![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/cc/e3d7736508f8a75023c45781299b047a.jpg)
(写真はセルビア人の“Tara”ばあちゃん。 彼女の家はアルバニア系のテロリストに焼かれました。 ご主人はアルバニア系過激派に殺されました。 今は一人息子の小さな家に身を寄せ彼の家族と暮していますが、彼らに迷惑をかけることを悲しみ、疎まれているのではないかと感じています。 もちろん、同じような悲しみはアルバニア系の人々にもあります。 “flickr”より By Aleksandra Radonić)
99年から国連暫定統治下にあるセルビア・コソボ自治州(アルバニア系88%、セルビア人7%)の最終地位については、アハティサーリ国連事務総長特使が今年3月、自治州の実質的独立を認める仲介案を安保理に提出。
米欧は同案に沿う安保理決議案採択を目指しましたが、コソボ独立に反対するセルビアを支持するロシアの反対で断念。
潘基文国連事務総長は、米・ロ・EUに再交渉の仲介を要請、仲介結果を12月10日までに報告するよう求めています。
これを受け、先月30日、セルビア、コソボ自治州両政府と調停役の米、ロシア、欧州連合(EU)の代表による協議がウィーンで行われました。
協議は進展せず、コソボ側の一方的独立宣言など交渉を危うくするような行為や発言をしないことを確認し、次回は9月半ばに開く予定になっています。【8月31日 読売・朝日】
現在、コソボ自治州へのセルビア政府の主権は及んでおらず、そういった現状と圧倒的大多数のアルバニア系住民の意向を考えると、現実的には“独立”の方向しかないようにも思えますがセルビア・ロシアの反対理由は次のような点だそうです。
・主権国家の領土保全は国際法上の重大原則であり、当事国の同意によらずして、国連安全保障理事会の決議はこの原則に反することはできないはず。決議による領土変更を認めることは重大な先例となり、世界各地の独立運動を刺激する。
・解決策はセルビア、コソボ双方の合意が前提。解決策の押し付けに反対。
・セルビア系住民の人権保護が不十分。
・セルビア系難民の帰還、コソボへのセルビア治安部隊再配置を定めた国連安全保障理事会決議第1244号は完全に履行されておらず、そのような状況で新決議について議論できない。
・仲介案はセルビアの立場を反映していない。セルビアはコソボに「自治以上、独立未満」を与える用意がある
【フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】
一方、コソボ自治州政府と国連は、任期満了に伴うコソボ州議会選挙を11月17日に実施することを正式に決定しました。
独立を望むコソボ自治州内のアルバニア系住民(全体の約90%)は独立が進展しないことにいらだちを強めており、今回の総選挙は事実上、独立の是非を問う住民投票的な性格を帯びるそうです。
【9月2日 産経】
コソボ紛争のここに至るまでの経緯を簡単にまとめると次のようになります。
セルビアが自治権を剥奪したコソボでのアルバニア系住民の抵抗。
それを抑えようとするセルビア側の攻勢。
大量の難民の発生。米・英・独・仏・露による仲介。
セルビアの仲介案拒否、そしてNATO軍による空爆(1999年3月)。
戦争の混乱の中でのセルビアによる本格的“民族浄化”、90万人のアルバニア系住民の難民発生。
セルビアの和平案受諾
セルビアの和平案受諾によって訪れたのは決して平和ではなく、勝ち組アルバニア系住民による新たな“民族浄化”でした。
大セルビア主義に代わって登場したのは大アルバニア主義とも言うべき新たな民族主義運動でした。
難民として離れていたアルバニア系住民が帰ってくる中で、アルバニア系の武装勢力によってセルビア系住民の拉致、殺戮、追放が横行する状態になります。
紛争中にセルビア人側が行った行為への報復が始まります。
空爆終了後2年ほどの間にコソボで拉致されて行方不明になったと国際赤十字に提出されているセルビア人は1300名にもおよびます。
恐らくその大部分はもはや生存していないと思われます。
このアルバニア系住民による新たな“民族浄化”については、“終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ”(木村元彦著)がとりあげています。
少なくともこの本のかかれた段階では、アルバニア系武装勢力のセルビア系住民への暴行を国連の統治機構は事実上黙認している現状があったようです。
2003年8月13日、コソボのセルビア人地域のダキッチ・ミリサル村。
川で遊んでいたセルビア人の子供達84人に2名の兵士が発砲、2人が死亡。
犯行はアルバニア人武装勢力KLA(空爆直後は“解放軍”として国際社会から賞賛された。アルカイダとも繋がる組織であるが、セルビア空爆直前からアメリカCIAも訓練に協力)によるものであることは周知の事実であったが、アルバニア人の村に逃げ込んだ犯人の捜査をUNMIK(国連コソボ暫定統治機構)は断念。
KLAへの取り締まりはアンタッチャブルになっているとか。
2004年3月17日、コソボのセルビア人地域スミリャネ村。
村を包囲していた周囲のアルバニア人3000人が村に入り込んで発砲を開始。
国連統治の軍事部門であるKFOR(コソボ治安維持部隊)は何もしない。当時フランス軍指揮下のモロッコ軍が駐留していたが、全く動こうとしなかった。
セルビア人の家930棟が燃やされ、4500人のセルビア人難民が発生。
18、19日には全土に飛び火、19人のセルビア人が殺害され、600人が負傷。
この襲撃の発端は前日3人のアルバニア人少年がセルビア人に犬をけしかけられて川に飛び込んで溺死したとされる事件。この事件の真相は不明。
紛争国への国際機関の介入の仕方は難しいものがあります。
許されている権限の問題からどうしても及び腰になってしまいがちのようです。
ただ、生命の危機にさらされている住民にすれば、国際機関からも救ってもらえない現状は受け入れがたいものでしょう。
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(写真は2000年1月、拘留中のアルバニア人釈放を求める群衆整理にあたるKFORのアメリカ部隊。KFORは国連安保理決議1244に基づき、NATO指揮でコソボにおいて治安維持を行う国際安全保障部隊。“flickr”より By pingnews.com )
空爆後のコソボで暮らすセルビア人の被害者には「自分達はアルバニア人の隣人達と一緒にうまく暮らしてきた。何も彼らに恥ずべきことはしていない。これからだってここで暮らせるはずだ。」と考えその地に残り、ある日突然拉致・殺害される、家を焼き討ちにあうという事例が多くあります。
空爆前まで政治的・社会的に優位な立場にあったセルビア人が「自分達はうまくやっている」と感じていても、劣後する立場におかれた人の捉えかたはまた別のもがあったのかもしれません。
マジョリティの側が意識せずにマイノリティに加え続ける差別というものがあるのかもしれません。
それにしても“普通の人々”を殺人鬼に変えてしまう狂気、「民族が違う」というだけの理由で殺しあう狂気。
人はみな自分と他人を区別したがる、自分を他人をよく思いたがる、災いを他人のせいにしたがるものでしょうが、“民族”という考えはそのような人間の心の闇に熱病のようにひろがり、アヘンのようにとりこにしてしまう魔力を持っているようです。
相手の民族にも自分達同様に文化があり、歴史があり、家族がいて、大切な人がいる。
そういったわずかな想像力が決定的に欠如しています。
最近のコソボでの実情はよくわかりませんが、数日前TVで独立を主張するアルバニア系の若者の活動を見ました。
「セルビアと話し合ってはいけない!だまされるだけだ!とにかく独立するんだ!独立すれば経済状態も回復する・・・」
投石におびえながら、ひびの入った窓ガラスのバスで移動するセルビア人。
「手りゅう弾を投げられることだってあります。」
状況はあまり改善しているようには見えません。
独立した場合のセルビア人への迫害が懸念されます。
最初にも述べたように、方向としては独立しかないように思えますが、マイノリティとなったセルビア人住民の生命・財産・権利をいかに守れるか、実効ある仕組みをいかにつくれるかが一番の課題だと考えます。