子どもにスポーツをさせるな (中公新書ラクレ) (単行本)
小林 信也 (著) google
777円
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中身を吟味せずに買ったのが間違いだった。
タイトルにある、「子どもにスポーツをさせるな」は
本文では主張されてはいない。
それに、著者自身は長男が所属する少年野球チームのコーチをしている。
その矛盾に対する言い訳は、「やらせたのではない」の一言。
著者が主張する青少年のスポーツをとりまく環境の問題点、
日本の各種競技連盟のまわりの矛盾点、メディアの報道姿勢、
行政のかかわりなどについての批判は歯切れ悪く、特に目新しいものはない。
また、そのことの解決策などが、具体的に示されているわけでもない。
しかし、スポーツという分野が、政治経済、社会の問題からは一線を画してあつかわれ、
けがれなき聖地、非日常の世界として見られているにすぎず、本質的には、スポーツの存在が軽んじられていると感じている著者には、子どもとスポーツに関わっている大人には、共感することもできるのではないか。
これほど子どもの人生とのかかわりや、社会とのつながりが密接であるにもかかわらず、という思いがつよい親も多いと思うからだ。
本書で、少しだけ取り上げられたオシム監督の「日本の社会全体が変わらないと、日本のサッカーは変わらない」という言葉の真意を、もっと掘り下げて考えて見るだけでも、一冊の本になったのではないか。
学校で子どもが始めたスポーツは、親にとっても無関係ではない。
奄美では、育成会とよばれる親のサポート活動、
役員でなくても、遠征などの離島特有の経済負担など、親も無関心ではいられない。昔のように知らぬ顔ばかりではいられない。よきにつけ悪しきにつけ、奄美特有(地域)のつきあいもあるし。
そうした活動の中で親たちの間では、行政の無理解、子どもの競技大会への出場を管理の道具として使う傾向のある学校側の態度などに悩み、意外と社会とのつながりが深いことに気づいていく。(結局は無力感に押し切られる親も多いのだが)
学校の先生やコーチもまた、親や地域の人の意見に左右されることなく、純粋にスポーツの指導に専念することのむずかしさに悩むこともあるだろう。
本書でも東京周辺の、個別な取材はなされているが、子どもとスポーツの問題について全国の親のもつ、こうした悩みには、十分に答えられているとはたぶん言えない。(子どもとスポーツといえば学校とのかかわりは避けて通るわけにはいかないだろう)
「させるな」というくらいなら、取り上げてほしい問題である。学校とスポーツ。
まあ、結局著者の主張の本意は、日本古来の古武術の精神にあるのではないか。
ならば、それを正面から主張したほうがよかったのではないか。
個々の主張には、納得できる点もあるが、全体の論理構成が、途中で間延びして、タイトルにくらべ、内容が迫力に欠けた印象はいなめない。
最近のスポーツ界の悪い風潮の内のひとつに「目立てばよい」がある。
それに対する著者の批判は、
刺激的なタイトル『子どもにスポーツをさせるな』をつけた著者の身を置くメディアの世界にもあてはまるのではないだろうか。
本文では「子どもにスポーツをさせるな」とは言っていないのだから。