阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年12月11日(火)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2025年01月28日 | 東日本大震災ブログ
2012年12月11日(火)
 
日本人は世界でもっとも文明化(civilized)された国民だ

日中関係が揉める中、日本国民は文明化した政治家を選べるのか?

「日本人は世界でもっとも文明化(civilized)された国民だ」と、私の友人は言う。

彼は元々フランス人だったが、その後に帰化してアメリカ人になった。

今でも米国の新聞とフランスの雑誌には目を通し、年に一度は、欧州、日本、中南米に旅をする。

奥さんが日本人なので、日本によく来るが、「日本人は礼儀正しく、暴力に訴えることはないし、食事は洗練されているし、世界最高の文明人と文明国である」と言う。

「暴力に訴えることがない」のは文明人としての重要な条件である。

尖閣諸島の国有化に端を発した中国国民(その背後には中国政府)の日本大使館と日系企業への襲撃事件について、日本国民は国内の中国人に報復することはなかった。

日本の大使が乗った公用車への襲撃でも、日本政府は抗議はしたものの、至極穏便に対応した。昔なら外交的応酬が起きてもおかしくない事態だった。

 韓国では、韓国企業が日本企業と比べて現時点で有利に国際展開している事情もあり、国内ではナショナリズムが盛り上がっている。

竹島への李明博大統領の訪問はそれに勢いをつけたものだ。だが日本の報道機関は李大統領が次期大統領選挙を有利に展開するためのポーズに過ぎないと受け止めた。

多くの日本国民は不快感を持ったものの、それ以上事を荒立てることはしなかった。

 東日本大震災は世界中に瞬時に映像報道されたが、日本人は粛々と行動した。略奪などは起きなかった。

さらに追い討ちをかけた福島原発のメルトダウンでは、事故を起こした背後にある日本政府、東京電力の無責任体制に世界は唖然とした。

日本国民はデモはしたものの、最後まで暴力に訴えることはなかった。ほかの国であったなら、動乱が起きても不思議ではなかった。

 11月20日に玄葉外務大臣がニューヨークタイムズに「岐路に立った日中関係」(Japan-China Relations at a Crossroads)という記事を投稿した。

尖閣諸島の国有化の正当性を説明する記事であった。やや長くなるが、筆者なりの抄訳でご紹介したい。

全文はこちら



日本人の創造性の発揮はノーベル賞以外にも凄い

日本人は創造性に欠ける?
イノベーションにまつわる誤解

一部引用・・

組織論・人材論の観点からイノベーションを考察した場合、大きく二つの誤解が常に付きまとっている。

一つが「日本人はイノベーションに不向きだ」というものだ。しかし、これは大きな間違いである。

日本人の創造性は、世界的に見て劣後しているどころか、むしろトップレベルにあると言っていい。

自然科学三分野におけるノーベル賞の受賞数

 例えば、自然科学三分野(物理学、化学、生物・医学)におけるノーベル賞の受賞数を見てみると、戦後から現在までの期間で、

日本は米国、英国、ドイツに次いで4位の位置にある。さらにこれを2001年以降、つまり21世紀に限ってみると、日本は米国に次いで2位の位置にあることをご存知だろうか。

 史上最高のメダル獲得数に日本中が沸いたロンドンオリンピックだが、その金メダル獲得数の順位が11位であったことを考えれば、

この受賞数が如何にすごいことかおわかりいただけるだろう。

ちなみに、人口で日本の10倍以上を数える中国、インドからはこの分野でのノーベル賞受賞者は出ておらず、端的に言って日本の「足元にも及んでいない」状況である。

高レベルの映画、文学とアニメの破壊力

 では、自然科学分野を離れて芸術文化の領域についてはどうだろうか?この分野においても日本人の創造性は「突出している」と評価できる。

例えば商業と芸術の交差点に位置する映画の分野では、最も栄誉あると考えられているヴェネチア国際映画祭の50周年記念際において、

黒澤明監督の「羅生門」が、過去のグランプリ作品中の最高作品、つまりグランプリ・オブ・グランプリに選ばれている。

全文はこちら

 
震災遺児母子家庭 4割赤字   NHK仙台放送局

12月10日 19時40分

震災で父親を失った母子家庭のうちおよそ40%が「家計が赤字」だと回答し、震災遺児の家庭の経済状況が厳しいことが民間団体の調査でわかりました。

この調査は、病気や震災などで親を失った遺児の支援を行っている「あしなが育英会」が、

震災で母子家庭となった母親569人を対象に行ない32%にあたる184人から回答がありました。

それによりますと、先月の家計の状況は「赤字だった」が39%、「赤字ではなかった」が47%、

「わからない」が13%で、震災遺児の家庭の4割は経済状況が厳しいことがわかりました。

また自由記述欄には「子どもを預ける身内が近くにいない母子家庭はパート勤務がやっと」とか

「被災地周辺の雇用は男性が中心で女性が働くところが少ない」など、被災地での求人は復興関連の土木工事などが多く

、母親では思うように安定した仕事が見つからない苦労の様子がつづられています。

さらに「住宅の整備も遅れがちで先が見えない状態が不安」などと復興が進まないなかで、将来への不安を訴える声も多く寄せられました。

あしなが育英会の小河光治さんは「震災遺児の母子家庭は厳しい経済状況に置かれている。

民間からも息の長い支援をしていく必要がある」と話しています。



  町の未来、不透明 「うちのほかも帰ってくるのか」 福島民友ニュース

2012年12月11日

 大熊町は10日、東京電力福島第1原発事故に伴った全域が立ち入り禁止の警戒区域から「帰還困難」「居住制限」「避難指示解除準備」の三つの区域に再編された。

再編初日、住み慣れたわが家に足を運び、帰るその日のために準備する町民の姿があった。

再編で復興が「前に進んだ」と期待が浮かぶが、帰還までの道のりは遠い。

「5年後どれだけ戻るのか」。町民からは不安もこぼれた。

 避難指示解除準備区域に再編された中屋敷区。寒風が吹き抜ける中、区長の佐藤順さん(63)は、妹の京子さん(60)と雪が積もった自宅を見上げ

「会津より寒いな」と白い息を吐いた。出迎えるように集まってきたヤマガラに餌をやり「しばらくぶりだけど、ちゃんと覚えてたんだ」と目を細めた。

 「うちのほかも誰か帰ってくるんだべか」。佐藤さんがつぶやいた。町によると、中屋敷区の住民は12世帯23人。

そのほとんどが高齢者だ。買い物や病院など生活圏の町中心部は10キロ以上離れ、車は必需品だが、高齢のため避難先の会津若松市などで免許を返納した住民もいる。

「みんな戻ってきたいと思っているけど5年後にどれだけ戻るのか」と不安がこぼれる。 



メディア新時代にも生き残るプロの記者、米コロンビア大研究  AFPBB News

【12月3日 AFP】ブロガーやクラウドソーシング、さらにはコンピューターによる自動作成記事などが報道に貢献している一方で、

重大ニュースの取材・報道においてはプロの記者が不可欠とする研究結果が発表された。

 米コロンビア大学(Columbia University)のトウ・センター・フォー・デジタルジャーナリズム(Tow Center for Digital Journalism)は前週、

「Post-Industrial Journalism(工業化時代後のジャーナリズムの意)」と題する大規模な研究について公開した。

この中で研究者らは、テクノロジーによって入手可能な情報量が爆発的に増え続けるなか、

それに伴う経済変化がジャーナリズムにも正負両方の影響をもたらしていると述べている。

 また、ある種の報道においては、機械やクラウドソーシング(インターネットを介した不特定対数の人々への低賃金または無償での業務委託)が

プロの記者に置き換わることはできないことにも言及している。

重大事件の報道がいわゆる「素人」や機械に乗っ取られては、それは報道にとって良い時代ではない。

「重大事件とは社会を変えうる重要な実話の報道」としながら、児童に対する性的暴行の容疑者をかくまうカトリック教会の実態や、

米エネルギー企業エンロン(Enron)の不正会計事件、米司法省のおとり捜査にまつわる不祥事などを例として挙げた。

 そうした中、「真実を告げる者、意味付けをする者、解説する者」としての記者の役割は、

「(単に)交換可能な情報源(としてのみの扱い)に切り縮められるものではない。

我々には、(ある特定の人物や団体にとって)報道されたくないことを伝える記者が常に必要だ」とした。

 メディアの変化に伴い、広告に支えられる新聞や放送ジャーナリズムのあり方は大きく変わり、それは同時にニュースの生産コストが安くなることも意味する。

またそうした変化より、米国ではニュースの質が落ちるとも予測している。「わが国の報道(の質)は一度悪化し、

その後持ち直すだろう。特に一定の地域(日刊紙が存在しないような主に中小規模の都市)では質の低下は著しいはずだ」

これまでの報道にプラスの影響

 研究ではまた、ソーシャルメディアやブログ、クラウドソーシングなどの登場が、

これまでの報道では不可能だった部分にプラスの影響を与えていると指摘している。

 その例として、国際テロ組織アルカイダの(Al-Qaeda)の最高指導者、ウサマ・ビンラディン(Osama bin Laden)容疑者の殺害が最初に報じられたのは、

作戦を目撃したパキスタン人ITコンサルタントのツイッター(Twitter)投稿がきっかけだったことや、

2011年の東日本大震災による地震や津波の被害の全体像をより提供したのはソーシャルメディアだったことを挙げた。

 また自動生成コンテンツ会社ナレーティブ・サイエンス(Narrative Science)のように、

アルゴリズムを利用して様々なデータからニュースを自動で作成する技術についても利便性が高いと評価。

これを併用することで、記者は時間を有効に活用できるとも述べている。

今後のかたち

 ニュース報道はいつの時代も多かれ少なかれ「助成」されてきたものだと同研究は指摘している。通常は広告だったが、

利益の低いオンライン報道への移行によって新たなモデルが模索されるとした。

 経済的に機能させる鍵は「柔軟性」。「収入は広告主、提供元、後援者、慈善家などからもたらされうる。

コスト削減は提携、業務委託、クラウドソーシング、自動化などによってもたらされうる。答えは一つではない」とした。

 メディアにおける変化の一例として挙げられているのは、「ハフィントン・ポスト(Huffington Post)」のような報道サイトの登場だ。

そうしたサイトは競合する他社から引用したニュースでコンテンツを「公正に」作成しており、引用での使用料もかからないという。

「ハフィントン・ポストの経営陣は、ウェブでの公正使用が意味するところを認識している。つまり(ウェブ上の)すべてが通信社的な配信であり、

ワシントンポスト(Washington Post)紙やニューヨーク・タイムズ(New York Times)紙の記事を引用し、

それにコメントをつけたほうが実は読者にとって、APやロイター(Reuters)といった通信社と契約するよりも価値があるということである」

「ハフィントン・ポストのあり方はよく批判の的となっているが、これは筋違いというものだ。

同社は、既存の法と新たなテクノロジーが交差する点を把握しようとしただけである」

 読者は多様な情報源を使用するが、報道機関はその合間を縫っていかなければならないと同研究は結論づけている。

「慎重で詳細な分析がふさわしい場がある・・・また日常的な最新速報の氾濫からは距離を置き、長文記事で世界を描き出すのに適した場もある──

しかしこれらの方法を数多くそして有効に活用できる報道機関は少なく、

さらに読者が関心を持っているすべてのテーマについてこれを網羅できているところなど皆無である」

(c)AFP/Rob Lever

 
柏崎市長選は慎重派が当選  元共同通信論説委員長は落選

柏崎市長選は慎重派が当選――再稼働路線は破綻へ
2012 年 12 月 7 日 6:58 PM

 東京電力の柏崎刈羽原発を抱えた新潟県柏崎市の市長選挙で11月18日、即日開票の結果、現職の会田洋氏(無所属)が、

自民党の推薦する元共同通信社論説委員長の新人・西川孝純氏を五七六六票差で破り、三選を果たした。

会田氏は「原発の安全性を高めることを優先する」として原発再稼働には慎重とされ、脱原発を求める市民団体からも支持を受けていた。

 今回、自民党県連は「経済活性化」を名目に再稼働を求める地元の一部市議や商工団体の声を受け、西川氏を推薦した形だが、

結果的に再稼働をめぐっては市民の支持を得られなかった形だ。

 同日の開票となった同じ原発の立地自治体である刈羽村の村長選挙は、再稼働賛成を表明している品田宏夫氏が四選された。

しかし泉田裕彦新潟県知事は反対の姿勢を依然崩しておらず、また原発から五〇キロ離れた湯沢町議会が六月、

「柏崎・刈羽原子力発電所の再稼働を認めない意見書」を採択するなど、県内では再稼働を認めない世論が根強い。

 そのため、今回の選挙結果で注目されるのは東電の再建計画への影響だ。東電は今年五月に発表した

「総合特別事業計画」で二〇一四年三月期での黒字転換を明記し、「電気料金値上げと原発再稼働が必要」としていた。

さらに三井住友銀行など銀行各社も同「事業計画」を発表する以前から、一兆円規模の追加融資の条件として再稼働を要求している。

 だが東電は一一月七日に発表した「再生への経営方針(二〇一三・一四年度)」で、福島原発事故への賠償や除染費用の拡大で

「一企業では対処できない」として、「国による新たな支援の枠組みを早急に検討」するよう要求。当初の「事業計画」が、

半年で破綻したのを事実上認めた。しかも再建計画の柱であった再稼働も可能ではない現状が改めて明らかになった以上

、東電を破綻処理させずに「再稼働と料金値上げで再生させる」という野田佳彦政権の方針も再検討を余儀なくされている。

(成澤宗男・編集部、11月23日号)



原発を止めるというのは別に新たな代替案を出さなくても、もう充分いい」小出裕章

12月6日【ペイフォワード環境情報教室】「原発を止めるというのは別に新たな代替案を出さなくても、もう充分いい」小出裕章先生 第10回(文字起こし)

一部引用・・

なぜかと言えば、原子力に手を染めてしまうと、どうしても放射性物質を生みださざるを得ないのです。

原子力発電所の現場では、それを取り扱うことによって被ばくということが起きてしまうわけですが、その被ばくを負うのは電力会社の社員ではなくて、

下請け、孫請け、さらにはもっとずっと重層化された、本当に底辺の労働者たちが被ばくを強制されてきましたし、今現在でもそうなっています。

え〜、何とか原子力発電所を安全に運転しなければいけないわけで、日常的な被ばくももちろん生じてしまう。

しかし機械ですから時には事故を起こすということで、今回の福島第一原子力発電所の事故が起きてしまっているわけですが、

このような事故が起きるということは、私自身はもちろんずっと危惧をしていて、大きな事故が起きる前に原子力は止めなければいけないと言ってきた訳ですが

、原子力を推進してきた人たち自身も、こういう危険があるということは承知していて、

都会で電気を使うのに原子力発電所だけは過疎地に押し付けるというようなこともやってきました。

で、さらにもし、事故が全く起きないで原子力発電所がその寿命を迎えたとしても、原子力発電所自身が、

今度は放射能の塊となってしまっていて、その始末をどうしていいかわかりません。

全文はこちら



国家公務員機関紙配布:政治活動、制限を緩和 最高裁判決、無罪確定へ  毎日新聞

毎日新聞 2012年12月08日 東京朝刊

 国家公務員が休日に政党機関紙を戸別配布したことが刑事罰に問えるかが争われ、2審で無罪、有罪の判断が分かれた2件の

国家公務員法違反事件の上告審判決で、最高裁第2小法廷(千葉勝美裁判長)は7日、いずれも上告を棄却した。

判決は「職務遂行の政治的中立性を実質的に損なわない場合、制限の対象外」と判断。2件のうち検察側上告の旧社会保険庁職員、

堀越明男被告(59)については2審の無罪が確定する。政治的行為の制限を巡る最高裁の無罪判断は初めて。(2面、社会面に関連記事と判決要旨)

 処罰範囲を限定する結論となり、「一律に処罰できる」としてきた従来の判例解釈からは事実上の変更といえる。

1、2審で有罪とされ被告側が上告した元厚生労働省課長補佐、宇治橋(うじばし)真一被告(64)については罰金10万円が確定する。

 2人は国家公務員の政治的行為を制限する同法の規定が表現の自由に違反すると主張。規定については、

北海道猿払(さるふつ)村で選挙ポスターを掲示した郵便局員を有罪とした「猿払事件」の最高裁判決(74年)が合憲と判断しており、

今回の判決も合憲とした。

 一方で「表現の自由は民主主義社会の基礎で、公務員の政治的行為の禁止はやむを得ない限度にとどめるべきだ」とし、

政治的行為とは「政治的中立性を損なう恐れが観念的なものにとどまらず現実的に起こり得るとして実質的に認められるものを指す」と初めて定義。

実質的かどうかは「公務員の地位、職務内容や権限、行為の性質などを総合判断するのが相当」とし、具体的な判断要素として

(1)管理職的地位の有無(2)裁量の有無(3)勤務時間の内外(4)国施設の利用の有無(5)地位利用の有無−−などを挙げた。

 その上で、堀越被告について「管理職的地位になく職務内容も裁量の余地がなく、(犯罪の)構成要件にあたらない」、

宇治橋被告は「課内の総合調整を行う立場にあり、他の多数の職員の職務遂行に影響を及ぼす地位にあり、有罪」とした。

 裁判官4人のうち3人の多数意見。弁護士出身の須藤正彦裁判官は「勤務外の配布行為は一律に規制の対象外とすべきだ」として、

2人とも無罪との意見を述べた。

 2人は03年または05年の衆院選前に共産党機関紙「赤旗」をマンションの郵便受けに配布したなどとして別々に起訴された。

1審はいずれも有罪だったが堀越被告の2審は罰則適用を違憲とし逆転無罪とした。【石川淳一】

この判決にヤメ検弁護士 落合洋司弁護士はこう述べる。

「払事件最高裁大判決は、公務員の政治的行為の禁止を合憲としつつも、そのような禁止が「合理的で必要やむを得ない限度に

とどまるものである限り」という限定は付していて、その判断基準については、

①禁止の目的②目的と禁止される行為の関連性③政治的行為を禁止することにより得られる利益と失われる利益との均衡を挙げていました。

そのような基準では、公務員の政治的行為が一律禁止になりやすい、と強く批判されてきた、という流れで来た中で、

本件の最高裁判決は、猿払事件を前提としつつ(判例変更ではなく、より明確化した、という位置付けのため

大法廷回付にしなかったのでしょう)、猿払事件が言う、

「合理的で必要やむを得ない限度」を再定義した、ということになるのではないかと思います。

猿払事件における基準では、公務員の全体の奉仕者性、公務員の政治的中立性、といった、抽象的になりがちな利益を強調するあまり公務員の政治活動、

表現の自由といった対立する重要な利益がないがしろにされがちであったものを、政治的中立性を損なう恐れの現実性、実質性という観点を持ち込んだ上で、

上記の記事にあるような判断要素や判断手法を明示することで、刑罰の対象になる行為を限定しようとしたもので、

その意味では、使える基準として評価はできるのではないかと思います。

従来あったような、公安警察の点数稼ぎのために末端の公務員が検挙しやすいがために検挙される、といったことは、今後、相当困難になるでしょう。

ただ、残る問題として(むしろ、この点が重要ですが)、公務員の政治的行為について、

刑事罰をもって臨むのがそもそも妥当なのか(懲戒権を適切に行使すれば足りる、という考え方もあり得るでしょう)、

刑事罰の対象にするにしても、今回の最高裁が示した基準よりもさらに限定すべきではないか、といったことも、今後、検討される余地はあります。

そういった議論を、最高裁判決を契機として、さらに深める必要がありそうです。

☆従来あったような、公安警察の点数稼ぎのために末端の公務員が検挙しやすいがために検挙される、といったことは、今後、相当困難になるでしょう。
  
このコメントは元検事が言っていることに大きな意味と重要性がある。



古墳時代、武具装着の人骨初出土 群馬、噴火で被災か  共同通信

2012/12/10 14:37

 群馬県渋川市の金井東裏遺跡で、古墳時代に当たる6世紀初めの火山灰の地層から、武具のよろいを着けた人骨1体が、

同県埋蔵文化財調査事業団の発掘調査で出土したことが10日、分かった。

 遺跡の近くでは、榛名山(群馬県)が5~6世紀に数回噴火したことが知られている。今回の人骨は火砕流に巻き込まれたとみられる。

 胴部を守るよろいは古墳の副葬品として出土することが多いが、同事業団によると、実際に装着した状態で見つかるのは初めて。

古墳時代に被災した人骨が発見された例もなく、当時の軍備や災害の様子が分かる一級史料となりそうだ。

 人骨は成人男性でほぼ全身が残っていた。



小沢昭一さんが死去    NHKwebニュース

12月10日 16時18分

個性的な脇役として舞台やテレビドラマで活躍し、独特の語り口でラジオ番組の名パーソナリティとしても知られた俳優の小沢昭一さんが、

10日、前立腺がんのため東京都内の自宅で亡くなりました。83歳でした。

小沢さんは、昭和4年に東京で生まれ、早稲田大学に進学後、在学中から演劇を始め、俳優座養成所を経て昭和26年に初舞台を踏みました

。昭和29年には映画に初出演し、翌年からは日活映画を中心に活躍しました。また、昭和57年からは1人だけの劇団・しゃぼん玉座を主宰し、

井上ひさしさんの作品を上演して好評を博しました。

小沢さんは、歌や踊りなどの民衆芸能の研究も手がけるなど、いわゆるマルチタレントとして知られ

、昭和48年から40年近くにわたってパーソナリティーを務めたラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は、

独特の軽妙な1人語りが人気を集め、1万回を超える長寿番組になっていました。

こうした功績が認められ、平成12年に放送文化基金賞を受賞、平成13年には勲四等旭日小綬章を受章しました。


しかし、10年以上前に前立腺がんを患い、ことしの9月24日からは長年続けてきたラジオ番組を休んで療養を続けていましたが、

10日午前1時20分ごろ、東京都内の自宅で妻に見守られながら亡くなったということです。

今月14日に通夜、今月15日に葬儀がいずれも東京・新宿の「千日谷会堂」で営まれることになっています。

小沢昭一的こころ  こちら

小沢昭一
来歴・人物

東京府豊多摩郡和田堀町大字和泉(現在の京王線代田橋付近)生まれ[1]。「下谷根岸生まれ」という記述は誤り[1]。

父は現在の長野県長野市の出身で、新潟県高田市(現・上越市)で写真屋修行時代に結婚し東京に出てきた[1]。

昭一2歳の頃、父親が写真館を始めたため日暮里へ引っ越し[1]、4歳のときに蒲田に移り住む。

「当時の蒲田は、松竹映画の撮影所があるモダンな街で、また寄席もあり、その独特の雰囲気がのちの小沢の後の活動に影響を与えた。

旧制麻布中学を経て海軍兵学校第78期生として1945年4月に入校(第703分隊)するが、終戦の為に退校。早稲田大学文学部仏文科卒。

麻布中学の門をたたく前は、府立一中受験で失敗しているが、口頭試問の控え室で水晶の標本を面白半分で頭にのせて割ってしまったためだと自嘲気味に述べている[2]。

同中学時代から、演芸評論家・作家である正岡容の知遇を得て弟子になる。桂米朝、大西信行、加藤武らとは正岡門下の兄弟弟子の関係。

さらに、大西信行、加藤武らと演劇部を立ち上げた。

また、フランキー堺、仲谷昇とも同級だった。早大在学中にはやはり、大西信行、加藤武らと共に、日本で初めての学校での落語研究会

(厳密には、名称は「寄席文化研究会」としたかったが、大学に認めてもらえず「庶民文化研究会」とした)を創設する。

1949年、大学在学中に俳優座付属俳優養成所の二期生となり、千田是也に師事する。卒業後、俳優座公演で初舞台をふむ。

1960年には演出家の早野寿郎と「劇団俳優小劇場」を結成。1966年に新劇寄席『とら』で芸術祭奨励賞を受賞した(俳優小劇場はのち、1971年に解散)。

以降、舞台、ラジオ、映画、テレビなどで芸能活動を行う。1966年のNHKのラジオドラマ「ゆびぶえ」など優れた作品を残している。

映画俳優としては、早稲田の同窓である今村昌平の紹介で、1954年に映画デビュー。今村が、日活に移籍したのをきっかけに自身も日活と専属契約をした。

ここで、小沢の心酔することになる川島雄三と出会う。

川島の『愛のお荷物』、『洲崎パラダイス赤信号』、そして『幕末太陽傳』で、わき役ながらその存在感を示した。

その後、今村の『エロ事師たちより・人類学入門』で主役を務め、1966年「キネマ旬報」の主演俳優賞、「毎日映画コンクール」男優主演賞など多数の賞を獲得した。

しかしながら、小沢は川島雄三に傾倒するところがあり、日本経済新聞に掲載された『焼け跡派のこころ』(2004年連載)では、

川島監督に演技開眼してもらったと述べている なお、プログラム・ピクチャーにも多数出演しているが、怪しいなまりの言葉を話す

「中国人役」などが多かった。個性派のバイプレイヤーとして、200本以上の映画に出演している。

1973年には、現在も続く人気番組、TBSラジオの『小沢昭一の小沢昭一的こころ』を放送開始。

また、1969年、不惑の年に、それまでの新劇を基点とした活動に限界を感じ、またもともと落語好きだったこともあり、

「芸能の原点」を求めて日本の伝統的な芸能に憧れを抱き、著書『私は河原乞食・考』を刊行。

また、この年から、早稲田大学演劇科の大学院に特別入学して、郡司正勝教授のもとに5年間通い、芸能史の研究を行った。

その流れで、放浪芸の収集、発掘に深い関心を寄せ、記録、保存、著述を行うようになる。

1971年には全国を廻って収集した音源を元に制作したレコード『日本の放浪芸』LP7枚組を発売し、1971年度の第13回日本レコード大賞企画賞を受賞。

続編の『又・日本の放浪芸』は、1974年度の芸術選奨新人賞を受賞。以降も、次々と続編を制作する。

また他にも、古くからの芸能の研究活動のため、1975年から研究誌「季刊藝能東西」を創刊・編集。またその雑誌を刊行する出版社「あたらしい芸能研究室」も創立。

「藝能東西」以外にも、芸能関係の書籍を刊行し、2001年まで出版社として活動した(現在は「しゃぼん玉座」の付属機関として小沢関係のCD等を企画)。

また、小沢自身も、伝統芸能や、ストリップなどの猥雑な芸能を、取材・研究した本を、刊行し続けることになる。

また、その「芸能史研究の実践活動」として、1975年から1980年まで劇団「芸能座」を主宰。

1982年には「俳優が小沢一人」の劇団「しゃぼん玉座」を創設し、現在も活動を行っている。

「引退興行」と称して『唐来参和』(井上ひさし原作)の一人芝居を各地で、1982年から18年間続け、公演660回を数えた。

他に野坂昭如、永六輔と「中年御三家」を結成し、1974年の武道館でのコンサートはビートルズ以来と言われるほど盛況であった

(2003年に「帰ってきた中年御三家」コンサートをNHKホールで行ったが、野坂は病気のため不参加)。

小沢はまた、俳人でもあり、「小沢変哲」という俳号を持っている。1969年に入船亭扇橋を宗匠にして、

永六輔、江國滋酔郎らと共に「やなぎ句会」を発足。句集など俳句関連の出版物もある。

父が修業した新潟の写真館の建物が収蔵されていることから、博物館明治村の村長も務めている。

1994年に紫綬褒章、1999年に坪内逍遥大賞、2001年に勲四等旭日小綬章及び徳川夢声市民賞、2003年に東京都功労者。2004年に早稲田大学芸術功労者。

2005年に朝日賞。元放送大学客員教授。2008年したまちコメディ映画祭in台東において、『第1回コメディ栄誉賞』を受賞。

☆日本の滅びゆく大道芸を、重いテープレコーダーを持って日本各地に探索・記録した。この人はそれらをまとめて文献や映画、ビデオに残している。

本当に日本の大衆あるいは民衆芸能史の恩人という一面を持っている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大相撲初場所は 両国の居酒屋... | トップ | 1月27日に目に留まったSNS・... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東日本大震災ブログ」カテゴリの最新記事