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旅は人を感傷的にさせる。陽光が眩しい五月に南部紀行を開始
先ずは、南部の元祖的城三戸城にやってきた。三戸という風土…
青森県を二分する文化はここから始まりだと思うと。感慨深い
城郭:連郭式山城 城主:南部氏 家紋:南部鶴 遺構:城山公園
石高:南部藩約10万石(1591年九戸城に移転当時三郡)
解説:青森県の文化は八甲田山を境に東が南部、西が津軽の文化
同じ青森県でありながら南部と津軽は犬猿の仲である事は
県内外に知られている。言葉(南部弁と津軽弁)風土(南
部の東風、津軽の降雪)気質(南部の質素、津軽のおごり)
何よりも、戦国時代に領土をめぐって幕末迄一触即発状態。
とどめは明治維新時に津軽の新政府方、南部の旧幕府方だ。
参照#南部と対立した津軽藩のお城「弘前城」探訪紀行