【震災から半年】目覚めの時 その後、老人福祉施設で働く平野さんは、自分でも思ってもみなかった行動に出た。反原発デモに参加したのだ。 その大半は原発事故関連だ。 抗議運動によって、東京都は学校で屋外活動を制限する放射線量の基準値を下げ、地方自治体は公園の除染を加速するよう強いられた。 また、住民の反対によって定期点検で停止中の原子炉の再稼働も阻止された。 何十万人という人が、ボランティア活動のために東北地方の被災地を訪れている。村島弘子さん(36)は、東京近郊の酪農場を辞め、 津波被害を受けた宮城県石巻市にボランティアに来た。村島さんは今、高齢者を車で病院や買い物に連れて行く手伝いをしている。 「これを経験した前と後とでは、まったく変わってしまうと思う」と村島さんは言う。 「この世代にとって、原発問題は初めての政治との関わりとなっている」と山口教授は述べる。 平野さんは20年にも及ぶ景気停滞期に「希望を持てないまま」に成長した世代の一員だ。 1200人以上からの反応があった。反響の大きさに「とにかくびっくりした」と平野さんは語った。 |
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NHK「ニュースKOBE発」より。放射性物質は国の想定を大きく超えて拡散することが明らかになった。 多くの自治体が原子力安全対策の見直しを迫られている。ほぼ0の状態から原子力安全対策を模索しはじめた滋賀県の現状を取材した。 |
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原発に潜むリスク:フクシマから半年/2 /福井 日本全国どこでも危険だと思いますが、福井県は特に危険だと思う」。東京大地震研究所の纐纈(こうけつ)一起教授=応用地震学=は、取材にこう言い切った。 その理由は「全く想定外のマグニチュード(M)9・0の超巨大地震が発生し、信念の根拠となるべき科学に限界があることが明らかになったから」という。 事故前は、科学的に評価すれば大丈夫と考えていたが、「今となってはあやふやなものでしたね」と力なく語る。 「従来の常識から判断できないようなことが起こらないとは言えない」と語った。 各事業者は、活断層について科学的に予測される最大の揺れ「基準地震動」を各原発で策定して耐震性を評価し、国から「評価は妥当」とのお墨付きを得てきた。 しかし、その委員から揺れを心配する声が上がる異例の事態だ。 共に建設当時には存在が明確ではなかったが、後に活断層と判明し、原発との距離の近さが問題になっている。 改訂前の「日本の活断層」(1980年出版)では「活断層の疑いがあるリニアメント(線状地形)」と位置付けられたが、その後の研究で活断層であることが確実になった。 M6・9の地震を起こすと想定し、日本原子力発電は敦賀原発の最大加速度を800ガルと評価している。 当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は80年の設置許可申請以来、1度も詳細調査をせず、08年3月に国の新耐震指針に基づいて実施した原発の耐震性再評価の中で 、初めて活断層と認定した。住民が原子炉設置許可の妥当性を巡って提訴した「もんじゅ訴訟」が結審した後だった。同じくM6・9の地震を想定し、 日本原子力研究開発機構はもんじゅの最大加速度を760ガルと評価している。【安藤大介】 |
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一部引用・・ そして、なぜそれが「暫定」なのか、「暫定」というのはいつまでなのか、また「基準値を決める作業は進んでいるのか」について不明な状態にあります。 1年20ミリシーベルトは1年に胸のレントゲン400回に相当しますから、たとえ「暫定被曝量」を政府が決めたと言っても、 それで「安全」と断言できる人は少ないでしょう。 |
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当事者が初めて語った「放射能失言」の裏側!鉢呂経産大臣は原発村を揺るがす「原発エネルギー政策見直し人事」の発表寸前だった。
前者は法律に基づかないが、後者は法律(注・経産省設置法)に基づく会議だ。調査会は今年中に中間報告を出して、来年、正式に報告を出す方針だった」 私は事故を受けて、せめて賛成派と批判派が半数ずつでないと、国民の理解は得られないと思った。 それであと9人から10人は反対派を加えて、反対派を合計12、3人にするつもりだった。 委員に定数はないので、そうすれば賛成と反対が12人くらいずつで半々になる」 |
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