Dr.Horiiのひとりごと

徒然なるままにクルマや日々の出来事を書きとめた雑記帳です。
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思いでのイタリア車 後編

2006-01-18 21:12:01 | イタリア車

二十歳代後半のDr(^^; Drにとってなんと3台目の124クーペ(124BC)


何とか渋い親父をくどき124を購入できる体制になりDrはそれこそ
嬉しカルカル明治のカール状態でした(苦笑)。

そこで先ず個人売買で見つけた白の124AC(初期の二灯式ヘッドライト)に白羽の
矢をたて早速オーナー氏の元に伺うと非常にフレンドリーな方でなんと一日貸してあげると言われました!

Drは生まれて初めて憧れの124のステアリングを握ることになったのです。
先ず驚いたのはアクセルを踏むとアイドリングから瞬時にしてレッドゾーンまで
吹けきること!

これにはRHDの為アクセルワイアーの取り回しが悪く作動が渋めという理由も
ありましたがとにかくアクセルに足を乗せれば嫌でもレッドゾーン迄回転は
達して中間状態が無いのです?!

つまり運転中はほとんどレッドゾーン状態で走ることになります。
エンジンは当時の国産車みたいに渋々回るのでなく喜々として回ってくれます。

面白いったらありゃしない!

街中の124の速い理由が解りました。
簡単に言うとゆっくり走れないのです!

それに加えてハンドリングは当時のダルな国産車しか知らない身には驚くべき
ニュートラルステアのオンザレール感覚で国産車より数段速く安全にコーナーをクリアーしてくれます。

しかもそのコーナーをクリアーする喜びはDrにとってもちろん初体験でまたまた目から鱗状態でした。

かくも同じクルマなのにこんなに違うのという異次元のクルマを運転する喜びに
洗脳されました。

当時あの小林影太郎さんがCG誌の68/10号に124のロードインプレッションを書かれており100%Drも賛同しました。

特に末尾に「心からFIATの設計者にグラッツエを送りたい」との意を表明されて
いたのが印象的でした。

この辺りでDrのクルマ観は絶対クルマはイタ車で無ければダメ状態でした。
(本当は他にも英国車なんかも好きだったんですが)

思い返せばこの体験と感動があったこそ曲がりなりにも現在の当社があるのですね。←勉強しなくて良かったかも?(複雑)

結局親切にも貸して頂いた124は買わずに国産屋に並んでいた同じ白の124をDrは
無謀にも買ってしまい大変な目に遭いました(泣)。

悲しいかな見る目のない初心者故にボディは腐ってるわメカは故障の連続で親父にはクソミソに言われるわホンマに安物買いのナントカ状態でした(悲惨)。

しかしDrはめげずに個人輸入でパーツをしこたま買い揃え国産屋のメカのお尻を叩きエンジンから多数O/Hしてそれなりにリビルトしたのですがある専門店のメカに
「ボディは交換出来品ひんからボディの悪いのは無駄な抵抗」と言われたのを期に
二束三文で売っぱらいました(泣)

Drの最初のイタ車は明らかに失敗作でしたがこの苦い経験や修理で苦労したことが
後になって非常に役立ったと思っております。

本当に負け惜しみでなく・・・

だからディーラーが途絶えていてもアルファを売る事なんて部品さえナントカ
なれば全然平気という感覚でした。

新車を買うよりは少々難のある個体をリビルトする方が楽しいですよねヤッパシ!


前後が少しフェイスリフトされた124BC コーダトロンカのテールは非常に綺麗ですね



話はややそれましたが以後思いでの124は数年経った後も忘れることが出来ずに
以後二台も買い尚して上の画像の二代目(124BC)は今も保有しております。
もちろんDrなりに各部手を入れてほぼフルレス状態ですよ!

かなり感情的に書いてしまいましたがDrの初めてのイタ車との出会いはかくも
衝撃的かつカルチャーショックでした。

皆様もDrのようなイタ車との衝撃的な出会いがあれば教えて下さいね。

本当にキーを捻った瞬間血が騒ぐのはイタ車だけですよ!






コメント
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