「弔詞」
職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて
ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。
ああ あなたでしたね。
あなたも死んだのでしたね。
活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとぢられたひとりの人生。
たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間。
あなたはいま、
どのような眠りを、
眠つているだろうか。
そして私はどのように、さめているというのか?
死者の記憶が遠ざかるとき、
同じ速度で、死は私たちに近づく。
戦争が終つて二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、覚えている人も職場に少ない。
死者は静かに立ちあがる。
さみしい笑顔で
この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発(た)とうとしている。
私は呼びかける。
西脇さん、
水町さん、
みんな、ここへ戻つて下さい。
どのようにして戦争にまきこまれ、
どのようにして
死なねばならなかつたか。
語つて
下さい。
戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。
八月十五日。
眠っているのは私たち。
苦しみにさめているのは
あなたたち。
行かないでください 皆さん、どうかここに居て下さい。
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