法師温泉に限らず、明治時代の温泉地は当時の上流階級の遊楽の場である。
そこでこれ又上流社会の遊び歌会が開催され当時第一人者の与謝野晶子が
招かれた。その足跡がこの歌碑。この様な歌碑が全国各地の温泉地にある。
碑文:『草まくら 手枕に似じ 借らざらん
山のいでゆの 丸太のまくら』 (晶子)
歌意:旅の宿、いで湯に入れば、ついつい湯心よく木枕で寝湯する
解釈:当時法師温泉は晶子にとっては遠い山国の里、そこで歌会を
開催し投宿した。気持ち良い湯殿で疲れもあり用意された丸
太状の木枕に寝込んでしまった。現代でいうトド寝である。
参照#📚湯原温泉与謝野晶子歌碑 📚洞爺湖温泉与謝野夫妻歌碑
📚与謝野晶子(官能・情熱歌人)探訪紀行