この道は地道だったけれど桜はその頃から沢山花の咲かせる太い幹の木だった。やっと歩くようになった頃から、私は従姉や父に連れられて、この花の道を歩いたようだ。当人は小さくて記憶すらしていないが、家からすぐ近く安心して歩き始めた子でも、遊ばせてやれる場所だったと、聞かされた。
小さい頃はただ桜だけが咲いている長屋門の前だったが、歴史上日本の転機となった重要な舞台のような代官所として、今その時から「150年記念事業」が、市の行事の中にもいろいろ組み込まれている。幟旗にもそのお知らせが書いてある。
この長屋門の西側に地方裁判所があるため、子供の頃の思い出の中では、長屋門も含めてここは「裁判所の桜」と私の年代くらい以上の人は、いい遊びとして子供の多く集まった場所である。 その頃は、今は資料館になっている門屋の建物の一部が、裁判所に勤務している人の公舎として使っていた。東京に転勤して行った友人の家族の家だった、2年間くらいはよく遊びに行ったものだった。
この町を走る和歌山線が、SLからジーゼルカーに切り替えられたときの、最後の機関車が「金剛ハロー号」と言うニックネームをつけてもらって、この広場から和歌山線の線路の見える場所に、丁寧に保存されている。今では電車になって、1時間に一本走るその電車と、「ハロー号」はきっと挨拶をしているだろうなぁと、機関車やえもんとイメージを重ねてみている。
やはりさくらの花の咲く頃の機関車が、花簪のお洒落をしてとてもいい感じである 。
枝垂桜の簾から透けて、町の様子が所々から見える。現在R24は、道路の幅や歩道の工事のため、この辺りはごちゃごちゃして走りにくくなっている。完成すれば広い道路になるのだろう。
ソメイヨシノは早くから咲いていてそろそろ散り始めている。道路が花桟敷になる日も間近だろう。枝垂桜はまだしっかりと枝に掴まって華やかな色合いがよく目立つ。
明治維新発祥の地の碑が、この代官所跡の場所にどっしりとした岩と共に、刻まれている。