阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

80年前の今日 職場の先輩 高橋弘泰さんは 3月10日の東京大空襲を子供の時に体験した

2025年03月10日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ
 

2009年3月10日のブログの記事を読まれた高橋弘泰さんからメールを頂きました。その一部をそのまま引用させて頂きます。

その日被災地から約15キロ離れた大田区・久が原から見た、長く長く横たわった真っ赤な帯体は6歳の身にも異常で今でも脳裏に焼きついてます。

空襲警報で近くの防空壕へ。

B29による焼夷弾ですぐそばが焼かれ、火に追われながら離れた大きな防空壕に逃げたこと。(近くの高射砲陣地からは全く撃ち落せず)

疎開した埼玉(蕨)では小一の学校帰り、機銃掃射をうけました。父親の戦死からいろいろと(ありました)。」

 以下は返信したメールの一部です。

「おそらく私が存じ上げている方の中で、東京で空襲を直接体験され、記憶されている方は貴兄以外にはおられないと思います。

私は信州に疎開していたこともあり、戦災体験をあまり覚えていませんが、九州若松で小学校に入るとどのクラスにも7,8人は父親を戦死でなくした生徒がいました。

 当時、休日に小倉に親と出ると駅周辺にはまだ戦災浮浪児と呼ばれた同い年くらいの靴磨きの子供が多数いたことを覚えています。

 本当にアメリカの9.11なんかの比ではない一般市民相手の無差別大量虐殺を日本各地でアメリカから受けたことを忘れてはいけないと思います。

長年戦勝国のアメリカに遠慮していて自己規制していた?各地の戦災体験者も、ここ10年ほどようやく口を開き、

二度とああいうことをどこの国民も味わうことがないように記録に残し始めていますね。」

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