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カツオ直売NOWのぼり 奄美・大熊漁港 and 鰹業の歴史

2010年04月21日 | 生き物観察

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「おい、カツオ、満男撮ってくれ!」 寅  今朝、写す。

この記事は、きのうの記事と少し関連があります。

奄美市名瀬大熊(だいくま)漁港にある2つのカツオ製品直売所

カツオのシーズンを迎え、多くの買い物客が次々とおとづれる。

メインは、満男、もといカツオの刺身だが、その他の新鮮なカツオの手作りの調理食品も人気だ。

営業中を知らせるカツオbonitoのぼりに、プラス carp streamer 

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111年の歴史 奄美のカツオ漁

1880年(明治13)鹿児島坊津(ぼうのつ)の人が奄美大島南部、瀬戸内町西古見の曾津高崎(そっこうざき)沖でカツオ漁を試み、上質のかつお節を製造。

その後実際に奄美でカツオ漁が始まったのは1889年(明治22)といわれている。

灯台建設のため来島した鹿児島の人たちが、周辺海域にカツオが多いのに気づき、帰鹿後、3年後ふたたび来島し、豊漁に島の人々おどろく。

これを見た西古見の朝虎松が村民によびかけ帆船を建造し、船頭として指揮をとり奄美におけるカツオ漁業が始まった。

その後、宇検村、大和村、名瀬など各地でカツオ漁が起こった。

1904年には、鹿児島県全体のカツオ節製造の36パーセントを占めるまでになったが、
現在まで残っているのは奄美市名瀬大熊の宝勢丸(ほうせいまる)と金鉱丸(きんこうまる↑写真)とほか瀬戸内町の平祐丸など、10隻だけとなっている。

このカツオ業の盛衰の歴史をたどることは奄美の島興しを考える上で示唆に富んでいる。

参考文献 

『奄美・小宿集落誌』大津幸夫(著)

『カツオと共に100年』 吉野清勇 (著)
宝勢丸漁業生産組合・金鉱丸漁業生産組合 大熊鰹漁業100年の歩み 
宝勢丸組合創立80年・金鉱丸組合創立55年記念誌
宝勢丸漁業生産組合 

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