白洲次郎 占領を背負った男 上・下 (講談社文庫) 北 康利 (著) amazon
本書は2005年講談社より刊行された単行本を文庫化に際して上下巻に分冊したものです。
2008年12月弟一刷発行
NHK『ドラマスペシャル・白洲次郎』
2009年9/23日最終回(全3回)の原案のひとつ。
本書の解説は、元TVキャスターの、あの櫻井よしこさんで、帯には同氏の写真もある。
話は、いきなり横道にそれますが、
この本を買った時は、そのことを知らず、積読しておいたのですが、偶然に
櫻井さんは、この11月7日、奄美市名瀬の中央公民館で、奄美大島商工会議所などが主催した講演会で講師をつとめ、中国による東シナ海のガス田開発や、国境に近い沖縄近海の警備体制にふれ、国際政治に「友愛」など通じないと、鳩山政権が掲げる「東アジア共同体」構想を批判した、というjニュースを知った。
さらに、話はそれますが、この日のもう一人の講師は、拓殖大常務理事の佐野幸夫氏で、西郷隆盛と奄美龍郷の愛かなの長男で奄美大島出身の外交官、「明治の国際人 西郷菊次郎」をテーマに講演し、日本統治下の台湾で、北東部・宜蘭の首長として治水事業などで地域の発展に貢献した「菊次郎は今も地元住民に『神様』と信頼される日本人であり、奄美大島の誇りだ」と述べた。(西郷菊次郎はのちに京都市長をつとめる)。
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2009年2月18日 (水曜日)
読書 西郷菊次郎、母・愛加那、妹・菊草この日の講師のひとり佐野幸夫さんは、『西郷菊次郎と台湾』の著者である。
奄美の歴史は、薩摩との関係だけではない。琉球や台湾、中国、アメリカ、その他と国際的な視点からも見直しが進んでいる。
さて、白洲次郎は、戦後は吉田茂の側近とて、日本国憲法制定の現場に立ち会い、〈マッカーサーを叱り飛ばした日本人〉などとも言われている国際人でもある。
内容については省略し、横道にそれた話を元?に戻して、本書に一箇所だけ出てくる「奄美大島」の部分について・・・。
マッカーサーが解任され、講和会議主席全権顧問の吉田茂とともにアメリカへ渡った白洲次郎は、
サンフランシスコ平和会議における吉田茂総理大臣の受諾演説の原稿の作成の際、GHQを刺激することを恐れる外務省の担当者たちを、どなりつけ、「懸案である奄美大島、琉球諸島、小笠原諸島等の返還について言及させたのだ」 (下巻P147)次郎は(沖縄や小笠原の人々の気持ちにもやってみろ!)と思いながら・・・。
その部分は、検索によると、以下の部分と思われる。
第一、領土の処分の問題であります。奄美大島、琉球諸島、小笠原群島その他平和条約第3条によつて国際連合の信託統治制度の下におかるることあるべき北緯29度以南の諸島の主権が日本に残されるというアメリカ合衆国全権及び英国全権の前言を、私は国民の名において多大の喜をもつて諒承するのであります。私は世界、とくにアジアの平和と安定がすみやかに確立され、これらの諸島が1日も早く日本の行政の下に戻ることを期待するものであります。
昭和26(1951)年9月8日
「サンフランシスコ平和条約」google
正式には「日本国との平和条約」(日本と、旧連合国48ヶ国の間で調印された)
第三条【信託統治】
日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)、孀婦(そふ)岩の南の南方諸島(小笠原群島、西ノ島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
1951年(昭和26年)4月28日に日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効によって日本の主権が回復すると、アメリカは基地が少なく復帰運動の激しい奄美諸島の統治を諦め翌1952年(昭和27年)2月10日にトカラ列島が、1953年(昭和28年)12月25日には奄美諸島も返還された。wiki より
国際的です。