お湯の国 日本

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太宰治文学碑(青森県芦野公園)

2009年05月10日 |   ✑文学逍遥 紀行

映像:金木芦野公園の見晴らしの良い場所登仙岬に作家:太宰治の文学碑がある。

毎年、この場所で長女津島園子氏らが集い桜桃忌が開かれる。この桜桃忌も最近は
生誕祭」となったが筆者はいささか不満である。遺族の意向と言われるが「桜桃」
という言葉には特別な意味が込められている。太宰の小説は甘酸っぱいサクランボ
の味
だ。どんなに美化しても、人間津島修治と作家太宰治とは切り離せない。桜桃の
季節に生を受け、散った人間・作家を惜しむ一人として敢えて「桜桃忌」と表現する。

   碑文:「選ばれてあることの  恍惚と不安と  二つ我にあり

解説:ヴェルレーヌの一節。太宰治&津島修治はまさにこの言葉の通り生き、死んだ。

在京時代、三鷹禅林寺を訪問した。三鷹全体が文学的香りのする街だった。筆者は上
石神井でアパート住まいであった。太宰治の墓前には、煙草や酒が供えられていた。
そして…ノートが一冊。今では珍しくないが当時は意味が分からなかった。何気にめ
くると墓参の若い女性の思いが記されていた。それから数年後社会人になって斜陽館
(太宰治の生家で、当時は人手にわたり、旅館であった)の太宰の部屋に泊まった時に
同じく大学ノートがあり、ノートには宿泊した宰ファンの思いが縷々綴られていた

筆者は別に太宰の熱烈なファンではない。一時代の寵児的存在を唯遠くから見つめる
だけだった。一方でフランスの詩人ヴェルレーヌとランボーは筆者の愛読の詩人であ
り中原中也を深く専攻、文学を常に意識した青春は今も続いている。文学とは『生』

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