やせがえるまけるないっさこれにあり
「やれ打つな蠅(はえ)が手を摺(す)り足をする」
の、あの小林一茶googleです。
Amazon.co.jp: 一茶 (文春文庫 ふ 1-2): 藤沢 周平
「誰もほめてはくれなんだ。信濃の百姓の句だと言ぅ。だがそぅいぅおのれらの句とは何だ。絵にかいた餅よ。花だと。雪だと。冗談も休み休み言えと、わしゃの、やを(晩年の嫁の名)。森羅万象みな句にしてやった。月だの、花だのと言わん。馬から蚤虱(のみしらみ)、そこらを走りまわっているガキめらまで、みんな句に詠んでやった。その眼で見れば蚤も風流、蚊も風流・・・」
1763年、現、長野県上水内郡信濃町の貧農の長男として生まれた一茶は、三歳で生母を失い、八歳で迎えた継母にいじめられ、おりあわず、15歳で江戸へ奉公へ出る。
子供ころから知っている一茶の名前、有名な句。
こっけいでなんとなく庶民的。少々型破りの生活など
うすうす抱いていた一茶に対するイメージを、この小説でまたもやくつがえさせられる。
藤沢周平の描く江戸での一茶の暮らしは、あまりに貧乏だ。
これでもか、これでもかと、世俗にまみれ、生活の不安から自由になれないでいる一茶を見せつけられる。
世をすねる一茶。くどいほどの貧乏句を作っちめぇやがるのだった。「秋の風乞食は我と見くらぶる」「我庵の貧乏梅の咲きにけり」
小説は途中、俳諧の修行のため近畿・四国・九州を歴遊する一村、あ、いや一茶を描く。
これほど有名な俳諧師なのだから、少しは・・・という期待?は
小説の中で最後まで満たされない。
嫁ももらえない江戸での貧乏を切り上げ、50歳で郷里に帰っても、継母や弟との遺産相続でのトラブル。
ここでは、思いがけない、一茶の、したたかな俗人ぶりが描かれている。
老いてから次々と迎えた嫁や、その子供を次々に失っていく不幸。
醜く、老いていく一茶が描かれる。
俳聖、とか、孤高の・・とかの衣装は、この小説の一茶には似つかわしくもない。
ただの人、一茶。
しかしながら一茶は、「ただのひとのままに、非凡な人間だったと思わざるを得ない。(藤沢周平 あとがき)
さすがは、藤沢周平。
それでも、どこか、こっけいで、したたかな一茶のユーモラスで?自信をもった人生。
最後にそれが小説全編を通じて浮かび上がっていることにきずかされる。
藤沢周平自身の人生経験からもにじみ出てくるものだろう。
その一節は読んでのお楽しみ。もうすこし歳いとってから読んでもよい。
冒頭の引用は、最晩年、気立てのよい若い嫁(←それでもそんな嫁がもらえるの?)やをの無邪気な寝顔を見ながらつぶやく一茶のせりふ。
一茶は生涯、二万をこえる句を詠んだといわれる。年に二百も三百も。
この情熱こそが一茶なのかも知れない、と思わされる小説の仕立てにもまた、われわれは最後に気づかされるのである。
似ているか、一村google