高知県が生んだ偉人:坂本龍馬。余りにも有名な人物なので説明不要だ。
筆者がこの偉人の足跡を最初に意識したのが鹿児島県霧島温泉郷を訪問
した時。日本で最初の新婚旅行をした人物として霧島神宮に足跡がある。
参照:霧島神宮(鹿児島県霧島市)
日本一の足湯の始まり部分に湯棚が設置されている。
小浜温泉の105℃の強塩泉が流れる様は壮観である。
雲仙とは対照的な鉱物色の湯滝を見て楽しむ工夫だ。
解説:日本一長い足湯の始まり地点の105℃の源泉
日本の温泉力のパワースポットといってよい。
映像:山頭火の歌を題材の版画家小崎侃の作品(海望荘パンフレットより)
放浪の歌人山頭火はここ島原も訪れている。種田山頭火は定型
に拘らない歌人である。学生時代に感じたのとは違う味わいだ。
『 さびしくなれば 湯がわいている 』 (山頭火)
彼もまた島原の悲劇と、雲仙の温泉を体験し深い感慨を覚えて
この歌を残したのだろう。他に次のような句も書き残している。
『つかれも なやみも あつい湯に ずんぶり』
参照#①種田山頭火(放浪の俳人)探訪紀行
②山頭火が歌った温泉地と思われる「島原温泉 海望荘」
参考:版画家小崎侃の作品は島原半島根愛野市の山本美術館で
常設展示。今回弥次喜多道中で立寄る事が出来なかった
島原地方の伝説の怪物である。西有家で一番高い高岩山に大きな男が住んでい
た。この大男は人が良く力持ちで誰からも好かれていたそうである。山を切り
拓き畑を造ったり、野良仕事の手伝いをして好物の味噌を分けて貰ったそうだ。
感想:山の主大男、誰からも好かれていたこと、有明海で様々な善行をした事
有家特産の味噌(甘辛い)を好物にしていたことなどから考えるとこの伝説
の怪人は雲仙そのものではないだろうか?雲仙は噴火こそしたが、地元の
人々からは親しまれた山であり、温泉や避暑地としても地域貢献している
参考:島原地方の味噌は麦みそで、麹歩合が25%~30%と麹の割合が一般の味
噌に比べて高く、出汁も「いりこ」を使用薫り高い味噌が特徴で筆者も好む。
初代島原城主松倉重政公の墓所。大名の墓所にしては質素だ。
その理由は、やはり過酷な悪政と、熾烈な圧政によって一揆
を起こさせた当事者として責めを負ったことにあると推察す。
参考:島原の乱の発端を作った圧政は責めを負うことになる。
重政公は島原半島小浜で急逝をしたが、その後継ぎの
第二代藩主勝家公は島原の乱が収束後、江戸で斬首刑。
川下りで掘割を進むと水郷の沖端町に至る。川岸に詩人北原白秋
の詩碑が建っていた。ぶらり水郷を歩き、碑文の刻印を確かめる。
碑文:『町祠(まちほこら) 石の恵美須の 鯛の朱の
早や褪せはてて 夏西日なり』(白秋)
解釈:恵比須神社に祀られている恵比須さんが担いでいる真っ赤
な鯛はいつの間にか色褪せたが強烈な夕陽が照らしている。
感想:北原白秋の詩は官能的、唯美的象徴詩とも言われているが、
褪せた鯛の朱色と夏西日対比、時空を越えた表現が面白い。
参照#北原白秋(自然派詩人/童謡歌人)探訪紀行
映像:長崎街道の嬉野湯宿西口横跡。源泉が流され温泉宿場の風情だ
日本には江戸時代五街道という国内大動脈があった。
東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道だ。
その他に重要海道があるが九州ではここ長崎街道だ。
解説:映像を観て気付いた人もいるだろう。無色透明であるが、綺麗
な豆腐状の湯花が析出される。そうここは温泉豆腐でも有名だ。
重曹泉の特質を生かし温泉水を利用した蕩ける様な豆腐が美味。
嬉野温泉は美肌の湯で知られている。泉質が重曹泉ということが
その最大の根拠だが、古来温泉街中心部にある豊玉姫神社の遣い
主として『白なまず』が祀られている。これも又、美肌神なのだ。
参照#白なまず(佐賀県豊玉姫神社)
解説:豊玉姫神社
温泉街の中心部にある「豊玉姫神社」は、古来より海の神、水の神
として広く祟敬を集めている。祀られている豊玉姫は、海の神の娘
・竜宮城の乙姫様。肌が白くて美しかったことから、美肌の神様と
して親しまれている。境内には「なまず様」を祀った小さな社がある。
自炊の温泉宿『豊礼の湯』のご主人から差入があった。
木の香薫る新鮮椎茸だ。栽培椎茸とは違い自由奔放
な成長ぶりはご覧の様な巨大椎茸、味も格別であった。
久し振りに由布院温泉にやってきた。賑わい湯の坪通りで由布岳をあおぐ。
流石に町外れなので混雑はしていない。 由布岳は日本のNO.1とも言わ
れる由布院温泉の象徴,ランドマークでもある。湯布院の湯景観の一つだ。
由布院温泉:単純温泉 湧出量 38,600L/m全国3位の湧出量。源泉数は852本。
由布岳:大分県由布市にある標高1,583mの活火山。 別名豊後富士とも言う。