↑セイタカアワダチソウ(背高泡立草)
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分布 日本各地 河原や空き地
キク科
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論語 (孔子の言行を弟子や孫弟子たちが記録したもの)
子曰く、
学びて時に之を習ふ、亦説(また、よろこ)ばしからず乎(や)。
朋有(ともあ)り遠方より来る、
亦楽(またたの)しからず乎 。
人知らずして(評価されなくても)慍(いから)らず 、亦君子 ならず乎。
学びて思はざればすなはち罔(くら)し、思ひて学ばざればすなはち殆(あやう)し。
之れを知る者は之れを好む者に如(し)かず。
之れを好む者は之れを楽しむ者に如かず。
知者は水を楽しみ、仁者(じんしゃ)は山を楽しむ。
知者は動き、仁者は静かなり。
知者は楽しみ、仁者は壽(いのちなが)し。
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吉田兼好(1283~1350?2)
徒然草
少しのことにも、先達はあらまほしき(あってほしい)事なり。
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おまけ
日本書紀(720)
巻第一(まきだいいち)
古(いにしえ)に天地未(あめつちいま)だ剖(わか)れず、
陰陽(めお)分れざりしとき、
渾沌(こんとん)にして鶏子(とりのこ)の如(ごと)くして、
溟涬(めいけい=くぐもり)にして牙(きざし)を含(ふふ)めり。
其(そ)の清陽(せいよう)なるものは、
薄靡(たなび)きて天(あめ)に為(な)り、
重濁(じゅうだく)なるものは、淹滞(とどこお)りて地(つち)と為るに及(いた)りて、
精妙(せいみょう)の合摶(ごうせん)すること易(やす)く、
重濁の凝竭(ぎょうけつ)すること難(かた)し。
故(かれ)、天先(あめま)づ成りて地後(つちのち)に定(さだ)まる。
然(しか)して後に神聖其の中に生(な)れり。