海外からは、昨日に引き続きコソボ関連のニュースが多数。
コソボのサチ首相は臨時議会で「コソボは独立した主権国家となることを宣言する。民主的、世俗的で多民族の国家となり、EU加盟を目指す」とアルバニア語で宣言を読み上げました。
しかし、国内に主数民族問題・分離独立運動などを抱える国々は、コソボ独立でそれらが刺激されるのを警戒して反対の姿勢をとっています。
台湾・チベット・ウイグルの問題を抱える中国、バスク分離運動を抱えるスペイン、タミル人のLTTEと戦闘状態にあるスリランカ、昨日とりあげたギリシャ・トルコ系住民の分断国家状態のキプロスなど。
一方、独立志向の強い台湾はコソボ独立を歓迎。
まさに、“波紋”という言葉がぴったりの状態です。
コソボの後ろ盾となっている、EU諸国・アメリカは独立承認に動いています。
アメリカはライス長官が正式承認を声明。
EU内ではスペイン・キプロスなどが反対の立場を崩していませんが、「独立不支持」を表明していた6カ国のうちブルガリアは「承認を検討」、スロバキアは「4カ月以内に判断」と軟化しているようです。
EU諸国は、“民族浄化”や“強制収容所”という言葉で過去の悪夢を思い起こさせたミロシェビッチのセルビアをNATO軍による空爆で叩き、今日のセルビア・コソボの状態をつくった当事者ですから、傍観という訳にはいかないのでしょう。
EUは18日、ブリュッセルで外相理事会を開き、総勢2000人規模の文民使節団のコソボ派遣開始を承認、
国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)に代わり6月中旬から新国家の行政・司法を監督する役割を担う予定です。
ロシアは「UNMIKが権限を手放すなら新たな決議が必要」と非難していますが、EUは、UNMIKの存在を形式的に残し、その権限をEUが実質的に取って代わるという法運用でこの条項を切り抜けようとしているとか。
EUがこうした“奇策”を使ってまでコソボ独立支援にこだわる背景には、第1次世界大戦の発火点にもなった「西バルカンの紛争の火種を恒久的に封印する」(サルコジ仏大統領)という欧州諸国の強い決意があるとも報じられています。【2月19日 読売】
最大の後ろ盾アメリカは、「米国は全当事者に対し、最大限自制し、いかなる挑発行為も控えるよう求める」と、コソボ領内のセルビア人保護に配慮するように意見してはいるようです。
国歌もセルビア人を刺激するのでアルバニア語のものは止めて、ベートーベンの“歓喜の歌”にさせるとか・・・。
サチ首相とセイディウ大統領は演説の一部にセルビア語を使って「少数派の権利を保障する」などと話し、セルビア人への配慮を見せたそうですが、この配慮が国民末端まで徹底されるのか・・・。
一方のロシアは、同じスラブ系というセルビアへの親近感もありますが、この問題を通じて国際政治上の存在感を誇示する思惑だそうで、“コソボが独立を認められるのなら、こちらだって・・・”という理屈で、旧ソ連近隣国からの独立を目指す「非承認国家」(分離派地域)に対する支援を強め、旧ソ連圏での勢力回復も狙うとか。
具体的には、グルジアのアブハジアと南オセチア、モルドバの沿ドニエストルといった親ロ的な分離独立派地域があります。
(ルーマニアとウクライナにはさまれた緑部分がモルドバ)
モルドバはもともと隣国ルーマニアと一体となった地域で、民族・言語的にもほぼルーマニアと共通したものがあります。
極力簡単に言うと、歴史的にはオスマントルコ、帝政ロシア、ルーマニア、ソ連と支配者が変遷し、91年のソ連崩壊時にモルドバ共和国として独立しました。
(モルドバについては、服部倫卓氏の“ユーラシア巡見” http://www.geocities.jp/hmichitaka/g200611moldova.pdfに詳しく、参考にさせていただきました。)
しかし、国の東部に位置するドニエスル川東岸地域(別称:トランスニストリア、トランスドニエストル)にはロシア人・ウクライナ人が多く居住しており(ルーマニア(モルドバ)人、ロシア人、ウクライナ人が各々約30%)、91年に「沿ドニエストル共和国」として独立を主張、ロシア・ウクライナ・沿ドニエストル合同の平和維持軍によって停戦監視が行われています。
グルジアのアブハジアと南オセチア同様、国際的には国家として承認されていませんが、モルドバの実効支配が及んでおらず、ロシアの傀儡政権的な状態にあります。
このトランスニストリアでは、06年に「モルドバ共和国から独立し、その後自発的にロシアに加入する」か、「独立を断念し、モルドバ共和国に加入する」か・・・という住民投票が実施され、前者は97%の圧倒的多数の賛成を集め、後者は95%の反対だったとか。
しかし、この投票は2~3倍に水増しされたか、全くの捏造であるとの調査報告があり、ロシア以外は認めていません。
モルドバは独立後の急速な市場経済化で従来の国営企業を中心とした経済体制が崩壊、“ヨーロッパの最貧国”と呼ばれる状態に陥りました。
現在、共産党が政権を担当し、現実的政策で少しずつ立て直してきてはいるようで、将来的にはEU加盟を目指しています。
それでも、世界銀行によると、1日1ドル以下で暮らす人が国民の2割、2ドル以下でみると6割弱を占める状態で、海外への出稼ぎで暮らしを支えていると言われています。
ただ、国家予算規模にも匹敵するこの海外からの送金のため、実際の暮らしは統計上の数字ほどひどくない・・・という見方もあります。
(モルドバの経済活動人口が140万人程度であるのに対し、国外での就業者は50万人~100万人。
これによりモルドバにもたらされる収入は年間10億ドル。
なお、2005 年の時点で、モルドバの国家予算の規模が12億ドル、商品輸出総額が11億ドル)
モルドバの窮状は、女性の「人身売買」の横行という問題でも常々話題になるところです。
「沿ドニエストル共和国」問題で対立するロシアは、天然ガス価格の値上げ、最大の輸出品であるワインの禁輸(国際的品質基準を満たしていないという理由)で、モルドバに圧力をかけており、苦しい経済を更に困難にしています。
先述のとおり、歴史的にも、民族・言語的にもルーマニアと一体的な関係にありますので、91年の独立時から、“将来的にはルーマニアとの統合”ということがモルドバ・ルーマニア双方に想定されていました。
しかし、ルーマニア自身がモルドバを支える余裕が経済的になかったことも背景にあって、別々の道を歩みました。
(現在でも、モルドバからの膨大な出稼ぎ労働者はルーマニアには殆ど向かいません。文化・言語が共通でもルーマニアには働き口がありませんから。)
その後の歩みのなかで、モルドバ側の“統合”への熱意は冷めてきているようです。
94年に採択された憲法はルーマニア語からモルドバ語へ変更され、国歌も変更されました。
96年には、公用語をルーマニア語に変えるという大統領提案も議会で否決されました。
一方のルーマニア側は、経済的にはモルドバほどひどくはないこともあってか、また、昨年1月にはEU加盟もはたしたこともあって、モルドバ統合の熱意はまだそれほど冷めていないようです。
06年7月にはルーマニアのバセスク大統領は「EU内でのルーマニアとモルドバの統合」実現に向けて、モルドバ国民への熱いメッセージを発表しています。
このあたりの空気は微妙なものがあります。
いくら近い関係にあるからと言って、すぐに“統合”に向かうものではないことは、卑近な例ですが、“平成の大合併”で見られたいろんな事案を見ればあきらかです。
私が暮らす奄美大島は旧名瀬市以外に3町・3村がありましたが、さんざん揉めた挙句、合併に応じたのは1町・1村だけでした。
近ければ近いで対抗意識もありますし、合併後の不安もあります。
国家同士でも話は似たようなものでしょう。
ルーマニアは、「沿ドニエストル共和国」を正当化させかねないとして、コソボ独立に反対してきました。
しかし、一方でバセスク大統領は、コソボ独立を容認する代わりに「トランスニストリアを分離したモルドバとルーマニアを統一するよう米露と協議中」と国内では報道されているそうです。【2月18日 IPS】
コソボの広げる波紋のひとつです。
コソボのサチ首相は臨時議会で「コソボは独立した主権国家となることを宣言する。民主的、世俗的で多民族の国家となり、EU加盟を目指す」とアルバニア語で宣言を読み上げました。
しかし、国内に主数民族問題・分離独立運動などを抱える国々は、コソボ独立でそれらが刺激されるのを警戒して反対の姿勢をとっています。
台湾・チベット・ウイグルの問題を抱える中国、バスク分離運動を抱えるスペイン、タミル人のLTTEと戦闘状態にあるスリランカ、昨日とりあげたギリシャ・トルコ系住民の分断国家状態のキプロスなど。
一方、独立志向の強い台湾はコソボ独立を歓迎。
まさに、“波紋”という言葉がぴったりの状態です。
コソボの後ろ盾となっている、EU諸国・アメリカは独立承認に動いています。
アメリカはライス長官が正式承認を声明。
EU内ではスペイン・キプロスなどが反対の立場を崩していませんが、「独立不支持」を表明していた6カ国のうちブルガリアは「承認を検討」、スロバキアは「4カ月以内に判断」と軟化しているようです。
EU諸国は、“民族浄化”や“強制収容所”という言葉で過去の悪夢を思い起こさせたミロシェビッチのセルビアをNATO軍による空爆で叩き、今日のセルビア・コソボの状態をつくった当事者ですから、傍観という訳にはいかないのでしょう。
EUは18日、ブリュッセルで外相理事会を開き、総勢2000人規模の文民使節団のコソボ派遣開始を承認、
国連コソボ暫定統治機構(UNMIK)に代わり6月中旬から新国家の行政・司法を監督する役割を担う予定です。
ロシアは「UNMIKが権限を手放すなら新たな決議が必要」と非難していますが、EUは、UNMIKの存在を形式的に残し、その権限をEUが実質的に取って代わるという法運用でこの条項を切り抜けようとしているとか。
EUがこうした“奇策”を使ってまでコソボ独立支援にこだわる背景には、第1次世界大戦の発火点にもなった「西バルカンの紛争の火種を恒久的に封印する」(サルコジ仏大統領)という欧州諸国の強い決意があるとも報じられています。【2月19日 読売】
最大の後ろ盾アメリカは、「米国は全当事者に対し、最大限自制し、いかなる挑発行為も控えるよう求める」と、コソボ領内のセルビア人保護に配慮するように意見してはいるようです。
国歌もセルビア人を刺激するのでアルバニア語のものは止めて、ベートーベンの“歓喜の歌”にさせるとか・・・。
サチ首相とセイディウ大統領は演説の一部にセルビア語を使って「少数派の権利を保障する」などと話し、セルビア人への配慮を見せたそうですが、この配慮が国民末端まで徹底されるのか・・・。
一方のロシアは、同じスラブ系というセルビアへの親近感もありますが、この問題を通じて国際政治上の存在感を誇示する思惑だそうで、“コソボが独立を認められるのなら、こちらだって・・・”という理屈で、旧ソ連近隣国からの独立を目指す「非承認国家」(分離派地域)に対する支援を強め、旧ソ連圏での勢力回復も狙うとか。
具体的には、グルジアのアブハジアと南オセチア、モルドバの沿ドニエストルといった親ロ的な分離独立派地域があります。
(ルーマニアとウクライナにはさまれた緑部分がモルドバ)
モルドバはもともと隣国ルーマニアと一体となった地域で、民族・言語的にもほぼルーマニアと共通したものがあります。
極力簡単に言うと、歴史的にはオスマントルコ、帝政ロシア、ルーマニア、ソ連と支配者が変遷し、91年のソ連崩壊時にモルドバ共和国として独立しました。
(モルドバについては、服部倫卓氏の“ユーラシア巡見” http://www.geocities.jp/hmichitaka/g200611moldova.pdfに詳しく、参考にさせていただきました。)
しかし、国の東部に位置するドニエスル川東岸地域(別称:トランスニストリア、トランスドニエストル)にはロシア人・ウクライナ人が多く居住しており(ルーマニア(モルドバ)人、ロシア人、ウクライナ人が各々約30%)、91年に「沿ドニエストル共和国」として独立を主張、ロシア・ウクライナ・沿ドニエストル合同の平和維持軍によって停戦監視が行われています。
グルジアのアブハジアと南オセチア同様、国際的には国家として承認されていませんが、モルドバの実効支配が及んでおらず、ロシアの傀儡政権的な状態にあります。
このトランスニストリアでは、06年に「モルドバ共和国から独立し、その後自発的にロシアに加入する」か、「独立を断念し、モルドバ共和国に加入する」か・・・という住民投票が実施され、前者は97%の圧倒的多数の賛成を集め、後者は95%の反対だったとか。
しかし、この投票は2~3倍に水増しされたか、全くの捏造であるとの調査報告があり、ロシア以外は認めていません。
モルドバは独立後の急速な市場経済化で従来の国営企業を中心とした経済体制が崩壊、“ヨーロッパの最貧国”と呼ばれる状態に陥りました。
現在、共産党が政権を担当し、現実的政策で少しずつ立て直してきてはいるようで、将来的にはEU加盟を目指しています。
それでも、世界銀行によると、1日1ドル以下で暮らす人が国民の2割、2ドル以下でみると6割弱を占める状態で、海外への出稼ぎで暮らしを支えていると言われています。
ただ、国家予算規模にも匹敵するこの海外からの送金のため、実際の暮らしは統計上の数字ほどひどくない・・・という見方もあります。
(モルドバの経済活動人口が140万人程度であるのに対し、国外での就業者は50万人~100万人。
これによりモルドバにもたらされる収入は年間10億ドル。
なお、2005 年の時点で、モルドバの国家予算の規模が12億ドル、商品輸出総額が11億ドル)
モルドバの窮状は、女性の「人身売買」の横行という問題でも常々話題になるところです。
「沿ドニエストル共和国」問題で対立するロシアは、天然ガス価格の値上げ、最大の輸出品であるワインの禁輸(国際的品質基準を満たしていないという理由)で、モルドバに圧力をかけており、苦しい経済を更に困難にしています。
先述のとおり、歴史的にも、民族・言語的にもルーマニアと一体的な関係にありますので、91年の独立時から、“将来的にはルーマニアとの統合”ということがモルドバ・ルーマニア双方に想定されていました。
しかし、ルーマニア自身がモルドバを支える余裕が経済的になかったことも背景にあって、別々の道を歩みました。
(現在でも、モルドバからの膨大な出稼ぎ労働者はルーマニアには殆ど向かいません。文化・言語が共通でもルーマニアには働き口がありませんから。)
その後の歩みのなかで、モルドバ側の“統合”への熱意は冷めてきているようです。
94年に採択された憲法はルーマニア語からモルドバ語へ変更され、国歌も変更されました。
96年には、公用語をルーマニア語に変えるという大統領提案も議会で否決されました。
一方のルーマニア側は、経済的にはモルドバほどひどくはないこともあってか、また、昨年1月にはEU加盟もはたしたこともあって、モルドバ統合の熱意はまだそれほど冷めていないようです。
06年7月にはルーマニアのバセスク大統領は「EU内でのルーマニアとモルドバの統合」実現に向けて、モルドバ国民への熱いメッセージを発表しています。
このあたりの空気は微妙なものがあります。
いくら近い関係にあるからと言って、すぐに“統合”に向かうものではないことは、卑近な例ですが、“平成の大合併”で見られたいろんな事案を見ればあきらかです。
私が暮らす奄美大島は旧名瀬市以外に3町・3村がありましたが、さんざん揉めた挙句、合併に応じたのは1町・1村だけでした。
近ければ近いで対抗意識もありますし、合併後の不安もあります。
国家同士でも話は似たようなものでしょう。
ルーマニアは、「沿ドニエストル共和国」を正当化させかねないとして、コソボ独立に反対してきました。
しかし、一方でバセスク大統領は、コソボ独立を容認する代わりに「トランスニストリアを分離したモルドバとルーマニアを統一するよう米露と協議中」と国内では報道されているそうです。【2月18日 IPS】
コソボの広げる波紋のひとつです。