部分的に雑誌で読んでいた箇所もありましたが、通しで読むとこの人の持っている遊びのエネルギーの強さと持続性に驚きます。 虫とり、べいごま・めんこ、相撲・野球…とのめり込んでの道楽少年は、昭和四年生まれ。 八〇歳の今日まで俳優を生業としながら、大道芸、落語、歌、俳句、釣り、競馬、さらには○○まで、存分に遊ぶ。 でも、もしかすると生業も遊びではなかろうかと。いま、職業と道楽の関係に考察が及ぶ小沢昭一遊びの一代記。写真多数。 学者とか科学者とか芸術家とかいうのは、みんな自己本位に仕事をやっているんだからそれは職業じゃなくて道楽なんだということを力説していました。 その講演禄を読んで、ぼくの人生は道楽を積み重ねてきたんだなあということの裏づけを漱石先生から頂いたような気がいたしました」 すなわち世の嗜好(しこう)に投ずると一般の御機嫌(ごきげん)を取るところがなければならないのだが、 本来から云うと道楽本位の科学者とか哲学者とかまた芸術家とかいうものはその立場からしてすでに職業の性質を失っていると云わなければならない。 現に科学者哲学者などは直接世間と取引しては食って行けないからたいていは政府の保護の下に大学教授とか何とかいう役になってやっと露命をつないでいる。 御承知の大雅堂(たいがどう)でも今でこそ大した画工であるがその当時毫(ごう)も世間向の画をかかなかったために生涯(しょうがい) 真葛(まくず)が原(はら)の陋居(ろうきょ)に潜(ひそ)んでまるで乞食と同じ一生を送りました。 またこれは個人の例ではないが日本の昔に盛んであった禅僧の修行などと云うものも極端な自然本位の道楽生活であります。 彼らは見性(けんしょう)のため究真のためすべてを抛(なげう)って坐禅の工夫(くふう)をします。 黙然と坐している事が何で人のためになりましょう。善い意味にも悪い意味にも世間とは没交渉である点から見て彼ら禅僧は立派な道楽ものであります。 したがって彼らはその苦行難行に対して世間から何らの物質的報酬を得ていません。麻の法衣を着て麦の飯を食ってあくまで道を求めていました。 要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。 |
2010年05月16日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
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