孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

インドネシア  イジェン火口は遠く、夜のスラバヤに惑う

2013-07-28 17:22:56 | 東南アジア

(霧島・新燃岳火口・・・・ではなく、インドネシア・イジェン火口)

旅行業者にキャッチされて・・・
21日からインドネシア・ジャワ東部を旅行中です。
持参したノートPCが随分古い機種のせいか、WiFiが使えるはずのホテルでも接続ができないことが多く、ブログ更新はもちろん、ニュースの確認もできない日が続いていました。

せっかく重いPCを持ってきたのに・・・とも思いますが、「旅行中ぐらいはネット・ブログのことを忘れろ」との神の思し召しでしょうか。
今回は、インドネシアからの帰国の際の乗り継ぎで立ち寄った台北の空港でアップロードしています。

そんな事情で、世の中でどんなことが起きているのか全くわかりません。
そこで、旅行の話を少し。

23,24日にブロモ山を観光した後、25日はイジェン火口に近いセンポールという村のホテルに移動。

当初の予定では、今回旅行はガイドや“おまかせツアー”を使わず、一人でバスなどを乗り継いでまわるつもりでした。
実際、23日にマランからブロモ山入り口のプロボリンゴにバス移動するところまでは一人でやってきて、その後についても「何とかなりそう・・・」とも思っていました。

プロボリンゴ行きのバス車内で代金を払う際、「プロボリンゴまで1人」「ブロモ山に行くのか?」「はい」「おー・・・・」
というやり取りがあり、車掌はドライバーに「ブロモ」と告げ、ドライバーも「了解、ブロモ」ってな感じでした。

何が「おー・・・・」なのか・・・・「おー、いいね!」なのか、「おー、馬鹿じゃないか!」なのか(マランからプロボリンゴに迂回せずに、ダイレクトにブロモへ行くルートがあるのか・・・)そのときはわかりませんでした。

2時間ほどでプロボリンゴの街に入りましたが、終点のバスターミナル(そこからミニバスに乗り換えブロモへ向かう予定でした)ではなく、手前で降りるように突然言われました。なんのことかわからずと惑いましたが、車掌から「ブロモだろ?ここで降りて」と指示されます。
そこがブロモ行きのミニバスへの乗り継ぎ地点なのか・・・とも思い、とにかく降ります。

するとそこはある旅行代理店のオフィス前で、オフィス内に入るように促されます。
どうも、ブロモ周辺のツアーを扱う業者とバス側がつるんでおり、ブロモ方面に行く外国人旅行者は、バスからその業者に引き渡される仕組みのようです。それが「おー・・・・」の意味合いだったようです。

思わぬ展開のため、業者ペースで話が進み、結局、ブロモ山、イジェン火口のツアーを含めて、4日後にスラバヤに戻るまでをすべて含んだ形で任せることになりました。

価格は、この種のツアーとしては、かなり高めで手を打ってしまった感もあります。
ただ、一人で車をチャーターする場合に比べれば遥かに格安です。

センポールのホテルでは、部屋が足りないということで、やはり一人旅のノルウェー人のT氏と相部屋を頼まれました。相部屋は二十数年間の中国旅行以来です。そのときはドミトリーや相部屋前提の貧乏旅行でしたが。

T氏もやはりスラバヤからのバスで同じような経験をし、一人でまわるつもりが急遽業者手配に変更になったそうです。
英語が苦手な私ですが、翌日のイジェン火口ツアーが早朝3時起き、4時出発というスケジュールのため、チェックイン後、食事してシャワーを浴びたらすぐに就寝ということで、さほどの気詰まりはありません。
ただ、やはり何かと不便です。

ホテルはツアー業者と同系列のようですが、ドアのカギを閉めるときも、開けるときも一人ではどうにもならずスタッフを呼ばないといけない、夕食メニューはセットメニュー1種類のみ、シャワー途中に停電でお湯が止まってしまう、そうでなくてもお湯の温度調節がままならない・・・という有様でしたが、山奥の寒村の宿泊施設ですから贅沢も言えません。

イジェン火口、一応見ました
インドネシアといっても高地ですから、夜は毛布1枚では寒くて困りました。なお、ブロモ山のホテルのドアには「毛布を持ち出さないように」との注意書きがあります。早朝の日の出ツアーの際、寒さのあまり毛布を羽織って出かける客がいるようです。

朝4時出発で、5時前にイジェン火口登山口に到着。ガイドブックでは1時間ほどのややきつい上りとあります。
真っ暗な中を歩きはじめましたが、10mも上っただけで息があがってくる超虚弱体質のため、すぐにツアーメンバーの姿は見えなくなってしまいました。

8時までに車のところに戻るように言われています。
息も絶え絶え、“火口までは行けないかも・・・”と考えながら上ります。
この山道を地元の硫黄採取人は、火口で採取した60kgから100kg近い硫黄を天秤に担いで行き来しています。

持ち時間の半分を使った6時半時点で火口にたどり着けず、あきらめて下山しようと心を決めました。
そんなとき右手前方に噴煙のようなものが見えます。どうやら火口は近いようです。
もう15分ほど進んでみようと歩きだし、ようやく火口壁の一端にたどり着きました。

素敵な眺めではありますが、火山国日本でも見られる景色でもあります。
本当は火口壁を少し進み、硫黄採取が眺められるポイントまで行く(元気な人は火口の中へ降ります)のですが、時間が残り少なくなっています。

とりあえず写真を撮って、数分その場にとどまっただけで、「OK。火口湖も噴煙も見た。さあ、帰ろう」と引き返しました。
7時45分帰着。

今回は何とかなりましたが、体力を必要とするコースのツアーに健常者と一緒に参加するのは、虚弱な私には無理なようです。
費用的には4~5倍になっても一人用にアレンジしてもらわないと・・・と反省。

もっとも、8時になっても動く気配なく、8時半頃、中国系3人娘が戻るのを待って、何事もなかったように出発。
それなら、私も噴煙などよく見えるもっと奥の方まで行けたのに・・・という思いも。

私のホテルはどこ?】
昼食時間を含め6時間半のロングドライブでプロモボリンゴに戻り、例の業者のオフィスで下車。ここから通常のバスに乗り換え、スラバヤまで向かいます。

当日のスラバヤでのホテルを予約していなかったので、あの業者に頼んで手配してもらい、ホテル名を書きなぐったチケットと引き換えにホテル代約4000円ほどを渡したのですが、これが大失敗。

スラバヤ行きのバスが来る時刻で、急かされながらホテルのアドレスなど確認するのですが、タクシーのドライーにチケットを見せれば分かるから・・・とのこと。なんとかホテルの電話番号だけは書いてもらいましたが・・・。

ひどい交通渋滞で通常2時間のところを3時間半ほどかけてスラバヤに到着。6時半頃ですっかり暗くなっています。
ドライバーに例のチケットを見せても読めない様子。
聞いていた「ホテル・スラバヤ」とういう名前を伝えると、立派な「スラバヤ・プラザホテル」に連れていかれました。

「こんな立派なホテルじゃない」「でもスラバヤなんて知らない」と言ったやり取りを、言葉が通じないなかでやり、なんとか電話もしてもらいますが、これが通じません。

しかたなく、下車して「スラバヤ・プラザホテル」で同様のやり取りを。
忙しいなかを、数名のスタッフが電話で問い合わせたり、ネットで調べたりしてくれましたが、ホテル名が読めない、電話はつながらないということでお手上げ。

私も最初はパニックっていましたが、いろいろやってもらううちに落ち着き、別の安宿を探すことにしました。
金額的にはたいした額ではありませんが、だまされたのか・・・という思いで後味がよくありません。(悪意ではなく、何かの手違いだったのかもしれませんが・・・)
数日間のツアーをアレンジしてもらったことで、また、時間もあまりなかったことで、信用して先払いしてしまった私のミスです。

ただ、どうせ戻ってこない外国人相手ならなにをしても・・・という感覚に寒い思いがします。
もちろん、旅行中多くのインドネシアの方の親切に触れたことは言うまでもありません。

いろいろ思うこと、その後の話もありますが、搭乗時間が迫っており、バッテリー残量もないので、とりあえずここまで。(帰国途中、乗り継ぎの台北の空港で)
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