孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ベトナム  サパの少数民族

2008-05-07 23:56:59 | 世相

(サパの街を行く黒モン族のギャル “flickr”より By Mimi_K
http://www.flickr.com/photos/mimk/1343599079/ )

GWはベトナムのサパを中心に旅行していました。
サパはハノイから一晩寝台列車で中国国境方向へ入った山岳地帯に開けた街で、インドシナを支配したフランスが避暑地として開発したところです。
標高は1600mほどありますので、酷暑のこの時期でも朝晩はジャケットを羽織ったほうがすごしやすいくらいの気温です。

この街中いたるところで目にするのはモン族(中国ではミャオ族、タイ・ラオスではメオ族)の女性です。
この街に多いのは中でも黒モン族の女性で、黒い民族衣装とやはり黒い筒状の帽子が特徴的です。

外国人観光客向けのレストランやショップが集中するメインストリート“カウマイ通り”は、両脇には彼女達が作ったバッグや布を並べた露店がつらなります。
道を歩けばすぐに商品を目の前に広げられます。
立ち止まれば、大勢の彼女達(子供を含む)に取り囲まれることもしばしばあります。

ベトナムの多数派はキン族ですが、ほかに53の少数民族が暮らしています。
サパの街に溢れている黒モン族のほか、街では赤い被り物が特徴の赤ザオ族(中国ではヤオ族)の女性もよく目にします。
郊外にはタイ族、花モン族、黒ザオ族、ラオス系の人々が暮らす村々が点在し、これらの村をめぐるトレッキングがサパ観光のメイン商品です。
(私もこれらの村をバイクタクシーで訪れ村内を散策するといったことを旅行中繰り返していました。)

なかでも、サパから車で3時間ほど離れたバックハーという町で日曜日ごとに開かれるマーケットが目玉商品で、このマーッケトには実にカラフルな民族衣装(恐らく“カラフル”という点では世界中でもトップクラスの衣装です。)の花モン族の人々が大勢あつまり、そのカラフルさで目がチラチラする感じがするくらいです。

こうした多彩な少数民族を見ていると、“ベトナム人”というアイデンティーを確立することの難しさを想像します。
旅行前の4月29日のブログでもベトナム戦争に絡むモン族と多数派キン族の協力・敵対関係に触れましたが、そもそも彼ら少数民族が自分達のことを“ベトナム人”として本当に意識しているのだろうか?という疑問も感じます。

一方、多数派のキン族は彼をどのように見ているのでしょうか?
ハノイの民族学博物館にはベトナム中の少数民族の生活用品や写真、生活ぶりを再現した人形などが多数展示されています。
本来地味なこの博物館が驚くほど大勢の人々で溢れていました。(その理由は後述)
小さな子供をつれたお母さんは、少数民族の暮らしぶりを示すこれら展示を子供にどのように説明しているのでしょうか?

同質的な日本で暮らしていると、“日本人が暮らす日本という国”というのは自明のことのように思えますがベトナムをはじめ世界中の多く(殆ど)の国は、異質にも思えるような人々を内包しており、国家としての一体性、国民のアイデンティーというのはそれほど自明のものではありません。
おそらく、相当な努力が必要な概念でしょう。
その綻びは民族紛争として世界中で火を噴き、中国のチベット・ウイグル族の問題もまたしかりです。

ベトナムのサパに話をもどすと、黒モン族の人々の物売りの様子、必ずしも小奇麗とは言いがたいその衣装(郊外の田園地帯で目にするとそんな感じはしませんが、バイクや車で溢れた街中では彼女達の衣装には“違和感”も感じます。)を見るにつけ、国内での経済格差も想像できます。

ドイモイ政策で飛躍的な発展を続けるベトナムにあって、その恩恵は少数民族の村々に及んでいるのでしょうか?
平日に学校に行っていないようにも見られる子供達を見かけますが、平等な社会サービスを享受できているのでしょうか?(社会主義国ですが、学費負担ができず学校に行っていない少数民族の子供達も多いとも聞きます。)

もちろん、その実情は一介の旅行者などにわかるものではありません。
サパの街にはごみ箱を探す垢にまみれたようなモン族の親子もいます。
一方で、アイスクリームをなめながら歩くモン族の人々を見ると、必ずしも現金収入に困っている訳でもないようです。
少数民族も村に入ると、TV受信用のパラボナアンテナも目にします。
大きなテレビやりっぱなオーディオセットを持った住宅もあります。
その実態はよくわかりません。

サパの街、特にメインストリート“カウマイ通り”は一種異様な通りでもあります。
この通りではローカルフードの店は少なく、殆どはワイングラスやナプキンが小奇麗に飾られたヨーロッパタイプのレストランです。
みやげ物店と呼ぶよりは、画廊とかギャラリー、ブティックと呼んだほうがいいような店々です。

そうした店でくつろぐ西洋人、彼らに商品を差し出すモン族やザオ族の人々。
その様子ながめるキン族ベトナム人の観光客。
ちょっと異様な雰囲気も感じましたが、そんな見方はあまり“素直”ではないのでしょう。

ハノイの民族学博物館が大勢の人で溢れているといいましたが、そのひとつの理由はこの施設の敷地が“昔なつかしい”遊びを集めたテーマパークのように構成されていることかもしれません。
少数民族の家々などを再現した敷地では、シーソー、ぶらんこ、綱引き、竹馬、石蹴りなどの“昔なつかしい”遊びが体験できるようになっています。
中でも人気はバンブーダンスのようです。
子供と一緒に遊ぶ若いお母さん、お父さん。
ベトナムも少なくとも都市部では、日本同様、そんな“昔なつかしい”ものを楽しむ時代に入っているようです。

賑わう民族学博物館と対照的に静かなのがベトナム戦争勝利を記念した軍事歴史博物館や、植民地支配への抵抗運動を記録したホアロー収容所です。
撃墜されたアメリカ空軍機の残骸がオブジェとして残されている軍事歴史博物館。
フランス植民地支配の過酷さを物語るホアロー収容所。
ベトナム戦争や植民地支配も、経済成長を謳歌する現代のベトナムの人々の意識からは遠い存在となりつつあるのかも。
それは、しごく当然のことでもあるでしょう。

ホアロー収容所は“歴史”だけでなく、現在の“政治”をも反映して、その展示のかなりスペースを割いて、フランス・アメリカ国内で行われたベトナム戦争反対、ベトナム支援の市民運動の写真、アメリカ軍捕虜が極めて“人道的に”扱われていた様子(捕虜となったマケイン大統領候補が丁寧な治療を受ける様子など)が紹介されています。

一方で、欧米人観光客を案内していた現地ガイドが、さかんに“日本軍が・・・・”と言ったことを彼らに話していました。
拙い英語力では、また、少し離れたところにいましたので“ジャパン”という言葉しか聞き取れず、話の内容が不明ですが、恐らく日本軍の進駐時代に飢餓に苦しんだとか、フランス占領軍同様、ベトナム人を虐げた・・・とかいったような話ではなかったのかと思います。
(日本軍のせいで餓死者が多数出たといった話は南京事件同様の政治的プロパガンダだという主張もあります。一方で、“進駐したこと自体”をどう考えるか、現地に人々にとってどう考えられるか?という問題もあるかと思います。)

かつてのホアロー収容所の敷地の大部分は、現在ではハノイタワーズという高層ビルに生まれ変わっています。
ベトナムの経済成長を象徴する光景のようにも思えます。

成長は往々にして格差の拡大という代償を伴います。
多数派と少数民族の間の格差、多数派ベトナム人の間での時流に乗れる人とそうでない人の格差。

キューバではカストロ引退後自由化が進行して、おおむね好意的に国民に受入れらているようですが、格差の拡大を懸念する声もあるようです。
しかし、最悪なのは成長もない状態で格差・不平等だけがはびこる社会でしょう。

北朝鮮の金総書記がベトナム訪問を検討しているとか。
金総書記はベトナムのドイモイ政策を称賛したそうですが、自国の状態をどのように把握しているのでしょうか?

コメント
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