一部引用・・・ 古代ギリシャの歴史からみるアートそもそも、今回のあいちトリエンナーレの展示にかぎらず、映画、絵画、小説、舞台には、心をえぐるような過激な表現はたくさんある。どうしてアートは私たちを“傷つける”のだろうか。 根本的なことから説明しましょう。娯楽や見世物と区別されたアートは、近代西欧の概念です。その前身は「神への捧げ物」という非日常。「神への捧げ物」を終わらせたのが14〜16世紀のルネッサンスです。でもそこで始まったのは貴族の肖像画。「神への〜」が「貴族への〜」に変わっただけでした。 これを「古典派」と言いますが、音楽も同じで、モーツァルトなどが典型的ですが、やはり18世紀の終わりまでは王侯貴族のための見せ物だったのです。 そこでのカッコつきの「芸術家」は、貴人のために芸を見せる「猿回しの猿」みたいなもの。モーツァルトは最も技巧的な猿だったというわけですね。 それが19世紀に入る頃から、初期ギリシアの世界観を追求する「自由な表現」に変わりました。我々がアートと呼ぶ近代アートがフランス革命に始まったと教える教員もいますが、革命とアートの間には関係がなく、同じ時期から次第に豊かな産業ブルジョアジーが形成され、アート市場が創出されたのです。 そこではアーティストやブローカーが、初期ギリシャの世界観を口上にしました。ギリシャは紀元前12世紀から400年間の「暗黒時代(初期鉄器時代)」を経験します。殺人・強姦・強盗・放火のオンパレード。それを忘れないように記録したのがギリシア神話で、理不尽で不条理な残酷劇に満ちています。 紀元前8世紀のホメロス叙事詩も、紀元前5世紀のギリシャ悲劇も同じ。世の摂理が人知を越えることを描き、社会の中に閉じられてはいけないことを示す。 ギリシア悲劇のオイディップスは、気づかずに、父を殺して母と交わり、絶望して自分の目をえぐります。「人の心を傷つける」どころではありません。
画像クリックで本文に飛びます。そもそもアートは誰かの心を傷つける。宮台真司さん 「生半可な覚悟で見に行けば不快になって当然です」 #表現のこれから https://t.co/itqdF4ZZeQ
— achikochitei (@achikochitei1) December 31, 2019
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