「第七芸術劇場」で映画を観た後は、相談しなくても昼からやっている居酒屋「十三屋」に必ず二人の足は向かいます。
お喋りを楽しみながら既に一杯やっている老若男女で店は一杯で、いつものように相席になりました。
阪急十三駅改札から歩いて二分の立地でもあり、ウオーキング姿のグループ五人連れなども入ってきました。
最初はスズキだったかの刺身
タン塩焼き
クジラの生姜焼き
だし巻き
湯豆腐
一時間半ほどで瓶ビール二本、熱燗七本。全部で一人当たり2150円のお代でした。
60歳過ぎてから知りあった寝屋川在住の、映画と飲みの仲間である中村隆次さんは
「今日の映画は、ウイリアムホールデンの「第17捕虜収容所」という映画と筋が一緒だ」と言いました。
おそらくハリウッドが今日観た「大いなる幻影」をリメイクしたのだろうということになりました。
いまやEUの有力国である独仏二国。お互い地続きの国にはこんな殺し合いの歴史が繰り返されて現在がある。
島国の住人である自分は、目が覚めたら周辺道路に外国兵が乗った戦車が充満していることなど想像もしたことはない。
ただ九州の若松二島 で 小学2年生の時 こんな戦車の体験がある: ’03/2/26記
朝5時頃、家の外でゴウゴウと大きな地鳴りがしていると思っていたら、戦車たい、戦車たいという人の声がした。
大人の声もして県道の方へ走っていく沢山の下駄の音がやかましくなった。
あわてて半ずぼんを穿いてランニングのままで家を飛び出した。そして人が走っていく方向へ自分も一緒に走った。
朝もやの中に大きな大きな迷彩色に塗られた戦車が何輌も何輌も県道を一列になって、ゆっくり走っているのが見えてきた。
先頭も見えず最後尾も見えず帯のように見えた。
「少年」や「少年倶楽部」の挿し絵でしか見たことがない戦車の、しかも米軍戦車の実物が数えきれない台数がゆっくり移動していたのだった。
もう道の両側は大人も子供も男も女も人で一杯だった。
赤ら顔の恐ろしげな米兵たちが重装備で戦車の上に乗っていた。眠そうな顔をしてぼんやりあちこち見廻していた。
その日、学校はこれを見ることが出来た町地区から通う人間は英雄だった。
それから10年くらいして兵庫県の芦屋にある高校に通っている時、アメリカ映画で「アシヤからの飛行」という映画の広告を新聞で見た。
芦屋に飛行場なんかないのになんやこれはと思ってその広告を読んだら福岡県の芦屋に朝鮮戦争当時、軍需物資の補給航空基地があって、
そこを舞台にした米兵と日本娘の悲恋物語と書いてあった。 そうか、あの戦車群はアメリカから輸送艦で海上輸送され、
若松港で陸揚げされて芦屋空港まで移動中だったんだと突然頭の中で一つにつながった。
当時、毎晩毎晩家の上を朝鮮(韓国)に向かってごうごうと大型輸送機が飛ばない日はなかった。
この芦屋空港や板付空港から飛んでいたのだ。
町は占領軍の基地とは離れていたので、日常的には米兵を見かけることはなく大人と違って朝鮮戦争は子供にとって身近ではなかった。
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昨日の十三の火事でいきつけの「十三屋」が焼失してしまった。悲しい! 2014年3月8日掲載。
十三駅商店街火災 居酒屋外側から出火か、半日かかり鎮火
産経新聞 2014年3月8日(土)10時37分配信 (写真は朝日新聞デジタルから引用。)
大阪市淀川区の阪急十三駅前の飲食店街で7日朝に起きた火災で、火元は飲食店街中央付近の居酒屋の外側とみられることが同日、大阪府警淀川署への取材で分かった。
火災は通報から約11時間半後の午後5時40分ごろ完全に鎮火。焼損被害は36店舗の計約1500平方メートルまでに拡大した。
同署によると、居酒屋は24時間営業。店主は「店のトイレから火が出ている」と119番したが、「トイレの窓から外に水をかけて消火しようとした」とも説明。
男性従業員(61)も取材に「トイレに入り、窓からバケツの水を10回ぐらいかけた」と証言した。
居酒屋のトイレの外側は別の店舗との間にわずかなすき間があり、ごみやエアコンの室外機などがあったという。
同署は8日に現場検証を行い、出火原因の特定を進める。
十三付近は昭和の大阪の様相を残す地域で、米映画「ブラック・レイン」のロケ地となったほか、小説の舞台としてもたびたび登場。
火災のあった商店街付近は空襲で焼け野原になった跡に飲食店や闇市が集まってできたとされる。
現在は手ごろな価格で飲食できるとして仕事帰りのサラリーマンらの人気を集めていた。
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