阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

茂木健一郎さんは「知の世界のお笑い芸人」だった! フェリシモ・神戸学校      10年前の今日 2013年3月25日の本ブログに掲載

2023年03月25日 | 「過去の非日乗&Shot日乗」リターンズ

今回もまた現場・現物・現実の『三現主義』の効用を思い知った。もう10年以上、書いた文章を読み、出演するTV番組を見てきた茂木健一郎さん。

雑誌『神戸っ子』で、フェリシモの神戸学校の3月の講演に登場と知って出かけた。

やはり通しで、かつ編集なしでの人間ライブの現場に2時間半付き合えば、書物やネットを通じての理解とは違う面が見えてくる。

この芸人さんのお題は「私たちの脳としあわせについて ~しあわせはどこから来るのか?」。茂木さんは相当講演なれしていた。

笑いを取るツボをしっかり押さえていた。同じ芸人でも、芸人を演じることが出来る人と、その人間がそのまま芸人と言う人の2種類あるが、

この知能指数の高い芸人はまことに嫌味なく上手に芸人を演じていた。最初ステージに登場したときは意外にダサいおじさんだなと思ったが、

途中ではシャイとプライドのないまぜの人と思い、そして終わりには彼がとても男前に見えたのが面白い。

会場は神戸朝日ホールだった。このホールがある神戸朝日ビルにフェリシモ社の本社がある。もう18年前にこのビルには仕事で毎週通った思い出のビルだ。

フェリシモ社の配送センターのブログ記事は こちら



手練れの芸人の芸には何回も笑ったが、「もしこうだったら、こうなっていたはずなのに!」というフォーカスイリューージョンの例もその一つだった。

「もし私の母親がフランス人と結婚していたら、私はハーフだったのに。なんでママはお父さんと結婚したのよ!」。

人はこういう風に考えてしまうスパイルに時に陥るのだが、本人はこの想定のありえなさ、可笑しさに気がつかないものだと言う。

まず自分の現実を現実と認める、そこからしか始まらないと言う。

欠点の隣には長所があると言う。人と自分を比べても、脳的には幸せになる思考ではないと彼は言う。どうも「しあわせ」は人と自分を比べている限り来ない物のようだ。

彼の若いころからの夢の一つは、日本のことを世界に発信する学者になりたいと言うのがあったそうだ。まさにそれは今の日本に必要なことだと思う。

そしてこの人はそのことをやろうよと、皆に働きかける伝道者の役割を、講演芸人のカタチをとってアピールしている。しかし彼はひょっとしたらただの学者芸人で終わるか、

本来の夢を世界の場で実現するかの、クロスロードにいるかも知れないとも思った。

人はみな付き合ってきた人の人格を少しづつ受けて、その人間が出来上がると彼は言う。彼の幅広い多様なジャンルの人の付き合いからすると、

日本に今まではいなかったタイプのマルチ学者として世間様に貢献していくのかも知れない。

『感覚の持つ質感--クオリア』、なんだか胡散臭い物言いだ。しかし感覚にはそういう面があるような気もする・・。

わずか1200円の支出で脳をかき混ぜてもらう体験は、脳への刺激としては安いものだった。やはり無料のテレビ番組とは、有料の講演は敵のひたすらさが違う。

人はある意味、情報を脳にインプットして脳で情報処理をしてアウトプットを出すディバイスであるとすれば、

インプットする情報が旬のものか、新規のものか、まっとうなものか、不純なものか、などに大きく影響されそうだ。

今回の講演は「お代は見てのお帰り」ではなく、事前の振り込みではあるが、講演者と聴衆の呼吸の動きや、お互いの反応の「鏡の関係」は現場でしか味わえない化学反応だった。

なおその都度の、学校への入学金1200円は、「あしなが育英会・神戸レインボーハウス」を通じて、東日本災害で親を亡くした子供たちの基金にまわされるそうだ。

  フェリシモ神戸学校はこちら。「茂木健一郎 クオリア日記」はこちら

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