を減らしたからだ。不安が現実化するように、じわじわと新型コロナウイルスも広がっていった。

宮坂大総代は今年の状況について「前回の御神渡りが出現した2018(平成30)年と同じような気温の変化をたどっている」と期待を寄せる。

2018年の御神渡りは、全面結氷した諏訪湖の氷がいったん解け、そのあとの寒気で再び全面結氷した。節分直前の2月2日になって御神渡り出現を確認、5日に「拝観式」を行った。

新型コロナの緊急事態宣言期間は現在のところ2月7日まで。そのあたりで感染が落ち着き、晴れやかな気持ちで拝観式ができますようにと諏訪の神様に願うばかりだ。

氷の厚さを調べるため氷斧(こおりよき)と呼ばれる斧で氷を割る総代

取材を終えて

諏訪湖の面積13.3平方キロメートル、東京ドーム約283個分あります。そんな大きな湖でさえも凍ってしまう冬の諏訪。信州は「寒いんだから当たり前でしょ」って思うかもしれません。でも今、その当たり前が当たり前じゃなくなりつつあるんです。

御神渡りができる条件は寒さだけではありません。雪が少ない地域であることや1日の寒暖の差が大きいことなど様々な条件がそろうと出現します。逆を言うと、それだけ環境の変化に敏感な現象なのです。

だからこそ、条件がそろって出現した御神渡りを写真や映像ではなく、諏訪湖岸に立って直接その目で肌で見て感じてほしいのです。湖の四方を囲む山々をバックにきんと冷えた空気と太陽の暖かさを感じながら見る御神渡りはとっても美しいです。この氷の山脈はいったいどこまで続くのかと終点を目で追いたくなります。

2018年に出現した御神渡りに感謝の気持ちをささげる氏子総代たち

もっと楽しみたいのなら早朝午前6時30分、諏訪市豊田地区を流れる舟渡川という川の河口に足を運んでみてください。大の大人が毎朝、毎朝、湖面を見て、氷を見て真剣に議論したり、冗談を言い合ったりしています。

「新聞見てきました」なんて言いながらちょっと声を掛けると、気さくに応じてくれます。例年、小寒の日から毎朝います。

雪の日も、風が強くても、今では珍しくなくなりつつある雨が降った日だったとしても。たとえ氷がなくってもあきらめきれずに毎朝、同じ時間、同じ場所に大人たちはいます。

地球温暖化は御神渡りにドラマをもたらしたように思います。

戦前までは冬が来たら当たり前のように凍って御神渡りが出現していましたが、今は凍っては解け、また凍り、まさかの雨であきらめかけたところに強い寒気で御神渡り出現。それを我が事のように喜ぶ神社関係者、地域住民(とメディア各社)。その輪に入り、一緒に一喜一憂しませんか? 地元のホテルが今年、見学ツアーを始めました。もしかしたら現代の御神渡りは578年の歴史の中で最も楽しい御神渡りかもしれません。

2018年に出現した御神渡りと認定する神事「拝観式」

環境問題を取り上げ、警鐘を鳴らし、人々に行動変容を迫る記事はたくさんあります。でもやっぱりどこか響かない。分かっていてもどこか対岸の火事のような気がしてしまいます。諏訪湖の氷がなんだか気になる。美しい冬の諏訪湖の御神渡りがまた見たい。その欲求が環境に優しい行動を選択する理由になればうれしく思います。

「うちの地元にはね、御神渡りができる不思議な湖があるんだよ」。そう語れる地元民を一人でも増やすことがこの地域の新聞の記者の役目かなと感じています。

記事引用元。

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八剱神社(クリック)は阿智胡地亭の本貫の地の産土神(うぶすなかみ)です。つまり小和田地区の氏神さまです。
八剱神社は諏訪大社の摂社ですが、来年は諏訪大社は7年に一度の御柱祭の年に当たります。


八剣神社は諏訪市小和田(こわた)にあります。諏訪が豊臣軍に占領されていたとき、秀吉の命を受けて配下の武将「日根野高吉」が

1592年文禄元年)から1598年慶長3年)にかけて諏訪湖の中にあった「高島」という島に城を築きました。その城が高島城です。

八剣神社は高島の島内にあった島民の氏神ですが、島民が高島から現在の小和田の地に移された時、神社もともに移設されました。 

この立ち退きのとき、島民は日根野氏と巧みな交渉を行い、
諏訪湖全域の漁業権と、新たに広大な農地を獲得しました。我が家の先祖はこの半農半漁の島民の一人だと聞きます。八剣神社はまた、
古来より諏訪大社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖の冬の自然現象“御神渡”を検定し、諏訪大社に出来を報告する役割を担ってきました。
小和田に移った住民は、移住以来、藩主(日根野氏が他に移ったあと、諏訪氏が戻り、明治のはじめまで諏訪氏が殿様だった)の支配を受けず、
行政は住民の自治によって行われました。諏訪湖から湧く温泉を引いた共同浴場で、裸の住人たちが侃々諤々論議を戦わせ、祭の拠出金や
揉め事など自分たちで全てを決めていったそうです。
 私も小学生のころ、夏休みに諏訪に行ったとき、まだ使われていた大きな共同風呂にイトコたちと入った楽しい思い出があります。

八剱神社の由緒  Wikipediaから部分引用。
 当社は元々、諏訪湖中高島の里に鎮座していたが、豊臣秀吉の高島城築城に際し、現在地に遷座した。江戸時代には高島藩諏訪家が居城鎮護の神として崇敬し、
明治以降は小和田村の産土神として庶民からの信仰を集め現在に至る。
 諏訪湖御渡神事[編集]
当社の特殊神事として、御渡神事(みわたりしんじ)がある。「御渡り拝観の神事」として一般に知られているこの神事は、当社の神職によって行われる。(御神渡も参照のこと)
諏訪湖で御渡が観測されると、当社では臨時の総代会を開き、拝観式の日を決める。その後、宮司以下神職、および氏子総代は、自宅の門戸に注連縄を張り、
精進潔斎に入る。拝観式当日は、まず社殿で修祓を行い、諏訪湖へ向かう。現地では湖周を周り、一之御渡・二之御渡・佐久之御渡を拝観して下座と上座の
湖岸地点の検分を行なう。そして、社殿へ戻り、御渡の状況を祭神へ報告する「奉告祭」が行われる。引き続き、その状況により当年の農作物の作柄、
世の中の吉凶、気候等の年占が行われる。御渡の状況と年占の結果は「注進状」に纏められ、後日、宮司と氏子総代が諏訪大社上社へ出向いて「御渡注進式」を行い、
神前に捧げられる。これを受けて諏訪大社は、この内容を宮内庁と気象庁へ報告する恒例となっている。(かつては幕府に奉告されていた)
直近では2013年にこの神事が行われ、1月22日御渡を観測・臨時総代会、1月25日拝観式、2月17日注進式の日程で行われた。
なお、「奉告祭」と「注進式」は御渡の観測されない年でも行われ、「御渡は無かった」旨の報告がなされる。
特に、御渡の無かった年の諏訪湖は「明けの海」と呼ばれる。

上の写真は20年以上前、法事で諏訪へ帰ったときに写したものです。この神社には,
甲斐の武田軍団が諏訪を占領したときに武田兵が書いた落書きが,そのまま残っているそうです。
 
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