『ロシア文学者昇曙夢&芥川竜之介論考』和田芳英/著 2001年11月 google
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原郷の奄美―ロシア文学者 昇曙夢とその時代 (単行本) 2009年11月
田代 俊一郎 (著) google
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昇 曙夢(のぼり しょむ)は1878年明治11年に奄美の加計呂間島(瀬戸内町芝)の生まれ。
1894年明治27年大島高等小学校西校卒業
1895年3月、昇16歳の時、就学のため鹿児島へ。同年9月東京のニコライ正教神学校入学、ロシア語を学ぶ。
1903年卒業と同時に同校講師をつとめる。
1905年、大阪朝日新聞嘱託、ロシア事情を担当する。
1915年早大講師1919まで。
1916年陸軍士官学校教授、
1922年 日大講師、
二葉亭四迷(1864~1909明治42年)の後をうけ、ロシア文学を初めて学問的研究の水準に引き上げ、
明治末から大正、昭和の戦中戦後にわたって、ロシア文学の翻訳、紹介ならびにロシア事情の紹介などに取り組み。この分野における第一人者であった。
昇 曙夢(のぼり しょむ)の業績は、当時の日本の知識人や芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年 - 1927年(昭和2年)などの文学者に多大な影響を与えた。
武者小路 実篤(むしゃこうじ さねあつ、1885年 - 1976年)は、「ロシヤ文学が日本に最も影響を与えた時代の初期に於いて、昇 曙夢の時代があった」と書いている。
1928年昭和3年モスクワで行なわれたトルストイ生誕百年祭には、日本から唯一人国賓として招かれ参加した。
1949年 『大奄美史』 刊行
1951年 奄美大島日本復帰対策全国委員長再任
1955年、『ロシア・ソヴェト文学史』で読売文学賞受賞。
1958年昭和33年永眠
=== ↑ 略年譜は書きかけです。
本書の著者 和田芳英(わだ・よしひで)は、奄美大島名瀬の生まれ。
本書が出版される2001年まで、昇 曙夢に関する伝記や研究書は一冊もなかった。
本書は、昇 曙夢(のぼり しょむ)の功績を顕彰することだけが目的ではないが、
だが、巷間(こうかん)に流布している多種多様な辞典類や近代日本文学の概説、近代日本文学年表の記述、或いは
文壇的側面史の叙述において彼の名前は軽く扱われるか、そうでなければ、ほとんど無視されているに等しい状態である。
彼の業績は他の外国文学者に比較して卓抜なものであり、近代日本文学の生成発展に寄与した影響が絶犬であったにもかかわらず、軽視されてきたが故に近代文学研究の最も重要な部分か曖昧なままに等閑(なおざり)にされてきたと断言できよう。
としているように、これほどまでの業績がありながら、
なぜ、現在の奄美でも、当時の東京においても
昇 曙夢(のぼり しょむ)は知られていないのか?
という素朴でいちばん知りたいと思う疑問にも答えてくれている。(もっと知られてしかるべきだという意見は昇曙夢が亡くなった当時の新聞記事などからもうかがえる)
その理由として、
①学閥の問題、②出版とマス・メディアの問題、③学問の継承の問題
④研究者の問題 ⑤戦後の思想界の問題、などが挙げ詳しく分析されていて興味深い。
いずれも不運といえる側面もあるが、しかし昇の人となりや性格などくわしく読んでいくと、
昇自身の性格として、そういったものへのこだわりが、あまりなかったのではないか、という印象を持った。
トルストイの思想に通じるものがあるのではないか。再読したい。
本書の後半は、昇 曙夢のすぐれた翻訳文学が大正文壇の旗手、芥川龍之介の「羅生門」「鼻」などの初期作品に甚大な影響をおよぼしていることを学問的に考察している。
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原郷の奄美―ロシア文学者 昇曙夢とその時代 (単行本(ソフトカバー))
田代 俊一郎 (著)
(この本は現在、名瀬の書店で平積みになっているところもある。)
西日本新聞の連載になったこの本は、写真も多く、昇 曙夢の足跡や人となり、思想など分かりやすく説明して、
また著者の大胆な推理など興味深く、読み手を飽きさせることがない。
日本のロシア文学翻訳史の第一世代の二葉亭四迷らのあとを受け第二世代を担った昇曙夢だったが、第三世代の人たちが育つにしたがってアカデミズムの場が形成され、在野の神学校出身の昇曙夢は肩身のせまい思いをしたのではないか。「文学を捨て『民衆の中へ』」P75
がおもしろい。
昇曙夢はロシア文学者だった。と同時に新聞記者だった。これが昇を読み解くカギのひとつだ。
このあたりは、スリリングです。新聞記者らしい。
二重写しのロシアと奄美
戦争協力への抑止力として
「多くの文学者戦争賛美へとなだれこんでいくなかで昇はそれなりの抑止力をもっていたと見ることもできる。P110
本書には今後の研究のヒントとなりそうな視点が随所に見られる。
後半は、昇の妻 藤子の「思い出の記」にあてられている。
あと、田中一村は好きなのですが、この本の表紙に、一村の絵があるは、「どうして?」との思いが残った。深く考えないようにしよう。
こちらも再読したい。