阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった後の [ 2011年08月16日(火)のブログ ] から    「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年09月15日 | 東日本大震災ブログ
2011年08月16日(火)
 
児玉教授 官邸で首相らにレクチャー
 

放射性物質:菅首相、除染の専門家呼び2時間議論
毎日新聞 2011年8月15日 20時24分(最終更新 8月15日 21時44分)

菅直人首相は15日、東京電力福島第1原発事故で飛散した放射性物質の除染に関し意見を聞くため、東大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦教授らと官邸で会った。

児玉氏は「汚染の程度を全部明らかにし、住民中心で除染計画を考えないといけない」などと提言した。

 福島県南相馬市で除染活動をしている児玉氏は、7月27日の衆院厚生労働委員会に参考人として出席し、

「7万人が自宅を離れてさまよっている時に国会は一体何をやっているのか」と国の対応を批判し反響を呼んだ。

 首相は、政府の除染対応が縦割りになっているとの意識を持っており、児玉氏を呼んだのは首相の強い意向。

会談は約2時間続き、細野豪志原発事故担当相や松下忠洋副経済産業相らが同席した。【中井正裕】

放射線:「除染急げ」 東京大アイソトープ総合センター長
毎日新聞 2011年8月7日 21時54分(最終更新 8月7日 22時45分)

「7万人が自宅を離れてさまよっている時に、国会は一体何をやっているのですか!」。

東京大アイソトープ総合センター長の児玉龍彦さん(58)が7月下旬、衆議院厚生労働委員会で国の放射線対策を厳しく批判したことが反響を呼んでいる。

がん治療薬開発のかたわら、「行動する研究者」として福島県南相馬市で除染活動を続ける児玉さんに、政府がなすべきことを聞いた。【聞き手・青野由利論説委員】

 --今回の汚染はこれまでの考え方では対応できないと指摘していましたね。

 ◆私たちの推計では、福島第1原発からの放射性物質の放出量はウランに換算して広島原爆20個分に上ります。

しかも、原爆に比べて放射線の減り方が遅い。少量の汚染ならその場の線量を考えればいい。でも、総量が膨大な場合、粒子の拡散を考える必要があります。

これは「非線形」という難しい科学になり、予測がつかない場所で濃縮が起きる。だから、稲わらによる牛肉のセシウム汚染や、お茶、腐葉土の汚染といった問題が次々出てくる。

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泊3号機 高橋はるみ(経済産業省出身)知事はGO。
 

道議会どう判断 泊3号機 知事きょう容認
<北海道新聞8月16日朝刊掲載>

 道議会は16日午後、北海道電力泊原発(後志管内泊村)3号機の営業運転再開の是非を審議するため、産炭地域振興・エネルギー問題調査特別委員会を開く。

高橋はるみ知事は運転再開を容認する考えを表明する見通しで、知事の判断に対し、議会側がどのような態度を示すかが焦点となる。

 海江田万里経済産業相は、道の判断が示されるまで、営業運転再開を認める検査終了証の交付を見合わせており、知事は地元としての意見集約を急ぐ考えを示している。

 道政与党で最大会派の自民党・道民会議は15日、党道連と合同の会合を開いて対応を協議。会派内には、冬の電力確保に不安が生じるとして、

3号機の運転停止に否定的な声が強いが、「拙速に判断を求めるのはおかしい」(ベテラン道議)との異論も出ており、知事の容認方針を会派の総意として支持するか不透明な部分も残る。

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政治家を判断する物差しはたった一つ  既得権者と戦うか否か
 

朝日新聞「3面」の「夏、言いたい」欄:
2011年8月13日

経済産業省 古賀茂明大臣官房付 インタビューから。

――「日本中枢の崩壊」を出版しました。「中枢」に何が起きているのですか。

 民主党政権が政治主導に失敗し、政治が大きな方向性を決め、官僚がスピーディーに実行するという役割分担が機能しなくなっている。

東日本大震災という前例のない大災害に対応するには、新しい政策を考える創造性と、そのリスクに責任を負う覚悟が必要だが、官僚には両方ともできない。


政府はいろいろな会議をつくって規制改革の特区をつくるなどと提言しているが、そんなことは3月に分かっている。今は実施に移っていないといけない時期だ。

 バス会社に例えると、政治家は経営者、官僚は運転手


自民党時代はバスの運転手に運転を任せっきり。順調に運行しているように見えても全体の路線網に不備があり、いろんな場所で人々が置き去りになった。

民主党政権に代わって「オレたちが乗る」とバスの運転を始めたが、バスの運転なんて初めてだから、いろんな所で事故を起こして混乱してしまっている。

運転は官僚に任せ、大臣は路線図の書き換えを行うという役割分担の変更が必要だ。

 ――民主党は、なぜ改革に失敗したのでしょうか。

 大改革をしようと思えば、官僚の抵抗は当然予想できる。それなのに官僚と戦うための優秀なスタッフをそろえず、体制を整えなかった。

民主党の首相には本当にやりたいことがなかったのではないか。次の首相には「自分のやりたいことをはっきりさせてから首相になってください」と言いたい。

 ――「大増税すれば日本経済は奈落の底へ落ちていく」とも警告しています。

 日本の財政破綻(はたん)が近いと言われているが、役人からは消費税増税という答えしか出てこない。

だけど44兆円もの歳入不足を埋めるには消費税を25%にまで上げることが必要。どう考えても消費増税で財政再建なんてあり得ない。

 必要なのは将来、若者が稼いで税金を払える経済の仕組みにする成長戦略だ。

民主党も自民党も成長分野として農業、医療、再生可能エネルギーを挙げているが、農業にも病院経営にも株式会社は自由に参入できない。

電力会社も地域独占だ。優秀な企業が活躍できる仕組みをつくるには、農協や農水省、医師会や厚労省など非常に強力な組織と戦わなければいけない。

消費増税をするのに戦う相手は一番弱い庶民だ。

本当に戦うべき相手は既得権にしがみつき成長を阻害している人たち。そこと戦える政治家こそ責任ある政治家、責任政党だ。

 ――震災復興の具体策は。

 農業や漁業の規制改革は重要だ。宮城県の村井嘉浩知事が漁業への企業の参入を認めてほしいと言っているが、外資でも入れるくらいにした方がいい。

例えば海外の漁業会社を連れてきて、福島県沖で取れた魚は、放射能検査をした上で欧州連合(EU)市場に持って行く。EUで売れれば日本でも売れる。

漁船を失った日本の漁業者を雇うことも可能になるのではないか。

これからの日本の成長を考えれば、外国の企業も来てくれるような国にしなければいけない。

 ――日本全体も変わらなければいけない。

 本当に守らなくてはならない人が手厚く保護される仕組みが大事だ。既得権を壊していく時、安全網がないままだと抵抗が大きい。

高齢者だったら金持ちでも保護するような国はほかにない。「本当に気の毒な人だけを助けるだけにしてくれ」と声を上げなければいけない。

選挙の時だけではなく、ネットなどを利用して普段から政治家に声を届けないと大変なことになると、若い人たちには言いたい。(聞き手・今村尚徳)

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昨日読んだネット記事 8月16日版

〇「若い人たちの被曝を肩代わりしたい」500人のシニア部隊が原発事故収束に挑む  こちら

〇人間は放射線を浴びてはいけない生き物なのです  こちら

〇韓国に元気がありません  こちら

〇米国MITの独創・協創・競創の風土  こちら

〇放射能被害に冷淡な政府をあてにせず独自に動く市民――60人の親子が関東から初の“集団疎開  こちら

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今日の気になるネット情報 |
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全国戦没者追悼式における議長追悼の辞
 
 天皇皇后両陛下のご臨席をいただき、全国戦没者追悼式が挙行されるにあたり、謹んで追悼の言葉を申し述べます。

 二十世紀の中葉、昭和の時代、遠く太平洋の島々と海原で、アジアやシベリアの山野で、そして沖縄をはじめ国内の各地で、戦場に倒れ、戦火に追われ、
 
三百万余りの同胞が亡くなられた悲しみの大きさには、いまなお胸のつぶれる思いがいたします。
 
国の内外すべての戦禍に倒れた方々のみたまに衷心より哀悼の誠を捧げますとともに、最愛の肉親を失い、苦難の戦後を生き抜いてこられたご遺族のみなさまに、深くお見舞い申し上げます。

 真夏の太陽が照りつけ、セミがしきりと鳴いて、あの戦争が終わった日から六十六年たった本年三月十一日、わが国は再び大きな惨禍に見舞われました。
 
地震と津波に襲われた東日本の海岸の街が一瞬にしてがれきの山と化した光景は、あの大戦がもたらした空襲と焼け野原をほうふつとさせ、
 
さらには原爆投下のヒロシマナガサキをも思い起こさせるものでした。家を失い、家族を津波にさらわれた人々の悲しみは、かつての戦争の悲しみと変わるところはありません。

 戦争にしろ、天災にしろ、いま生きている私たちのなすべきことは、「記憶を持ち続ける」ということです。

 歴史にしっかり真正面から向かい合い、そこから教訓を得て、反省すべきは反省し、その教訓を未来のために生かしていかなくてはなりません。

 記憶しなければならないことのひとつは、先の大戦で、遠く異郷の地でいのちを落とされた二百四十万人の同胞の遺骨の半数近くが故郷に戻っていないことです。
 
この一年の間、「硫黄島からの遺骨帰還のための特命チーム」が政府に設置され、遺骨収集への取り組みが強化されました。
 
しかしなお例えば、風雪ふきすさぶ北方の島、アッツ島で亡くなった約二千六百人のみなさんの遺骨の大半はなお凍れる土のなかに眠っているのです。政府の一層の努力が必要です。

 戦争は人間が始めるものでありますから、人間の責任で止めることができるということを心にしっかりきざみたいものと思います。

 地震や津波は、それが起こること自体は人間の力で防ぐことはできません。明治、昭和の三陸地方の大津波を記録した作家の吉村昭さんは、
 
「海の壁」の恐ろしさをつづっています。津波がきたらともかく逃げろという「津波てんでんこ」という言葉もあります。
 
東日本大震災の復興の槌音のなかで、私たちは、失われたいのちを悼みつつ、再び来るかもしれない天災と戦うために、「記憶」を持ち続けなければなりません。

 福島原発の事故では、人間の英知の限界を思い知らされました。大気に放出された放射能は長い年月にわたって、日本の土と水を汚し、
 
そこに生きるいのちをむしばむ可能性をぬぐうことができません。ヒロシマナガサキの原爆投下、第五福竜丸の被曝を体験した私たちが、
なぜ原発の「安全神話」に寄りかかってしまったのか、痛恨のきわみです。

 八月九日の長崎平和祈念式典の「長崎平和宣言」で田上市長は、ノーモア・ヒバクシャを訴えてきた被爆国の私たちが、
 
どうして再び放射線の恐怖に脅えることになってしまったのか、「自然への畏れを忘れていなかったか、人間の制御力を過信していなかったか、
 
未来への責任から目をそらしていなかったか…」と私たちに問いを発しました。この問いに私たちは応えなければなりません。

 戦後、わが国は、国際社会の激動のなかで辛うじて平和を守ってまいりました。世界の恒久平和のために、
 
「核のない世界」をつくるために、引き続き渾身の力を傾けてまいります。日本国憲法の平和の理念を改めて深く心に刻み、
 
戦没者のみたまの安からんことを祈って、追悼の言葉といたします。

平成二十三年八月十五日
                              
衆議院議長  横 路  孝 弘
 
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インドネシア国でジャピンドと呼ばれる人生を送る樋口さん   インドネシア残留日本兵たち   茶話 4

2023年09月15日 | エッセイ

☆ 2005年9月30日の新聞に「帰らなかった日本兵」◇インドネシア独立運動に身を投じた「一千名の声」◇と言う記事が出ていました。

その書名の本が発刊されたと言う文化欄の記事の題名でした。

 これを見た時、1976年、昭和51年にジャカルタで出会った樋口さんを思い出しました。

樋口さんは、そのとき私がインドネシア出張に随行した会社の役員の大学時代の同窓ですが、国籍はインドネシア人でした。

 戦争前に愛媛県のN市にあった何社かの会社の合同独身寮で、会社は違ったけれど杉村さんとラグビー部の親友だったと聞きました。

注)「帰らなかった日本兵」とは、日本の敗戦後、再支配を目指して攻めてきたオランダや英国など連合軍に対するインドネシアの独立運動に身を投じ、

祖国日本に戻らなかった兵士たちである。数は確認できただけでも約一千人。多くが独立後に現地女性と結婚、インドネシア国籍となった。

 

 樋口さんは召集を受け会社の寮から帝国陸軍に入隊し、部隊はインドネシアのスマトラ島に駐屯していたそうですが、戦争末期の戦いでオランダ軍の捕虜になり、

銃殺される寸前に、駆けつけた(長く樋口さんが青年達を教育していた村の)村長の嘆願のお陰で釈放されました。

そしてその後、インドネシア独立戦争の時に、インドネシア国軍に参加するよう頼まれ、そのまま将校として銃を取りインドネシア兵を指揮し、

オランダ軍との熾烈な戦いに加わったそうです。

 

 日本の敗戦を知った時も 日本には原爆が落とされ、空襲で殆どの町や村が焼けてしまったと聞かされ、

もう自分の親兄弟も皆亡くなってしまったと思って、それもインドネシアに残った理由の一つでしたとも言われました。

 

彼は秋田鉱専(現 秋田大学 国際資源学部)で鉱山学を学んだキャリアを生かし、国軍の技術将校として重用され、インドネシアの国籍を取り、

栄進され、個人的にも、インドネシア婦人と結婚されました。

 インドネシアが独立し、日本と国交が回復したあと日本の親族とは連絡が取れ、そのご交流を再開されているが、

もう妻、子供もあり生活の基盤もこちらにあるので、日本に戻ろうとは思わなかったそうです。

そして日本の国が戦後、経済復興を遂げていきつあるのを心から喜んでおられました。

 「こうして日本企業が昭和40年代からインドネシアでビジネスを盛んにするようになり、いろいろなお手伝いをしてお役に立てて、

私などは幸せです、戦友の多くは、せっかく太平洋戦争で生き残ったのに、インドネシア国軍の将校としてオランダ軍と戦い、戦死したものも多くいますから」と話されました。

 

 はじめて樋口さんがジャカルタのホテルに現れて お会いした時、樋口さんは色浅黒く、濃い口髭を蓄えた、目の鋭い精悍な男性でした。

そしてお話をされる間、温和な笑みが顔に絶えることはありませんでした。

 子供さんはアメリカの大学に留学されているとかで、アメリカと日本にも仕事で良く行っていますとの話でしたが、

当時国外に出て2,3回目の私には、こんな風に生き抜いてきた日本人がいるんだと強く心に残りました。

 ☆終戦からすでに60年。千人を数えた残留日本兵の生存者も、現在は9人にまで減ってしまったが、その方々のご存命中に発刊でき、ほっとしている。

日本でより多くの方に読んでいただくためウェブサイトも開設した。現在残留日本兵の子孫は、二世、三世を含めおよそ2千人である。・・・}

 ジャピンドとはジャパニーズ・インドネシアンを略して言う言葉だそうですが、

樋口さんは、自分がジャピンドと呼ばれるような人生を、送ることになるとは思ってもみませんでした、と言われました。

☆新聞記事:2005.9.30 日経朝刊44面。ヘル・サントソ衛藤

   

(2005年9月30日作成)

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09月14日に目に留まったSNS・メディアの記事

2023年09月15日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

 

 

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東日本大震災が起こった後の [ 2011年08月15日(月)のブログ ] から    「阿智胡地亭の非日乗」が掲載したエントリー

2023年09月15日 | 東日本大震災ブログ
2011年08月15日(月)
昭和20年8月16日の新聞 & 同じ英単語を「核」と「原子力」に翻訳を使い分ける

言葉の言い換え」

確かに「敗戦記念日」とは、当事国としては言いにくいのはわかるが「終戦記念日」という言葉にもひっかかる。

「台風が去った」と同じように自然現象のように戦争が終わった?

日本語は事を起こした人たちに責任を取らせないやさしい言葉だ。

今は使われないが、子供の頃毎日のように聞いていた言葉に「シンチューグン」がある。
 
いったん「シンチューグンがこう言っている」となれば、周囲の大人は皆、言う事を聞いていた。
 
なかでも「シンチューグンのマッカーサーがこう言うてる」というのは黄門様の印籠と同じだった。

小学校の高学年になって「シンチューグン」が「進駐軍」であることを知った。中学生になって英語を習いだしたとき、
 
「進駐軍」と訳された元の英語が「occupation forces」と知った。そのまま訳せば「占領軍」だった。

占領軍を進駐軍と言い換えるなんて、霞ヶ関には頭がいい知能指数の高い官僚がいるもんだと感歎する。

日本はアメリカ軍を主とした連合国軍に昭和26年まで6年間占領されていたのだった。

ところで、開始以来昨年まで、日本国が負担している在日米軍駐留経費は、基地周辺対策費と基地交付金を含めると12兆9,600億円だそうだが
 
英語でいう「Host Nation Support」を日本語では「思いやり予算」と言いならわしている。

当時も今も、意図的に国内向けに訳語を変えるというのは、敗戦国の政治家や高級官僚が持つ自己防衛だけの浅ましい心根のような気がする。

美しい国に住む、いつまでも、どこまでも勝利者に優しい「くにたみ」たち。

思いやり予算の原資を税金で払っている私もその「くにたみ」の一人です。

上記は2007.8.15掲載エントリーの再録。

以下は本日追加。

英語で核兵器はnuclear arms、原子力発電はnuclear power plantsと表記される。

しかし日本では、nuclear」という英単語を原子力とに使い分けている。同じ外国語の単語を日本語では用途によって別々に使う。

 アメリカの指令を受けて、日本にnuclear power plantsを作る工作をした正力松太郎と官僚たちが頭を絞った結果だろう。
 
確かに官僚には知能指数は高い連中が多い。その高さに見合って国民に対する責任感や使命感は低い。

言葉の持つ魔力には恐ろしいものがある。もしnuclear power plantsが、そのまま「核発電所」と和訳されていたら、
 
福島県双葉町の住人も「核発電所」をわが町に誘致しようとはしなかったかもしれない。
 
双葉町だけではなく全国の原子力発電所いや核発電所が立地している市町村はどこも誘致していないのでは。

そして「原子力村」という用語も、使い分けなければ「核村」になって、さすがにいくら日本でもそんな村は存在できなかっただろうな。

言葉と情報でメシを喰っているはずの日本のマスコミも、何の疑問もなく、同じ「nuclear」という外国語を、お上の都合のいいように、
 
あるいは、お上の意向に合わせて日本語の訳語を使い分けてきた。

なんも物を知らん無知蒙昧のくにたみには、お上(中央官僚)と新聞テレビの最強タッグチームは何をしてもいいんだという考え方の証明かもしれない。
 
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八月一四日の東京新聞社説から

終戦の日に臨み考える 新たな「災後」の生と死
2011年8月14日 東京新聞

 長大な堤防が防ぐはずだった大津波。安全と信じた原発の事故。日本は戦災に続く新たな「災後」を迎えました。死生観も再び揺さぶられています。

 「敗色が濃くなるなかで戦争に駆り出された若者たちは、どうやって精神の均衡を保ったのか」

 九十歳を過ぎた父に尋ねたことがあります。父は答えました。

 「国のために死ぬことが当たり前だった。特攻隊で米国の軍艦に突っ込む若者たちは特別な存在ではなかった。ただ、残り少ない日々を大切にしようとは考えた」

社会おおう重苦しさ


 敗戦は覚悟していた死から国民を解放しました。敗北感より喜びが勝っていたことは米進駐軍を「解放軍」として歓迎する動きがあったことから、うかがえます。

 突然の震災に何の心の準備もなく、自身や近しい人々の命、古里を奪われた悲劇は戦災にも匹敵します。

ただ、被災の規模は全国の主要都市が焼け野原になった先の大戦に比ぶべくもありません。

 それでも戦後の解放感と違い震災後も社会をおおう重苦しさは放射性物質を排出し続ける福島第一原発があるからです。

日本は広島、長崎の原爆を体験しましたが、地域が限定され占領下で情報が制限されたこともあり、多くの人々は被爆者の痛みをわがこととして感じることはできませんでした。

 しかし、「広島原爆二十個分」(児玉龍彦東京大アイソトープ総合センター長)とも推計される福島第一原発による放射性物質の広がりは、大気や水を通じた拡散にとどまりません。

農産物や食肉、魚介類に対する汚染によって不安を日本全体に広げています。低レベル放射線の人体への影響は科学的な追跡調査のデータが乏しくはっきりしたことがわかりません。

これが政府発表の「ただちに人体への影響はない」「暫定規制値」といったあいまいな表現の原因です。

見えない敵との闘い

専門家の中でも楽観的と悲観的に見方は分かれていますが、子どもはもちろん、大人もできるだけ被ばくを避け、がんなどのリスクを最小限にすべきだという点では意見が一致しています。

 目に見えない放射能との闘いは原発事故が長引くにつれ社会に疲労感を広げています。

東日本大震災の影響で、東海、東南海など他の大地震が起きる可能性が高まったともいわれることもあって、一種の無常感さえ漂ってきました。

 しかし、戦争では、それまで培ってきた産業基盤や技術だけでなく多くの人的資源を失い、占領下に置かれても、人々は立ち上がり日本の復興を成し遂げました。

 それに比べ、大震災で打撃を受けた東北の製造業が短期間で回復したように日本の産業基盤は健在です。

放射性物質との闘いで武器になる食品の汚染測定も日本は世界一の技術を誇っています。

 放射性物質を除染し、子どもたちの命を守ることを、あきらめることはありません。長期にわたる放射線による影響調査やがん予防は、

先進国の中で立ち遅れている日本のがんへの取り組みを一段と強化する機会になるはずです。

 がんは現代医学の進歩で既に死に至る病ではなくなりました。早期発見による生存率は飛躍的に高まり、完治も夢ではありません。

抗がん治療も、生活に影響を与えない方法が開発されています。

 もちろん、再発や転移の恐れが付きまとう手ごわさに変わりはありませんが、がんによる死は突然、襲うものではありません。

 多くの末期がん患者が雄々しく病に立ち向かい、残された時間の中でも立派な生き方をのこした例を私たちは数多く知っています。

大津波では多くの人々が心の準備もなく突然、命を奪われました。がんは、それを直視すれば、闘い迎え撃つことができるのです。

 誤解のないように付け加えますが放射能汚染や、がんを甘受せよと言っているのではありません。あらゆる手段で放射能と闘い、

がん予防に尽力すれば恐れおののくことはないと言いたいのです。

 震災と放射性物質の拡散は、ふだん人々が忘れている死を身近なものに感じさせました。しかし、無力感や虚無感にとらわれることこそ、今は排すべきです。

一生の四季を豊かに


 幕末の思想家、吉田松陰は二十九歳の若さで処刑されました。処刑の前日、人間の寿命には長短があるが、「それにふさわしい四季がある」と述べ、

明日死ぬわが身にも「四季はすでに備わっており、花を咲かせ実をつけているはずだ」(「留魂録」講談社学術文庫)と書きのこしました。

 生ある限り、自らの四季を豊かにする努力を惜しまない。それこそが新たな「災後」に、まず心の復興を成し遂げる一歩となるのではないでしょうか。

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「悪い共同体」の「悪い心の習慣」を直す
一部引用・・

 ■先の敗戦に関する山本七平『空気の研究』をはじめとする数々の傑出した「失敗の研究」が明らかにしてきたように、
 
行政官僚(先の大戦では軍官僚)の暴走を政治家が止められない理由として、「今さらやめられない」「空気に抗えない」といった言葉に象徴される
 
独特の〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉があるのである。

  問題は先の大戦から間違いなく引き継がれている。原発政策の背後にも〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉が存在する。これを意識化できない限り、
 
どんなに政策的合理性を議論しても、稔りはない。

既にお分かりだろうが、〈悪い共同体〉の〈悪い心の習慣〉の逆機能は、盲目的依存に集約される。
 
行政官僚制への依存であり、市場への依存であり、マスコミへの依存であり、政府発表への依存である

 総じて「〈システム〉への盲目的依存」と呼べるだろう
 
かかる盲目的依存を、「空気」への依存や、「みんな」への依存が、強力に後押しする。
 
その結果、もはや機能不全が明らかな制度や仕組や政策が、思考停止状態で推進され続ける。その姿はあたかも「ブレーキの壊れたタンクローリー」の如きである。恐ろしい。

全文はこちら
 
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