阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

江東区にある「清澄庭園」は元々は豪商の紀伊國屋文左衛門の屋敷跡だそうだ。  大きな池がある庭園の「回遊式林泉庭園」。

2024年11月02日 | 東京あちこち

11月のOh散歩カイは江東区にある「清澄庭園」だった。 会員は40年以上前くらいに神田の事務所で職域が一緒だったメンバーだ。

  会員は愛媛県の新居浜市で 時期はばらばらだが工場の同じ独身寮に住んでいたことがある。

241101清澄庭園

webから引用

三菱の創始者である岩崎弥太郎が明治期に完成させた庭園だが、大名庭園の形式を取り入れており、泉水・築山・枯山水を主体とする回遊式林泉庭園に分類される。

清澄庭園があった土地は、元々は豪商の紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と伝えられ、江戸時代後期の享保年間には下総国関宿城主の久世大和守の下屋敷になる。

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大谷さん 英語で 球場の大観衆に感謝の挨拶    ドジャース優勝パレード⚾️大谷選手MVPコールに応えてデコピン抱き上げる

2024年11月02日 | SNS・既存メディアからの引用記事








Dodgers celebrate World Series victory at Dodger Stadium

【ドジャース 36年ぶりの優勝パレード!】大谷夫妻の姿も!大勢のLA市民がダウンタウンに詰め掛ける

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11月01日に目に留まったSNS・メディアの記事

2024年11月02日 | SNS・既存メディアからの引用記事

いずれも画像をクリックすると本文全文に飛びます。

 

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年10月01日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年11月02日 | 東日本大震災ブログ
2012年10月01日(月)
 
「過失はなかった」 調査結果、遺族らに説明 双葉病院   河北新報
2012年10月01日月曜日

 福島第1原発事故の際、患者を置き去りにした病院と誤解を受けた双葉病院(福島県大熊町)は30日、いわき市内で患者の遺族らに病院側の調査結果を説明し「病院側に過失はなかった」と述べた。

一部の遺族から反発の声が出たが、病院は今後、遺族らが東京電力に賠償請求する際にサポートしていく方針。

 説明会には患者の家族や遺族124人が参加。調査報告書によると、鈴木市郎院長は待機場所で救助隊に合流する意思を警察や自衛隊に伝えていた。

しかし、救助に当たった自衛隊が、鈴木院長の待機場所と違う道を通って病院に向かったため、病院関係者がいない中での救出になった。

 報告に当たって、病院側は置き去りを印象づける記者発表をした福島県災害対策本部の「配慮を欠き、適切でなかった。おわびする」とする謝罪文も公表した。

 病院側の担当弁護士は「当時の状況の中でできるだけのことをした。病院側に(法的な)過失はない。患者の被害は、国や県、東京電力など全体の救助システムが機能しなかったことが原因」と語った。

 一部の参加者からは病院側に謝罪を求める声も出たが、病院側は「過失がないのに謝れない」と断った。

 病院側は今後、遺族らから個別に事情を聴いた上で、東京電力に賠償請求する際のカルテや調査結果など提供、弁護士の仲介などで手助けする予定。

 [双葉病院問題] 原発事故翌日の昨年3月12日、入院患者337人のうち第1陣の209人が救出されたが、2、3陣の搬送が14~16日と遅れ、事故から1カ月以内に40人が死亡したほか、隣接する系列の介護施設の高齢者ら10人が亡くなった。

県は同月17日、「患者搬送の際、病院関係者が一人もいなかった」と広報し、病院は「患者を置き去りにした」との誤解を受けた。

☆嵩にかかって鬼の首を取ったように連日『患者を置き去りにした双葉病院』と報道した記者クラブ加入の大手新聞各社とテレビ局。

この記事にもそのお詫びの言葉はない。

これからメディアにお詫びと反省の言葉がでるのだろうか?

偽装報道商品を印刷機にかけて、ゼニを稼ぐことが日常になっている彼らに、そんなもんを期待する人はいないか・・
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【号外】オスプレイ飛来 普天間配備を強行 琉球新報

2012年10月1日

 米海兵隊は1日午前、垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの米軍普天間飛行場への配備を始めた。

2機が同11時7分、普天間飛行場に初めて飛来し、後続の4機が相次いで着陸する予定。米側は今月中に本格運用を開始するとしている。

9月9日に約10万3千人が参加した「オスプレイの配備に反対する県民大会」が開かれるなど、県民の強い反対が示される中で日米両政府が配備を強行したことで、島ぐるみの反発が一層強まりそうだ。

2012年10月1日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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田中正造:再び注目される思想 足尾銅山事件と福島原発事故の類似性  毎日新聞
2012年09月17日 東京朝刊

 日本初の公害とされる足尾銅山鉱毒事件の解決に奔走した政治家、田中正造(1841〜1913年)が亡くなって来年でちょうど100年。鉱毒事件と東京電力福島第1原発事故の類似性に着目し、正造の思想や生き方から東日本大震災後の日本社会の在り方を探ろうと改めて注目が集まっている。【足立旬子】

 物質上、人工人為の進歩のみを以てせば社会は暗黒なり。デンキ開けて世間暗夜となれり。

 亡くなる約1カ月半前に正造が日記に書いた言葉だ。

 菅井益郎・国学院大教授(日本経済史)は「鉱毒事件を通して正造は、近代とは何か、技術とは何かを徹底的に考え抜いた。技術の進歩にのみ頼っている社会は人間を滅ぼす。技術をコントロールするモラルや哲学が必要と警鐘を鳴らした」と解説する。

 電気が普及し始め、誰もが豊かになると期待した時代に、正造はなぜ現代文明を痛烈に批判したのか。

 近代技術の粋を集めたはずの足尾銅山から流出した鉱毒は、渡良瀬川流域の土壌を汚染し、農作物や魚に甚大な被害を出した。政府は鉱毒を沈殿するため最下流地の谷中村を廃村し、遊水池とする計画を決定。正造は村民とともに最後まで抵抗したが、1906年に強制廃村された。明治初期に約2700人いた村民は、遠くは北海道に集団移住を余儀なくされた。

 福島第1原発事故後の昨年3月下旬、京大原子炉実験研のメンバーとともに放射能汚染調査のために福島県飯舘村に入った菅井さんは「現代の谷中村ではないか」と感じたという。暮らしを豊かにするはずの文明が村民から日常を奪い、1年半たった今も多くの人が故郷に戻れない。

 銅生産も、原発も「国策」として進められた。菅井さんは「日本は近代化を進めるために、何か問題があっても責任をとらない構造を作り、それが今も続く。鉱毒事件も原発事故も政府は責任をとらず、企業も『国策に沿った』と、責任をとらない。被害を受けるのは弱い立場の人々だ」と指摘する。
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原発敷地内の活断層問題、全6地点現地調査へ  朝日新聞デジタル
 国の原子力規制委員会は、原発の敷地内を走る断層が活断層である可能性が指摘されている5原発など計6カ所で、委員らが現地調査する方針を固めた。島崎邦彦委員長代理が朝日新聞の単独インタビューに応じ、「6地点全てを現地調査したい」と述べた。

 このうち国内で唯一稼働中の関西電力大飯原発は規制委が26日、10月下旬の現地調査を決めている。

新たに現地調査するのは、日本原子力発電敦賀、関電美浜、北陸電力志賀、東北電力東通の4原発と、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉「もんじゅ」。旧原子力安全・保安院が各事業者に掘削などの調査を指示している。

 島崎氏によると、調査団は各原発とも、地震学が専門の島崎氏のほか、関係学会から推薦を受けた活断層の専門家の5人程度で構成。稼働中の大飯原発から調査に着手し、各原発で、事業者による調査の進み具合に応じて順次現地調査に入る。過去に原発の審査に携わった専門家は対象外とする。

 島崎氏は「メンバーを代えて、新しい目で現地を見てもらいたい」と述べた。
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橋下市長は「脱原発」を捨てたのか!?   日刊スパ
2012.09.30 ニュース

9月17日、大阪市内で委員たちが自主的に開いた「エネルギー戦略会議」
 橋下徹・大阪市長のエネルギー問題のブレーンが集結、大飯原発再稼働に反対するなど原発推進の政府に対抗するシンクタンクとして機能してきた「大阪府市エネルギー戦略会議」が突然、休止に追い込まれた。大阪府から「違法の疑いがある」として、「9月17日の会議を中止する」といきなり通告されたのだという。

 戦略会議は、今年2月27日から9月4日まで20回開催。政府よりはるかに厳しい「原発稼働八条件」を突き付けたり、「再稼働なしで夏をしのぐ電力需給計画策定」に取り組み、最近は脱原発を実現するための移行方法など中長期のエネルギー戦略の議論を開始、11月に取りまとめを出そうとしていた。

 委員の一人である「環境エネルギー政策研究所」の飯田哲也所長はこう訴える。

「政府は、遅くとも泊原発が止まって全原発停止となる5月5日までに大飯原発再稼働をするつもりでした。エネルギー戦略会議が注目されることで、原発再稼働の安全性の根拠も電力需給不足の根拠もいい加減であることを世に知らしめた。松井知事と橋下市長に提言を出すだけではなく、日本全体のエネルギー政策を動かしているという自負を委員全員が持っていました」

 そんな戦略会議がなぜ休止に至ったのか? 事務局の大阪府環境農林水産部は、こう説明する。

「今年春、府人事課が庁内の会議の調査を行い、『条例に基づかない会議が行政の付属機関に該当する場合、住民訴訟で敗訴の恐れがあるので条例で定めよう』ということになりました。戦略会議も付属機関と見なされる恐れがあると判断。議会で設置条例が成立する11月頃まで休止することにしました」

 だが、「我々には一言も相談がなかった」「今が重要な時期で休止は大阪だけでなく、日本全体の損失」と考えた委員たちは9月17日、大阪市内で自主的に会議を開いた。無報酬で交通費も自腹、会場費は参加者から集めた500円を当てた。そして手弁当で駆け付けた委員からは休止への怒りが噴出。

 元経産官僚の古賀茂明氏はこう訴えた。

「矛盾だらけの脱原発政策を出す政府に対し、戦略会議が異論を唱えるのは非常に重要。違法の恐れの話は5月に出ていたが、大阪市は『付属機関ではない』と判断して活動を継続していたのに、急に大阪府が中止の通告をしてきた。仮に訴えられても『違法ではない』と主張、勝訴すればいいだけの話です」

 同じく委員の河合弘之弁護士も「我々の意見に反感を持つ勢力が『止める方法はないか』と仕掛けてきたのだろう」と語った。

続きはこちら
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東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 |
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沖縄県警、大山ゲート座り込み排除 車両を移動  沖縄タイムス
2012年9月30日 14時01分

 県警は30日午後1時ごろ、新型輸送機MV22オスプレイ配備に反対して米軍普天間飛行場の大山ゲート前に集まっていた住民約100人を排除、ゲートをふさぐように駐車していた車両をレッカー移動した。警官100人超が出動した。
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東日本大震災・原発 / 世界と日本 / こんなことあんなこと |
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「復興感じられない」 旧避難準備区域解除から1年  福島民友ニュース 
(2012年9月30日 )

 原発事故により5市町村に指定された旧緊急時避難準備区域が解除されてから30日で1年。

そのうち役場機能を移転しなかった南相馬市、拠点を古里に戻した広野町、川内村などでは、住民の帰還に向けた取り組みが進められている。

しかし、帰還した住民や避難を続ける住民からは「復興の進展が肌で感じられない」との声が聞かれる。そこには不安なく古里に戻ったり、企業が事業を軌道に乗せることを困難にさせるハードルが依然横たわったままという現状がある。

 広野町は2学期から町内で学校を再開。これに伴い町民もわずかに戻ったが、依然として約9割の町民は町外に避難している。

東京電力福島第1原発への不安のほか、商業施設や医療機関など生活環境の整備が進まない現状も帰還のハードルになっており、JR常磐線の運行本数の増加を求める声は少なくない。

 東京電力福島第1原発の20~30キロ圏に大半が入る南相馬市原町区では、復旧作業を背景に経済活動は一面で前進を見せているが、人手不足が企業の正常化のネックになっている。
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東日本大震災・原発 / 新聞・テレビ・雑誌から |
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アーミテージレポートに従っていれば日本は51番目の州でいられる
週のはじめに考える 米報告書は道標なのか
2012年9月30日 東京新聞社説

 原発再稼働、集団的自衛権行使の容認。野田内閣や自民党が米国の知日家グループによる「対日要求」報告書に沿うように政策づくりを始めています。

 アーミテージ元国務副長官やナイ元国防次官補ら超党派の知日家グループが八月、対日要求報告書を発表しました。二〇〇〇年、〇七年に続く第三次の「アーミテージリポート」です。第一次は大統領選挙の前月に発表され、対日政策の方向性を示す文書になりました。今回の発表は十一月の大統領選挙前にあたり、同様の役割を果たすとみられています。

◇「原発の研究開発を」
 報告書をひと言で要約すれば、中国の台頭を踏まえ、日本が果たすべき役割を列挙し、米国との連携強化を打ち出しています。驚くのは、日本の政治が報告書に沿うように動き始めていることです。

 その一つが原発問題。報告書は野田内閣が原発二基の再稼働に踏み切ったことを評価し、共通の政治的、商業的利益を持つ米国とともに原発の研究開発を進めるべきだと強調しています。

 野田内閣は「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略を閣議決定しなかったのですから、米国の狙い通りといえるでしょう。閣議決定のない戦略は単なる努力目標にすぎません。これまで米国の要求に応え、原発を推進してきた自民党が政権に返り咲いた場合、原発ゼロ戦略は跡形もなく吹き飛ばされるのではないでしょうか。

 安全保障面での要求はてんこ盛りです。注目されるのは、一次、二次に続いて集団的自衛権行使を認めるよう求めている点です。
 
政府見解では、日本有事で来援した米軍を守るための武力行使は個別的自衛権の発動とみなされ、今の憲法解釈でも可能です。集団的自衛権は主に海外有事で発動されると考えてよいでしょう。

◇「集団的自衛権行使を」
 9・11米中枢同時テロの後、アフガニスタン攻撃を始めた米国を支援するため、集団的自衛権行使を国連に報告し、参戦した英国の例が思い起こされます。

 集団的自衛権行使は、海外における武力行使に道を開き、戦後日本のあり方を根底から変えるものです。一次、二次のときには冷ややかだった自民党は一転、総裁選に立候補した五人全員が「集団的自衛権行使に踏み切るべきだ」と主張しました。尖閣諸島の問題で、米国の力を借りるには相応のお返しが必要だと考えたのか、それともナショナリズムに燃えているのでしょうか。

 米国は新国防戦略で「アジア太平洋重視」を打ち出しました。国防予算を十年間で四千八百七十億ドル(四十兆円)も削減するのですから、米国だけで中国包囲網を敷けるはずがありません。

 報告書は、米軍と自衛隊のさらなる相互運用性が必要としています。具体的には、海兵隊と同じような水陸両用作戦能力を持たせることや、南シナ海の監視を米軍とともに行うよう求めています。

 報告書に従うように陸上自衛隊はグアムで米海兵隊による強襲上陸訓練の手ほどきを受け、海上自衛隊艦艇によるフィリピン訪問が始まりました。集団的自衛権行使に踏み切りさえすれば、アジア太平洋で米軍の肩代わりができる下地づくりは始まっています。

 報告書が求める法整備も進みます。安全保障や外交など重要な情報が漏れた場合、市民も罰する秘密保全法案と国連平和維持活動(PKO)で武力行使を伴う「駆けつけ警護」を可能にするPKO協力法改正案が国会上程を控えています。

 日本は報告書が示した道標(みちしるべ)通りに進みつつあります。開かれた議論の結果、こだまが返るように米国の要求通りになったのなら、まだ分かります。実態は骨太の国家戦略を立てることができず、場当たり的な対応しかできないから米国の言いなりになっている。政治の劣化はここに極まれり、と嘆かずにはおれません。

◇日本らしい未来像描け
 実は米国にも変化は起きているのです。泥沼化したアフガン、イラク戦争の反省から腕力頼みの安全保障政策から脱皮し、テロリストを生む温床となる貧困や格差をなくすための人道支援に力を入れ始めています。東日本大震災の際のトモダチ作戦もその一環です。

 東南アジアへは〇七年から海軍の病院船を派遣し、各国で無償の医療行為や学校建設を続けています。自衛隊も参加しているのに日本の政治家はまるで無関心。「軍隊のような自衛隊」を求める報告書を妄信するばかりです。

 戦後七十年近くも武力行使せず、世界に影響を与え続けてきた国など日本以外にありません。過去の歴史を踏まえ、苦しい現在を乗り切り、明るい未来を描くことこそが政治ではないでしょうか。
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