臼杵城址 (大友宗麟築城) 【大分県(別府)温泉探査 紀行 2022.06.04】
久し振りの城郭見学。いにしえの夢が詰まった古城・城址を逍遥すると何かしら
郷愁が湧いてくる。筆者が弘前城のある街で青春を過ごした故なのかも知れない。
実際は封建時代で虐げられた人々もいた筈だが、結果的に歴史は勝組を昇華する。
城郭:連郭式平山城 築城主:大友宗麟 城主:稲葉氏(大友~福原~太田~稲葉)
家紋:折敷に三文字丸(稲葉氏) 遺構:曲輪、畳櫓、卯寅口門脇櫓、石垣、空堀、堀
石高:臼杵藩5万石 指定:大分県指定史跡、続日本100名城(指定193番目)
歴史:築城主とされる大友宗麟は安土桃山時代の戦国大名、洗礼を受けてキリシ
タン大名としても知られ、海外貿易を行った拠点が臼杵城であった。城郭
からは臼杵の港や、海外につながる海道が手に取るように観えたのだろう。
因みに、後の城主稲葉氏は徳川三代将軍家光乳母#春日野局の縁戚である。
記録:少年使節団(天正遣欧)伊東マンショは大友宗麟の名代としてローマに渡る。
参照#①日本の城郭 探訪紀行 ②大分県(別府)温泉探査 紀行