孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

カンボジア特別法廷 虐殺の狂気を明らかにできるか?

2007-08-01 16:49:44 | 国際情勢

(写真は内戦当時のクメール・ルージュ少年兵 当時は実の親を密告するように子供達は指導されたとも言われています。)(“flickr”より By There can be only one Rob)


昨日、カンボジア特別法廷のニュースが入りました。
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カンボジアの旧ポル・ポト政権時代(1975-79年)の大量虐殺に関して捜査対象となっている、ドッチ(本名カン・ケ・イウ、65歳)元政治犯収容所長の身柄が31日、同事件を裁くカンボジア特別法廷(ECCC)に移送された。
特別法廷によるポト派元幹部の拘束は今回が初めて。
元所長は、大量虐殺罪などで検察により起訴される予定の5人のポト派元幹部の1人。
他の4人の氏名はまだ公式に発表されていないが、伝えられるところによると、キュー・サムファン元幹部会議長、ナンバー2のヌオン・チア元人民代表議会議長、イエン・サリ元副首相が含まれるという。 【7月31日 AFP】
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カンボジアではポル・ポト政権時代、毛沢東思想に強く影響された原始共産制を目指したとも言われるクメール・ルージュ支配のもとで、当時の人口およそ700万人のうち百数十万人(正確なところは不明)が殺害されるという虐殺、ジェノサイドが行われました。
当時は一切の私有財産を禁じただけでなく、都市住民・知識人という“階級”を認めず都市から農村に人々を強制移送、貨幣も廃止、近代的科学も否定するという異様な時代でした。

クメール・ルージュはベトナムの介入によって79年政権を追われたあともゲリラ戦を続けました。
ベトナム、ソ連の後押しで成立した新政権に対し、これに抵抗するクメール・ルージュを中国が強力に支援、更に米レーガン政権、英サッチャー政権も資金援助。
日本も長く新政権を承認せず、クメール・ルージュ側に立っていました。
中越対立、中ソ対立、東西冷戦という国際関係を反映して推移しました。

1996年にナンバー3のイエン・サリを含む多量離脱・投降。
1997年クメール・ルージュ自身によるポル・ポトの監禁および裁判。
ポル・ポトは裁判で終身刑を宣告され、翌1998年死去。
キュー・サムファンは1998年12月に投降。
クメール・ルージュの残りのリーダーは、1970年代の大量殺戮に対して謝罪し、1999年までに大半のメンバーは投降あるいは拘束されました。

ジェノサイド、人道に反する罪などでクメール・ルージュ元指導者達を裁く国際法廷を国連は求めましたが、ガンボジアは国内法廷を主張し反対してきました。
これは、現首相フン・センをはじめ現ガンボジア政府の指導層の多くが元ポル・ポト派であった(その後、親ベトナムに転換)という事情が関係していると言われていました。
また、ポル・ポト政権、クメール・ルージュを強く後押ししていた中国が、自国との関係への波及を恐れて国際法廷には消極的だったとも言われています。

最近知ったのですが、96年投降したイエン・サリ元副首相は恩赦をうけたばかりでなく、タイ国境が近いカンボジア西部のバイリン“特別”市に、当時の勢力を維持して事実上の自治権を認められる形で今も住んでいるそうです。(筆頭副市長はイエン・サリの息子だそうです。)
その後投降したヌオン・チア元人民代表議会議長もここで暮しているとか。
この地域は宝石の産地であり、彼らポル・ポト派元幹部は宝石採掘権を売買することで莫大な利益を上げており、更にタイからの客を対象にしたカジノ経営までも行っているとか。

幹部の投降でクメール・ルージュが壊滅した訳ではなく、このように一定に力を残していることが、カンボジア政府に「裁判を強行すると、また内戦が再発すかも・・・」という不安を抱かせ(実際、バイリン市からの不穏な圧力もあったとか・・・)、その不安が国際法廷への躊躇いになっていたとも言われています。

勝手な推測ですが、宝石やカジノの大儲けしていれば今更ジャングルの中で内戦をやる気もうせるのでは・・・と思います。
また、起訴が取りざたされている幹部は既に高齢。
ヌオン・チアにしても、寝たきりでたまにTVを見るぐらいしかできないとも言われており、仮に終身刑が最高の裁判で裁かれても“どっちでも・・・”という感じもあるかも。

結局03年、起訴・審理ともにカンボジア人と外国人の司法官が共同で行い、当事者による裁判官の指名を認めるなど、「国際水準なみの国内法廷」という独特の特別法廷の形をとることで基本合意。
(判事の人数はカンボジア17名、外国13名)
その後、判事の人選、裁判規則の採択などを経て、今回ようやく具体的な作業にこぎつけました。
裁判は2審制で、最高刑は終身刑。
なお、日本は特別法廷運営予算5600万ドルのうち2160万ドルを拠出しています。

すでに元幹部はポル・ポトのようにすでに死亡していたり、または高齢になっており、いささか遅すぎた裁判ですが、その意味は「何故あのような虐殺を行ったのか?」ということを明らかにすることです。
カンボジア内戦については数多くの悲劇が語られています。
しかし、すべて被害者の側からであるため、「どうしてこんなことをやったのか?」という肝心の点がよくわかりません。
今回の裁判で虐殺に至る狂気の背景・原因が解決されることを望みます。

コメント
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