タイ下院で28日、次期首相に「国民の力党(PPP)」のサマック・スンタラウェート党首(72)が選出されました。
PPPは、軍部クーデターで追放されたタクシン前首相の政策を引き継ぐかたちで国民の支持を得て総選挙で第1党となり、その後の連立工作で第2党の民主党以外の協力を取り付けました。
サマック新首相は、昨年タクシン前首相に請われるかたちでPPPに入党、党首になったベテラン政治家ですが、一時はタクシン前首相とは政敵の関係にもあった人物です。
過去に大臣、副首相を歴任した前バンコク知事でもあり、また、王族に繋がる一族出身で、強硬な王制主義者とも言われています。
各紙に紹介されているように、自らフライパンを握るテレビの料理番組などを通じお茶の間に人気がある反面、76年に46人の死者を出した学生抗議集会に対する弾圧「血の水曜日事件」にも関与したとされる右派政治家の側面も併せ持っています。
(右翼団体がタマサート大学を襲撃し多数の死傷者を出した事件で、当時サマック氏は右翼暴徒を扇動したとされています。)
こうした右派政治家の側面は、混迷するタイ深南部のイスラム住民との対立の今後を懸念させるところでもありますが、相当に“海千山千”の政治家のようですのですので・・・どうでしょうか?
バンコク知事時代、同市の消防車購入をめぐる不正では現在も調査が続いていますが、このあたりはこの国の政治化はみな大なり小なり・・・といったところでしょう。
クーデターを指揮したソンティ前陸軍司令官がトップに立つ国家安全保障評議会は22日に最後の会議を開催。
会議後、スポークスマンは「軍は政治に関与すべきではなく、クーデターはもう二度とないということを我々は確認した」と述べています。
過去16回のクーデターの実績を誇るタイ軍部ですが、15年ぶりのクーデターとその後の政権運営の失敗は大きな反省と教訓をもたらしたようです。【1月28日 毎日】
そのソンティ前陸軍司令官は30日、英国に滞在しているタクシン前首相と選挙後2回電話で協議し、「兄弟のように率直に語り合った」ことを明らかにしました。
タクシン前首相支持派の選挙勝利、サマック政権樹立で、軍内部にはクーデターに対する報復への警戒感が強まっており、対立再燃を避けるための行動とみられています。【1月30日 毎日】
“タクシン前首相が帰国しても軍は黙認する、そのかわり、新政権は軍への報復は行わない・・・・”そんな“手打ち”でも行われたのでしょうか。
そんな流れのなかで、サマック新首相は1日の会見で、クーデターを首謀した軍幹部に対する報復はしないと明言しました。
また、タクシン氏の帰国問題について、「彼はタイ国民であり、帰国する権利がある。帰国して裁判で闘うべきだ」と述べ、タクシン氏の早期帰国を促す一方、「司法手続きに政府が関与することはできない」と語り、タクシン氏に対する恩赦など裁判への介入はしない姿勢を示しています。
一方で、タクシン前首相の今後への影響力については、「彼は5年間政治活動を禁止されており、政権のアドバイザーになることはない」と述べ、タクシン氏を政権に直接関与させない方針を明らかにしています。
また、さらにこれまで解散を主張してきた、前政権下で設立されたタクシン政権関係者の不正を調査する資産調査特別委員会について、「解散の必要はない」と方針を転換。反タクシン勢力に配慮する立場を見せたそうです。【2月1日 毎日】
ソンティ前陸軍司令官も、サマック新首相もなかなか変わり身の早い柔軟な対応をみせています。
お国柄でしょうか。
特にサマック新首相は、タクシン前首相を担いで政権を獲得するも、軍部や対立野党・民主党とも和解・対話の道筋をつけ、タクシン前首相は一定に立てながらも、その影響力はある程度制約する・・・そんな“したたかさ”が窺える登場です。
タクシン前首相の操り人形に納まるようなタイプではないようですが、そうすると今度は復権を目指すタクシン前首相との確執が・・・なんて、まだ随分先の話をしても仕方ないですね。
PPPは、軍部クーデターで追放されたタクシン前首相の政策を引き継ぐかたちで国民の支持を得て総選挙で第1党となり、その後の連立工作で第2党の民主党以外の協力を取り付けました。
サマック新首相は、昨年タクシン前首相に請われるかたちでPPPに入党、党首になったベテラン政治家ですが、一時はタクシン前首相とは政敵の関係にもあった人物です。
過去に大臣、副首相を歴任した前バンコク知事でもあり、また、王族に繋がる一族出身で、強硬な王制主義者とも言われています。
各紙に紹介されているように、自らフライパンを握るテレビの料理番組などを通じお茶の間に人気がある反面、76年に46人の死者を出した学生抗議集会に対する弾圧「血の水曜日事件」にも関与したとされる右派政治家の側面も併せ持っています。
(右翼団体がタマサート大学を襲撃し多数の死傷者を出した事件で、当時サマック氏は右翼暴徒を扇動したとされています。)
こうした右派政治家の側面は、混迷するタイ深南部のイスラム住民との対立の今後を懸念させるところでもありますが、相当に“海千山千”の政治家のようですのですので・・・どうでしょうか?
バンコク知事時代、同市の消防車購入をめぐる不正では現在も調査が続いていますが、このあたりはこの国の政治化はみな大なり小なり・・・といったところでしょう。
クーデターを指揮したソンティ前陸軍司令官がトップに立つ国家安全保障評議会は22日に最後の会議を開催。
会議後、スポークスマンは「軍は政治に関与すべきではなく、クーデターはもう二度とないということを我々は確認した」と述べています。
過去16回のクーデターの実績を誇るタイ軍部ですが、15年ぶりのクーデターとその後の政権運営の失敗は大きな反省と教訓をもたらしたようです。【1月28日 毎日】
そのソンティ前陸軍司令官は30日、英国に滞在しているタクシン前首相と選挙後2回電話で協議し、「兄弟のように率直に語り合った」ことを明らかにしました。
タクシン前首相支持派の選挙勝利、サマック政権樹立で、軍内部にはクーデターに対する報復への警戒感が強まっており、対立再燃を避けるための行動とみられています。【1月30日 毎日】
“タクシン前首相が帰国しても軍は黙認する、そのかわり、新政権は軍への報復は行わない・・・・”そんな“手打ち”でも行われたのでしょうか。
そんな流れのなかで、サマック新首相は1日の会見で、クーデターを首謀した軍幹部に対する報復はしないと明言しました。
また、タクシン氏の帰国問題について、「彼はタイ国民であり、帰国する権利がある。帰国して裁判で闘うべきだ」と述べ、タクシン氏の早期帰国を促す一方、「司法手続きに政府が関与することはできない」と語り、タクシン氏に対する恩赦など裁判への介入はしない姿勢を示しています。
一方で、タクシン前首相の今後への影響力については、「彼は5年間政治活動を禁止されており、政権のアドバイザーになることはない」と述べ、タクシン氏を政権に直接関与させない方針を明らかにしています。
また、さらにこれまで解散を主張してきた、前政権下で設立されたタクシン政権関係者の不正を調査する資産調査特別委員会について、「解散の必要はない」と方針を転換。反タクシン勢力に配慮する立場を見せたそうです。【2月1日 毎日】
ソンティ前陸軍司令官も、サマック新首相もなかなか変わり身の早い柔軟な対応をみせています。
お国柄でしょうか。
特にサマック新首相は、タクシン前首相を担いで政権を獲得するも、軍部や対立野党・民主党とも和解・対話の道筋をつけ、タクシン前首相は一定に立てながらも、その影響力はある程度制約する・・・そんな“したたかさ”が窺える登場です。
タクシン前首相の操り人形に納まるようなタイプではないようですが、そうすると今度は復権を目指すタクシン前首相との確執が・・・なんて、まだ随分先の話をしても仕方ないですね。