(映画「キリングフィールド」は、カンボジアでアメリカ人記者の助手として働いていたカンボジア人がポル・ポト支配のカンボジアに残されて経験する苦難とアメリカ人記者との絆を描いたものでしたが・・・・)
【アメリカ、アフガニスタン政府、タリバン、三者の確執】
アフガニスタンからの14年末までの米軍撤退を控えて、カタールの首都ドーハにタリバンの対外連絡事務所が先月開設されたことで、アメリカ、アフガニスタン政府、タリバンの間の和平に向けた交渉の動きも一時見られましたが、三者の確執が露呈する形で、交渉は中断しています。
****タリバン和平交渉:開始の見通し立たず 米政府代表帰国へ****
アフガニスタンの旧支配勢力タリバンとの和平へ向けた交渉で、米政府代表を務めるドビンス国務省特別代表(アフガニスタン・パキスタン担当)は27日、訪問先のインド・ニューデリーで会見し、交渉開始の見通しが立っていないことを明らかにした。
タリバンとの交渉に臨むため今月22日に中東・カタール入りしたが、インド訪問後はカタールへ戻らず、欧州経由で米国に帰国するという。
ドビンス氏は「我々は、協議したいのかどうかタリバン側の返答を待っているところ」と述べた。タリバンは18日にカタールに交渉窓口の事務所を開いている。【6月28日 毎日】
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交渉相手のタリバンとの関係だけでなく、アメリカとアフガニスタン政府・カルザイ大統領の関係も、どちらが主導権を持つかでぎくしゃくしています。
****アフガン完全撤退を検討=カルザイ氏との関係悪化―米紙****
米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は8日、オバマ大統領がアフガニスタン駐留米軍の撤退を加速させ、2014年末のアフガンへの治安権限移譲後は、部隊を完全撤退させることを真剣に検討していると伝えた。
米欧当局者の話として報じた。アフガンのカルザイ大統領との最近の関係悪化で、オバマ大統領が不満を強めていることが背景にあるという。【7月9日 時事】
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戦闘部隊が14年末に撤退を完了した後、アフガニスタン国軍の教育・訓練を担当するアメリカを中心とする国際部隊が編成される見通しですが、駐留米軍の地位を定める安全保障協定において、アフガニスタン国内法によるアメリカ兵士の訴追を免責する条項をアメリカ側が求めており、これに難色を示すアフガニスタンとの交渉は進展していません。
アメリカ国内の事情として、財政難から駐留規模を抑えたいオバマ大統領側と、治安の混乱を憂慮し規模を大きくしたい米軍側の意見対立もあるとも言われています。
そんなこんなで、14年末以降の方針は不透明な状況ですが、カルザイ大統領がアメリカとタリバンの直接交渉に激怒するなど、アフガニスタン政府側の自己主張の強さに、オバマ大統領としては「アメリカはもう手を引く。あとはアフガニスタンの好きにすればいい」と、いささか辟易しているといったところでしょう。
アメリカ側はカルザイ大統領の統治能力を全く信頼していませんし、カルザイ大統領は米軍の誤爆などを批判することで国民の支持をつなごうとしていますので、もともと両者の間には信頼関係はありません。
交渉が進まないなかで、タリバンの対外連絡事務所も一時閉鎖となってしまいました。
****タリバン、事務所を一時閉鎖=「約束違えられた」―カタール****
アフガニスタンの反政府勢力タリバンは9日、カタールの首都ドーハに開設した対外連絡事務所を一時閉鎖すると発表した。事務所に掲げたタリバン統治時代の国旗などを撤去させられたことに反発したものとみられる。AFP通信が報じた。
パキスタンに拠点を置くタリバン関係者は閉鎖の理由について「約束が違えられた。米国、アフガン両政府とその他関係者の不誠実さに不満を抱いている」と説明した。【7月10日 時事】
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交渉に向けた方針が、組織的に混乱しているとも言われるタリバン内部でも必ずしも統一されていないのでは・・・という感もあります。
【「ビザをもらえず、米軍がいなくなったら、もうおしまいだ」】
そんな状況で、14年末以降の枠組みは依然不透明なままですが、どんな形になるにせよ時期が来ればアメリカなど外国勢力は撤退します。
帰る国がある米軍はそれでいいのですが、あとに残されたアフガニスタン国民はそのときの枠組みのなかで生きていくしかありません。
タリバンが統一政府的なものに参加するかどうかはわかりませんが、おそらく14年末以降、タリバンが大きな力を持つのではないかと思われているなかで、通訳として米軍などに協力した人々は、“報復”の恐怖を感じています。
そのため、アメリカなどへの移住を希望していますが、なかなかそれも難しいようです。
****アフガン人通訳、米軍撤退に恐々 母国に残れば命の危険****
アフガニスタンで10年以上続く米軍の軍事作戦を陰で支えたのは、最盛期で9千人に上ったアフガン人通訳たちだ。反米色が強まる母国に残れば、米軍撤退後に命を狙われる可能性がある。米国移住の希望がかなう日を、息を潜めて待ちわびている。
「タリバーンはいつか必ず首都にやって来る。その時、自分は真っ先に狙われる」。アフガン北部の米軍基地に所属する通訳ムハンマドさん(25=仮名)の中で米軍撤退後への不安が日に日に膨らんでいる。
基地で寝泊まりしながら、米兵30人ほどの小隊とともに、装甲車で巡回に出るのが日課。米軍の軍服とヘルメット、防弾チョッキ姿。米兵と違うのは、銃を持っていないことと、サングラスやマスクで必ず顔を隠している点だ。
通訳としての2年間の任務を通じて思い知らされたのは「米軍はほとんど誰からも歓迎されていない」という現実だった。村を歩けば「異教徒」「売国奴」と罵声を浴びる。「自分が母国のために働いているとは誰も思ってくれない。同じタリバーンと戦う国軍兵士とは、そこが大きく異なる」と話す。
敵襲よりも恐ろしいのは、自分が米軍で働いている事実を第三者に知られることだ。基地を出た通訳が襲われた例は「数え切れない」。
数カ月前、小隊が軍用車で移動中、誤って村人をはねた。怒った村人が鉄の棒を持って車列を取り囲んだ。あわてて車から飛び出したため、サングラスとマスクをつけることができなかった。「素顔を見られた以上、もうこの仕事は長く続けられない」と思った。
米軍での通訳は、家族の生活のために始めた。一般公務員の月給が200ドル(約2万円)ほどなのに対し、月給千ドル(約10万円)は魅力的だった。しかし、最盛期10万人近い兵力を抱えた米軍は、アフガン側に治安権限が完全移譲される2014年末に向けて削減を始め、今は6万人余りに減った。それに合わせて9千人いた現地通訳はほぼ半減した。オバマ政権は、14年末での完全撤退も検討している。
仕事にあぶれる仲間が相次ぐ中、月給が700ドルほどに下げられた。それでも通訳を辞めないのは「もう少し働けば、米国への移民ビザをもらえるのでは」と信じているからだ。
米国は通訳らを対象に、13年度までの5年間、毎年1500人を上限に特別移民ビザを発給する方針を打ち出している。ムハンマドさんも上官の推薦状を添えて申し込んだが、まだ米国大使館の返事はない。数カ月でビザを発給された仲間もいるが、何年も待っている通訳もいる。
「どこでどう線引きされているのか、まったく分からない。ビザをもらえず、米軍がいなくなったら、もうおしまいだ。運が悪かったというしかない」。ムハンマドさんは天を仰いだ。(カブール=武石英史郎)
■派兵の各国、処遇に課題
アフガンに派兵し、2014年末の期限に向けて撤退を進める各国にとって、アフガン人通訳をどう処遇するかは、共通して直面する課題だ。
比較的平穏な中部バーミヤン州に約150人を派兵してきたニュージーランドは今年4月、通訳とその家族計約95人に移民ビザを与えた。ニュージーランドでの歓迎ぶりは、アフガンでも大々的に報じられた。
英国は派兵数で米国に次ぐ。イラク戦争後は多くの通訳の移住を受け入れたが、アフガン人の受け入れには消極的だった。しかし、アフガン人元通訳3人がイラク人同様の扱いを求めて提訴。署名運動も広がり、今年6月に通訳600人に限って受け入れることを決めた。
多くの国は受け入れの際、「前線で働いていた」など厳しい条件をつけており、希望者数に対して受け入れ枠は少ない。人材派遣会社を通じた間接雇用の人は認められない場合があり、通訳と同じ危険を抱える運転手や事務職は対象外のことも多い。
仮に移住できたとしても苦労は続く。米軍通訳として6年働き、4年前に移民ビザを得て渡米したウスマンさん(27=仮名)は、ガソリンスタンドやスーパーなど職を転々。カブールに残した妻に移民ビザが出るのを待つ日々だ。
同じ時期に米国に渡った元通訳の中には、高収入を求め、今度は正式な米軍要員としてアフガンの米軍基地に戻った人も多い。
しかし、ウスマンさんは「アフガンに戻ろうとは思わない」と言う。「米国生活はいいことばかりじゃない。妻がなじめるかどうかも分からない。ただ、米国には安全がある。アフガンには命の保証がない」【7月16日 朝日】
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ベトナム戦争後のベトナムやラオスでも、またイラクでも、アメリカ撤退後に現地に残された人々の苦労は多々あります。
アメリカには「アメリカはもう手を引く。あとはアフガニスタンの好きにすればいい」とは言えない、撤退後の枠組みをつくり、移住希望者は受け入れる責任があります。