毎年楽しませて頂いている「船橋の桃源郷」。窓辺に置いた満開のシクラメンの鉢を通して見る景色はフランス映画のワンシーン。
撮影はKaku Kurita Crew。メルシーヴォクー!
雨の桃源郷は凄いことに!! 鴨のカップルが喜んで遊弋。
昭和30年代から平成になるまで新居浜市で居酒屋「美起」をやって、多くの寮生の母親役?をされていた方が一月に92歳で亡くなりました。
在新の世話役さんたちが「偲ぶ会」を企画され、声をかけて頂いたので出席しました。開始時間の前に時間があったので、大阪や東京で同じオフィスに勤め、定年後は新居浜在住のA・Fさんと市内を歩き、『口屋』と言う歴史遺産の跡を教えてもらいました。このスポットのことは全く知りませんでした。今は一年に一度だけの対戦なるも、30年来の麻雀好敵手であるFさん、ありがとうございました。
ホテルの9階から見た新居浜市街地の一画。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/b3/2b0ad8833e7eef193359fba27945d678.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/22/325992e29e5d935082add9910ec15929.jpg)
新居浜市のHPから引用。
口屋の由来
豊かな漁業の浦であった新居浜は、元禄4年(1691)別子銅山の開坑を契機に漁村から工業の町へと発展した。そして、生産量日本一を誇る別子銅山の粗銅(あらがね)を大阪へ送ったり、一万有余の銅山で働く人やその家族の食料や資材を搬入するために、元禄15年(1702)、銅山越を経て立川路が開かれ、「仲持っつあん」と呼ばれた人達や牛車によって、旧別子⇔立川中宿⇔角野⇔泉川⇔金子⇔登道⇔口屋(浜宿)へと運ばれるようになった。爾来、口屋(浜宿)は、大阪へ往復する船と仲持や牛車の発着事務を扱い、明治22年(1869)に惣開に移転されるまでの188年間、別子銅山の重要拠点ととして大きな役割を果たした。 その後、小学校、町役場、市役所、市立図書館へと変遷し、昭和45年(1970)、口屋跡を記念して市立の公民館が建てられ、三百有余年の樹齢を保つ老松(くちやあかがねの松)と共に、新居浜市の政治・経済・文化の礎が今も生き続けている。
※口屋(浜宿)とは・・・別子銅山で使用する物資や食料などをチェックする事務所としてつくられた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/5d/5b698cdccedd5ec777a5e93dc6848162.jpg)
在新の世話役さんたちが「偲ぶ会」を企画され、声をかけて頂いたので出席しました。開始時間の前に時間があったので、大阪や東京で同じオフィスに勤め、定年後は新居浜在住のA・Fさんと市内を歩き、『口屋』と言う歴史遺産の跡を教えてもらいました。このスポットのことは全く知りませんでした。今は一年に一度だけの対戦なるも、30年来の麻雀好敵手であるFさん、ありがとうございました。
ホテルの9階から見た新居浜市街地の一画。
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新居浜市のHPから引用。
口屋の由来
豊かな漁業の浦であった新居浜は、元禄4年(1691)別子銅山の開坑を契機に漁村から工業の町へと発展した。そして、生産量日本一を誇る別子銅山の粗銅(あらがね)を大阪へ送ったり、一万有余の銅山で働く人やその家族の食料や資材を搬入するために、元禄15年(1702)、銅山越を経て立川路が開かれ、「仲持っつあん」と呼ばれた人達や牛車によって、旧別子⇔立川中宿⇔角野⇔泉川⇔金子⇔登道⇔口屋(浜宿)へと運ばれるようになった。爾来、口屋(浜宿)は、大阪へ往復する船と仲持や牛車の発着事務を扱い、明治22年(1869)に惣開に移転されるまでの188年間、別子銅山の重要拠点ととして大きな役割を果たした。 その後、小学校、町役場、市役所、市立図書館へと変遷し、昭和45年(1970)、口屋跡を記念して市立の公民館が建てられ、三百有余年の樹齢を保つ老松(くちやあかがねの松)と共に、新居浜市の政治・経済・文化の礎が今も生き続けている。
※口屋(浜宿)とは・・・別子銅山で使用する物資や食料などをチェックする事務所としてつくられた。
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フィギュアの選手、羽生 結弦(はにゅう ゆづる)のファンが全国からお参りに来るようになったと聞く神戸御影の『弓弦羽(ゆずるは)神社』。
通りかかったら桜が満開でした。
2013.03.24 ~ 2013.03.30
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