(クアラルンプール(KL)のチャイナタウンにあるヒンズー寺院“sri maha mariamman”
イスラム原理主義政党PASが治めるコタバルからKLに戻ると、チャイナタウンの安宿に泊まりました。朝食をとりにホテル近くを歩いているときこの寺院を目にしました。建物の装飾などは全く覚えていませんが、寺院のなかでぼんやりすごしたわずかな時間は今も覚えています。
“flickr”より By superciliousness
http://www.flickr.com/photos/superciliousness/125077655/)
【アブドラ首相、退任を表明】
マレーシアでは3月の総選挙で、それまで絶対多数を占めていた与党が3分の2を割り込み140議席(定数222議席)に後退。
与党の中核をなすマレー人組織「統一マレー国民組織」(UMNO)を率いるアブドラ首相の政権運営に対し、22年間にわたってマレーシアとUMNOを支配してきたマハティール前首相が辞任を求め、自らも5月にUMNOを離党する事態となっていました。
この事態に、6月13日、アブドラ首相は12月に予定されている党大会において党総裁選に出馬せず、首相の座をナジブ副首相に譲ることを明らかにしました。
マレーシアはマレー人(65%)の他、華人(25%)、インド人(7%)などからなる多民族国家で、マハティール前首相の掲げたマレー人優遇政策“ブミプトラ政策”によって国をまとめてきましたが、与党に反旗を翻したアンワル元首相が中心となる野党勢力の拡大で、この“ブミプトラ政策”がどうなるか注目されます。
(3月16日 http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080316)
【多民族国家における宗教問題】
民族の違いは、宗教・文化の違いとなって社会の軋轢を生みますが、これまで“マレー人=ムスリム”という大前提で、経済的に優位にある華人・インド人の協力を求めながら、マレー人の地位を引き上げていく“ブミプトラ政策”が採られてきました。
従って、イスラムからの改宗はこの体制の根幹を揺るがす問題であり、1月22日に取り上げた“リナ・ジョイの棄教問題”といった深刻な事態を招きます。
(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20080122)
最近目にしたのは、イスラムへの改宗に関する話題。
****ヒンズー教かイスラム教か、死者の埋葬方法めぐって当局と家族が対立*****
【6月27日 AFP】マレーシアで、自殺した男性の埋葬方法をめぐってヒンズー教徒の家族とイスラム教振興局が対立し、葬儀が行えない事態となっている。
男性は22日に自殺。イスラム教振興局は、男性はイスラム教に改宗しており、葬儀はイスラム教の儀式にのっとって行われるべきだとした。
これに対し男性の家族は、改宗については何も聞いておらず、男性はヒンズー教徒の教えを実践していたと主張。男性が死亡したことを警察に届け出た後で初めて、改宗とイスラム教での埋葬について聞かされたとしている。
男性の兄弟は、改宗の証拠として渡されたのは男性が書いたとされるメモだけで、メモには男性が書いたことを示す書名や指紋の押印もなく、改宗に立ち会った証人もいないと話している。
家族はペナン高等裁判所による仲裁を求めており、その間、男性の遺体は病院に安置されたままになっている。
マレーシアでは、イスラム教徒以外の家族の反対を押し切って当局が遺体を持ち去る問題が相次いでいる。
さまざまな文化的背景を持つ人々が住むマレーシアでは、イスラム教への改宗をめぐって家族に亀裂が生じ民族間の緊張が高まっていることを受け、政府が改宗に関する新しい法律を提案している。(c)AFP
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【多民族国家の今後は?】
日本は世界的に見て最も宗教色の薄い部類の国ですから、宗教・信仰の自由は当然のことのように思われますが、多くの国では難しい問題です。
特に、改宗や他宗派に対し“不寛容”(あるいは“厳格”)とも思われるイスラムと他宗教が共存するマレーシア社会ではいろいろな問題が生じます。
多数派とはいっても65%しかないマレー人の社会的地位が低下するようなことがあると、逆に宗教的主張は先鋭になることも予想されます。
また、野党勢力はアンワル元副首相の人民正義党(PKR)のほか、華人系主体の民主行動党(DAP)、イスラム原理主義の全マレーシア・イスラム党(PAS)(最近は中国系、インド系その他少数民族の権利や利益を認める大変革を図っているという話も聞きますが、どうでしょうか?)という寄り合い所帯ですので、恐らく宗教がらみの問題では統一的な対応は難しいかと思われます。
マレーシアは物見遊山の旅行などで一見すると多民族が協調して生活しているようにも見えます。
民族紛争が多発する世界において、ひとつのモデルのようにも見えるのですが、その実態はやはり難しいものがあるようです。
今後のマレーシアの動向は、ひとりマレーシアの問題に留まらず、異なる民族・文化がいかに共存できるかという大問題へのひとつの示唆になりうるのではないかと考えています。