越後の龍、長尾景虎。上杉謙信は戦国時代屈指の戦上手とも云われた武人。数々の銅像
を見上げて来たが謙信公像ほど威圧感を感じた銅像も無い。米沢城という比較的小さい
お城には似つかわしくない。それもその筈、元は領地120万石を納める大大名だったのだ。
考察:後の加賀百万石が地領を引き継いだ、しかし謙信公の末裔は直江兼次という賢将
の働きで激動の時代を生き抜いた。 120万石から30万石に格落ちしても家臣団が
一人の脱落者も無いという。裏返せば、謙信公の力が末代まで血脈を繋いだのだ。
参照#上杉謙信公像が設置されている米沢城址上杉神社
≪Memoir(メモワール):Histoire(イストワール)・神社寺院 居合神社(山形県村山市)2009.9.12≫
居合神社という珍しいスピリットポイントを訪れた。居合というと日本武道の抜刀
を思い起こすのだが、この神社の由縁を調べたらやはり、この神社に祀られている
林崎甚助源重信は諸国修行し「純粋抜刀」を拡め、居合道の基礎を確立したとある。
社格:林崎甚助祀総本社 祀神:林崎甚助(武士の神、剣の神)
名称:日本一社林崎居合神社(熊野・居合両神社) 流派:神夢想林崎流
戦国時代の武将上杉謙信は北陸の英雄であったが豊臣秀吉より
120万石近い石高はこの米沢30万石に封じ込められた。しかし、
主従共々脱落する事もなく、幕末までお家をつないだのである。
城郭:輪郭式平城 城主:長井~伊達~蒲生~上杉 遺構:土類、堀
石高:当初30万石から15万石に減額 家紋:竹に二羽飛び雀
現在:本丸跡が上杉神社境内、二の丸に米沢市立上杉記念館
指定:続日本百名城
参照#① 日本のお城 探訪紀行 ② 米沢城址跡上杉神社