孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

コソボ  残留するセルビア人 “国家”の条件

2008-02-10 14:51:16 | 国際情勢
今月3日に行われたセルビア大統領選挙の決選投票は、親欧米路線をとりEU加盟に積極的なタジッチ大統領が、極右民族派とも言われ、ロシアとの関係強化を重視するニコリッチを僅差で破り再任されました。
中央選管の暫定集計(開票率95・4%)によれば、タジッチ氏の得票率は50・5%、ニコリッチ氏は47・78%でした。

アルバニア人が90%ほどを占めるコソボ自治区の独立については、両者とも反対の立場は同じですが、実際独立に踏み切った際の対応にはおのずと差が出ることも考えられ、その結果が注目されていました。
もしセルビア民族主義的なニコリッチ氏勝利となれば、コソボ側は“もはやこれ以上待っても無駄”との判断で即日独立を表明するのではとも見られていましたが、ダジッチ大統領再任で、多少国際環境等を整えつつ・・・という状況になっています。

しかし、時間の問題であることにはかわりなく、セルビアのコソボ担当相は「サチ・コソボ自治州首相が17日に違法かつ一方的に独立宣言するとの情報を多数得ている」と述べ、国連筋も「独立宣言は17日の可能性が高い」としていると報道されています。
コソボのサチ首相は8日、「約100カ国から独立宣言直後に国家承認する用意があるとの確認を得ている」と述べています。

コソボ自治区は、1999年のコソボ紛争後セルビア人部隊が引き上げ、これに代わって国連コソボ暫定行政ミッション(UNMIK)の暫定統治下に入り、セルビアの実効支配が及ばない状態となっています。
「独立国ではない」ものの「特定国家の実効支配下にない」という非常にあいまいな地位に置かれたなかで、EU、ロシアを中心に、「独立国」とするのか「現状維持」でいくのか調停が行われましたが、結局結果を出せずに今日に至っています。
この間、コソボでは独立を押し進めるサチ氏が首相となり、一方的独立は既定路線となっていました。

卑近な例えになりますが、男女の仲でもどうしても折り合いがつかず、家庭内で暴力が振るわれるような家庭内別居状態で、あとは“籍を抜くかどうか”の問題だけ・・・といった状況では、籍を抜いて離婚し出直すしかないと思われるように、コソボについても、ここに至るまでのセルビア人とアルバニア人の確執を考えると修復は不可能で独立しか道はないように思われます。
コソボがセルビア人にとって、オスマントルコ時代に遡る民族揺籃の地であり、手放したくない事情はありますが。
(11月19日http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071119

もちろん、コソボ独立に関する懸念はいろいろあります。
コソボの大多数を占めるアルバニア人の民族的高揚が、“大アルバニア主義”の台頭となって、隣国アルバニアやマケドニア(アルバニア人が約25%)を巻き込んだ新たな火種になるのではないかという危惧があります。
現在のところ、コソボのサチ首相は「いかなる国とも合併しない。国境の変更には反対だ」と明確に否定しています。【1月27日 読売】
アルバニア首相も「コソボ住民は統一ではなくあくまで独立を望んでおり、その意思を尊重する。将来的な統一も考えておらず、国境の存在を順守する」と述べています。【2月6日 毎日】

コソボ独立を支持しているEUも、個々の国レベルとなると複雑です。
自国内に少数民族問題を抱えるスペイン、ルーマニア、キプロス、ギリシャ、スロバキアは、コソボ独立が自国内問題を刺激する恐れがあるとして反対あるいは慎重な姿勢をとっています。

一番懸念される問題は、独立後もコソボ領内に残るセルビア人の安全・地位がどのように保証されるのかという点です。
紛争当時のセルビア人からのアルバニア人虐待に対する“報復”・反動として、紛争後はアルバニア人からのコソボ内セルビア人に対する攻撃が多発しました。
セルビアが国際社会から非難された“民族浄化”の逆の動きが、コソボ内のセルビア人に襲い掛かっていました。
コソボの新首相となったサチ氏自信が、このようなアルバニア民族主義の先頭に立っていたKAL(コソボ解放軍)のリーダーであっただけに、今後のセルビア人の処遇が懸念されます。

かつてコソボに居住していたセルビア人の多くは、これまでに故郷を捨て、セルビアに移住しています。
現在なおコソボに残っているのは、移住するだけの余力がない弱い立場にある住民であるとも言えます。

*****コソボ残留、少数派セルビア人 孤立と無力感********
紛争前、村にはアルバニア系約1000人とセルビア人約500人が暮らしていた。紛争中も衝突は起きなかったがセルビア人のほとんどは紛争後、村を出ていった。今残るセルビア人は老人ばかり60人ほど。周囲からは完全に孤立している。
「川の向こうがアルバニア系地域で、こちらはセルビア人。あちらには新しい家がどんどん建つけど、こっちは空き家だらけ。学校だって……」。ツベタさん(84歳)は、廃校となったセルビア人の学校を指さしながら話した。
コソボが独立したら、生活保護がどうなるか誰も説明してくれない。でも、もうニュースには関心がない。「生きているのは苦痛なんだけど、残念なことに健康そのものなの」と冗談めかして話す声に力はなかった。【2月9日 毎日】
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この記事の最後に紹介されているセルビア人男性の言葉が、残留するセルビア人の気持ちを語っています。
「セルビアの政治家は毎日、テレビで『独立反対』を叫んでる。ベオグラードにいる彼らが口で言うのは簡単だが、我々はここに住んでいるんだ。みんな、自分たちに独立を止める力なんてないと分かっている。だから、独立したらどうなるんだろうなんて答えの出ない疑問を考えるのは、やめたんだ。」

EUは4日、コソボ自治州の独立に向け、支援要員らの派遣を正式に承認しました。
支援要員の一団は2000人規模で、主に警察および司法当局者によって構成されるそうです。
これらの要員はセルビア人との衝突を防ぐ目的もあるのでしょうか。
これまでも必ずしも充分に機能していたとも言いがたいKFOR(コソボにおいて治安維持を行う国際安全保障部隊)の活動は今後どうなるのでしょうか。

コソボが独立に向かうのは“時の流れ”でもあるでしょう。
しかし、コソボが“国家”たりうる最低条件は、領内のアルバニア人以外の国民に対する安全・地位を保証することです。
いまのところ、サチ首相の口からはこの点に関する発言が聞こえてきません。
1日も早く“独立国家”にふさわしい対応がコソボ側からあきらかになること、そしてそれが実行されることを切望します。

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