(栗山英樹・著 『稚心を去る』より再構成)
「稚心」とは「子どもっぽい心」のこと。
それを捨て去らない限り、何をやっても決して上達はしない、とても世に知られる人物となることはできない。
まずは「稚心を去る」ことが、立派な武士になるための第一歩である。
幕末に生き、わずか25年という短い生涯を駆け抜けた武士・橋本左内は、数え年で15歳のときに、このようなことを書いている。
いまも読み継がれる『啓発録』は、彼がこれから生きていく上での指針、強い決意のようなものをしたためたものだ。
時代が違うとはいえ、これが、いまでいう中学生が打ち立てた「志」かと思うと、心から感服する。
そしてこの「稚心を去る」が、人の能力を引き出すためにはとても重要な意味を持ってくると、最近、強く感じている。
成長を妨げているのは「子どもっぽい心」、要するに「わがまま」であるケースが多い。
みんな心の中に「大人の心」と「子どもっぽい心」が共存していて、うまくいかないと、すぐに「子どもっぽい心」が出てきて、人を「わがまま」にさせる。
そして、余計なことまで考えて、いつもイライラしている。はっきり言って時間の無駄、何もいいことがない。
これはいま、日本という国が抱えている多くの問題にも直結しているのではないだろうか。
様々なニュースに触れるたび、よくそのことを思う。心が子どもであるがゆえ、大人になり切れていないがゆえのトラブルはあとを絶たない。
そういう自分も、まだ子どもだ。
でも、この7年間(編集部注:本稿はファイターズ監督8年目に執筆した)で、大人になるスピードは間違いなく加速させてもらっていると思う。
自分を捨てて、人のために尽くすということを、まだまだできてはいないけれど、真剣に向き合えるようにはなってきている。
だからこそ「子どもっぽい心」を出させてしまったときは、いつも責任を感じてしまう。
どうして「大人の心」を引き出してあげられなかったのか、と。
結果が出ていれば、自然と「大人の心」が出てきて、誰でも「チームのために」となる。
プロの世界は、特にそう。結果が出て、みんなが気分良くやれているときは、驚くほど「大人の集団」。
難しいのは、結果が出ていないときにどうやって「大人の心」を引き出すか。
きっとそれを引き出すのが、監督の仕事なんだと思う。
「稚心を去る」、これがすべてだ。
言葉でした。
最後に 大谷さんの締め 栗山監督が、大谷は、これがやりたかったんだと言われたのが、印象深かったです。
人の心が読めるんだと大げさに感じました。長年仕事をしていて、いつも相手は何をと 考えておりました。今は、多少分かりますが・・・