その途中、家まで二時間半の腹が持ちそうにないので、昔の武家屋敷町に曲がり、待つのが嫌な性分で
満席だった昼は覗いただけの「一休庵」に上がりました。
「しし鍋御膳」は、蕎麦がオロシ、とろろ、湯葉の三種で、湯葉皿と猪肉の小鍋がセットになっています。
蕎麦は皿に作り置きしていたような感じで、可もなく不可もなし。ぬる燗二合の日本酒のアテにはまあまあでした。
ただ独特の味噌たれのしし肉の小鍋はおいしく、最後の一滴まで掬ってしまいました。
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「世界平和アピール七人委員会」の講演会を聞きに丹波篠山へ行きました。
今回初めて知ったのですが、この委員会の発案者である 出版社の平凡社の創立者 下中弥三郎さんは丹波篠山の出身でした。
彼が亡くなって50年が経過した記念の年に、彼が生まれ育った篠山で講演会が開かれたのです。
下中弥三郎の名前は百科事典の「平凡社」の創業社長ということで名前を知ってはいましたが、
出身地や七人委員会の発案者であることは知りませんでした。
篠山は今はむしろ“河合 隼雄”さんとその兄弟の出身地であることで知られていると思います。
阪急西宮から宝塚へ。宝塚でJR福知山線に乗り換えて約40分で篠山口駅につきます。ここから篠山の中心へはバスで15分くらいかかります。
明治の頃、鉄道が敷かれる計画が公になったとき、真っ黒な煙を吐く鋼鉄の化け物を街に通すなという運動が当時の有力者の間で起こった町が日本には沢山あります。
おそらく篠山も城下町であったことで線路を忌避したのでは?
自分がかって住んだ場所の近辺では、常磐線の藤代の奥の龍ヶ崎市は当時、絹織物の産地で隆盛を極めていて化け物は町を通さないことになり、JRの駅はありません。
もう一つの住んだ街である愛媛県の新居浜市も 予讃線の新居浜駅は当時の町の中心からは遠く離れた場所に駅があります。
講演会が始まるのは午後一時半からでしたが、十二時頃に町の中心部について篠山城址や商店街をぶらぶらしてとろろ蕎麦をたべてから会場へ向かいました。
以下 篠山城址の画像です。
武家屋街もそのまま残っています。
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宝塚から丹波篠山へ