孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

日中関係  中国には「反日」と日本への関心が併存 日本には“強いが魅力がない”中国へのとまどい

2018-02-05 22:01:49 | 中国

(日本鬼子ロボット【2016年7月17日 日刊サイゾー】 “嫌われ者のはずの日本鬼子が、まるで人気キャラのような扱い” とか、“あまり悪意のない、普通のこと”とも。また、中国国内にも“アホなことを・・・”といった批判も多々あるようです。)

根強い反日的空気も・・・日本鬼子ロボット
日本と中国の間の国民感情に関し、中国側からの“日本は嫌いだったけど、日本に行ってみたらすごかった! 清潔で、ルールが守られ、細やかな配慮がなされており、日中間の距離を痛感した”的な「日本スゴイ」系の記事は毎日多々目にします。

実際、日本に対して評価を見直すような声が多々あるのか、それとも、日系メディアによって、日本人が喜びそうな「日本スゴイ」系の記事が意図的に選択されているのか・・・そこらへんはいつも迷うところです。

おそらく、両方の側面があるのでしょうが。

一方で、むき出しの「反日」的な動きに関する記事はあまり目にしませんが、中国侵略はまだ数十年前の記憶であり、歴史問題・領土問題を抱え、政治経済で競い合うような関係にもある現在、中国人の間に日本を嫌う空気がなくなった訳でもありません。

「日本スゴイ」系の話でも、冒頭部に“日本は嫌いだったけど”とか“日本へ行くことを批判する人が多いけど”といった言葉が付くことが多いことからも、そのあたりの雰囲気はわかります。

そうした空気を改めて認識させてくれるような記事が。

****農民が開発した「日本鬼子」ロボ、中国人のニーズを汲み取り億万長者に=中国****
(中略)記事が紹介しているのは河南省洛陽市の農民が開発した「日本鬼子」ロボットだ。日本鬼子とは日本人に対する蔑称であり、往々にして旧日本軍の兵士を指す言葉として使われる。

この農民が開発した日本鬼子ロボットは簡単に言えば「人力車」であり、旧日本軍の兵士の格好をしたロボットに人力車を引かせるというものだ。中国人からすれば、「中国人が乗った車を旧日本軍の兵士が引いて走る」という構図が爽快に思えるようだ。

記事は、日本鬼子ロボットは「話をすることができるなど、他の最先端のロボットのような機能はなく、単に人が乗れる台座を引く機能しかない」としながらも、人力車を引く日本鬼子は旧日本軍の軍服のような服を着て、苦しそうな表情を浮かべていると紹介。

多くの中国人は日本鬼子ロボットを見ると「人力車に乗りたい」と願い、実際に乗る人が多かったことから商売は大繁盛したと伝えている。

具体的な金額は紹介されていないが、億万長者になったと伝えていることから、日本鬼子ロボットの開発で大きな成功を得たのは間違いなさそうだ。【2月5日 Searchina】
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日本人としては「どうしてこんなヘイト的なものが許されるのか?」と不愉快な気分にさせられる話ではありますが、現実には向き合う必要があります。

そこで、今日1日だけで目にした日中関係に関する記事を、上記を含めていくつか。

日本に対する強い関心も
上記記事の“口直し”に、「日本スゴイ」系の記事を。

****驚異的!中国人女優の「東京攻略」がネットで大反響****
2018年2月4日、中国版ツイッター・微博(ウェイボー)に投稿された「5泊6日の東京旅行がたったの1900元(約3万3000円)で済んだ!」との情報が大反響を呼んだ。投稿者は中国人女優の晁然(チャオ・ラン)。「日本東京攻略!」と銘打ち、旅を安く上げるテクニックを紹介している。

投稿によると、1900元に含まれるのは往復の航空料金と新宿での宿泊費で、これは中国国内を旅するより安い費用なのだという。

晁然は自身がどうやって格安航空券を手に入れたか紹介するとともに、「格安航空会社を利用する時は荷物の重量オーバーに注意して」とアドバイス。

宿泊先に関しては「日本のホテルは料金が高めで客室は狭い」と民泊の利用を勧め、「じっくり探せばきっと素晴らしい部屋が見つかる。民泊体験が旅の大切な思い出になるかもしれない」などとつづっている。(中略)

この投稿には、1日余りで4万件を超える“いいね”が付き、5万回以上シェアされている。

コメントも1万5000件以上寄せられており、中には「2000元しないなんて驚異的」「ちょうど日本旅行を計画していたところ。感謝!」「絶対に日本に行ってみる。できれば来年の卒業旅行で!」「日本語ができなくても問題なく個人で旅行できるかな」などの書き込みが見られた。【2月5日 Record china】
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話の肝要な点は、「5泊6日の東京旅行がたったの1900元(約3万3000円)で済んだ!」ということではなく、“コメントも1万5000件以上寄せられており”ということから、日本への強い関心がうかがえることです。

(蛇足ながら、日本から上海・北京への旅行についても、国内移動の必要がない東京・大阪の人なら、半年前ぐらいに格安航空券を2万円以下で入手し、ドミみたいな格安宿泊施設を利用し、上海・北京の中だけで極力バス・地下鉄を利用して観光する・・・といった旅行なら、5泊6日4万円も可能かも。高額ツアーより面白いかも。ただし、中国は観光スポットの入場料がバカ高いという問題がありますので、3万3000円は難しいでしょう。)

日本製品ボイコットの声もあるものの、現実経済関係では不可能との認識も
反日的な空気も存在する中国では、日本製品をボイコットすべき・・・との声も一部からあがるようですが、現在の日中間の経済的な深い関係からして、そうした主張はナンセンスだとの冷静な分析も。

****中国人は日本製品をボイコットできるか? 現代ではもはや「不可能」=中国メディア****
尖閣諸島(中国名:釣魚島)問題をきっかけに、数年前に中国全土に広がった日本製品の不買運動。このごろは落ち着いており、むしろ日本製品の爆買いが話題になった時期もあるが、ネット上ではいまだに日本製品をリストアップしてボイコットを呼びかける人もいるようだ。

中国メディアの今日頭条は1日、「日本製品のボイコットは中国人は実行できるか」と題する記事を掲載した。中国人筆者は日本製品ボイコットについて「決して反対はしないし、むしろ興味がある」としているが、現実的に実行できるか否かを考察している。

記事によれば、不買リストにはあらゆる日本製品が列挙されており、たとえば、日本メーカーの「デジタルカメラ」もあるが、サムスンで代用するように勧められているという。しかし記事は、サムスンのカメラには日本企業の技術が使われており、ボイコットにはならないと指摘した。

また、ネット上には多くの「日本製品ボイコット」に関する写真が掲載されているが、写りの良い写真は「間違いなく日本の一眼レフカメラで撮ったもの」だと指摘。撮られている人は、日本のカメラで撮るなと叫ぶべきところだと矛盾を指摘した。

では、中国市場では日本メーカーをほぼ見かけなくなったスマートフォンではどうだろうか。記事は、スマホの部品の多くが日本製品だと指摘。中国メーカーであっても、センサーやカメラのイメージセンサー、画面など、スマホの要となる部品のほとんどで、日本製品が使われていると伝えた。

では、100%の日本製品ボイコットは不可能なのだろうか。記事は、日本製品ボイコットの歴史は長く、袁世凱の時代からあるが、当時の中国は自給自足の時代だったため日本製品ボイコットは容易だったと説明。グローバル化の進んだ現代では、もはや「不可能」であると指摘した。

記事の結論は実にまっとうであり、ボイコットがいかに非理性的な行為であるかがよく分かる。とはいえ、反日は感情的な問題であり、やはりこの先もボイコットの波がやってくるのかもしれない。【2月5日 Searchina】
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【「中国>日本」という力関係のもとで、尊敬できる要素を欠き、価値観も共有できない中国と、どのようにつきあっていくか
日本製品に囲まれながらも、反日を口にしたくなる一部中国人のとまどいもあるようですが、日本の側にも、政治・経済的影響力を急速に拡大(おそらく今後はさらに拡大)する中国・中国人に対するとまどいがあるようにも見えます。

****強い”はずなのに魅力ゼロの中国とどう付き合うか****
これまで5年間勤務してきた多摩大学の非常勤講師の職を離れることになり、先日最後の講義を終えた。(中略)

私たち中国ライターは、日常的に「中国とどう付き合うべきか」といった質問を受けることが多い。なので、講義でもひとまず日中関係史のような内容を喋っていたが、果たして大学教育の水準に見合う話だったのかは現在も悩ましいところだ。
 
ただ、中国は変化のスピードが速い。5年前の2012年度と現在の2017年度を比べると、似たような講義をしていても学生側に顕著な肌感覚の違いを感じたことは興味深かった。特徴的な部分を挙げると以下のような点だ。

(1)中国の「反日」の話題への関心が薄れた
過去、中国で大規模な反日デモが起きたのは小泉政権下の2005年、菅政権下の2010年、野田政権下の2012年の3回だ。学生が仮に受講時点で19歳(2年生)とすれば、2012年度の学生は12歳・17歳・19歳と成長段階ごとに中国の反日デモのニュースに触れてきたいっぽう、2017年度の学生は最後の反日デモの記憶が14歳のときになる。関心の度合いが違うのも納得だろう。

(2)「中国人は金持ち」という認識がうっすら共有されるようになった
2012年は中国のGDPが日本を追い抜いて2年しか経っておらず、また円安誘導やインバウンド誘致も本格化していなかった時期なので、日本の一般人の生活から中国の豊かさを感じることは現在よりもずっと少なかった。
 
だが、それから5年を経て学生がバイト先などで中国人の観光客やその消費行動を目の当たりにするようになったせいか、現在は「中国人は金持ち」という認識がうっすら共有されるようになった印象がある(もちろん、中国国内には現在でも「金持ち」とは程遠い生活水準の人が山ほどいるのだが)。

(3)中国製品はいまでも信用されていないが、ハイテク分野は評価が上がった
2017年現在でも、学生に言わせれば中国の製品やサービスは「質が悪い」「パクリ」という認識が強い。ただ、ファーウェイのスマホやレノボのPCがすっかり市民権を得たためか、ハイテク分野に対する評価はこの5年間で明確に上がった。

(4)中国人留学生が文革や天安門事件など中国の負の歴史に関心を示さなくなった
講義には一定数の中国人留学生が交じっている。2012年度時点では「文革」「天安門」は怖いもの見たさ半分の興味を刺激されるテーマだったらしく、身を乗り出して話を聞こうとする留学生もいたが、2017年度になると無関心な学生が増えた。また、2017年には習近平を手放しで賛美するようなレポートを書いてくる留学生まで出るようになった。
 
私が接した範囲内では、中国のその他の社会問題を指摘する話題も最近の中国人留学生にはあまり好まれないようだ。

彼らに喜ばれがちなのは、中国の国際的影響力の増大やニューエコノミーの発展といった「中国スゴイ」系の話題である。1990年代末に生まれた彼らが非常に無邪気に自国の社会や政治体制を肯定している姿は、一世代以上前の中国人と比べると信じられないと言うしかない。

私が多摩大にいた5年間はほぼ、習近平政権の第1期目と重複している。年度ごとの学生の違いもあるので過度な一般化は禁物だが、習政権の成立以降の中国の変化は、やはり日本の小さな私立大学の教室にすらも及んでいたと思わざるを得ない。

中国に上から目線で「期待」したり「失望」したりできた時代
ところで、私が講義の締めくくりで必ず言及してきたのが、近代の日本人の中国観の変化だ。(中略)

前近代までの日中関係は、文化の面でも国力の面でも、日本が中国を仰ぎ見る状態が長く続いた。(中略)

これが変わるのは幕末以降である。日本人が中国大陸に渡航し、漢籍の世界とは異なるリアルな中国社会や中国人の「ダメさ」が知られはじめたためだ。

やがて1894年の日清戦争で日中間の力関係が名実ともに逆転し、さらに西洋化を先んじて果たした日本に中国人のエリートたちが学びに来る時代を迎えると、いよいよ「日本>中国」という、近代型の日中関係がはじまっていく。
 
とはいえ、漢文や中国古典は日本の知識人の基礎的な教養だったので、その文化的祖国である中国へのリスペクトは近代以降も存在し続けた。

むしろ、本来は「スゴイ国」であるはずの中国の実態が、どこからどう見ても「ダメな国」であることへの戸惑いや苛立ちが、その後の日本人の中国観を独特なものにしたと言っていい。
 
加えて中国国内でナショナリズム(≒「反日」的心情)が勃興した1920年代以降は、「ダメな国」のくせに日本に牙をむく中国の頑迷さや生意気さに対する憎悪も強まるようになった。(中略)

近代以降の日本では、ダメな中国をズバッと変えてくれそうな事件(辛亥革命、国民党の北伐、「新中国」の建国や文化大革命、天安門事件や中国民主化運動あたりが代表的だ)が起きるたびに、それらに期待する親中的な世論が盛り上がり、それが裏切られると一転して中国への失望が強まって、中国蔑視論や暴支膺懲(ようちょう)的な強硬論が力を持つという現象も反復的に発生してきた。
 
過去の事例に照らせば、日本人が中国の変化に期待しすぎたり、中国の「生意気」な行動に過度に怒りをつのらせることは、日中関係に混乱を招きやすい。

長年染み付いた中国への上から目線を排して、革命だの民主化だの日中友好だのといった耳障りのいい言葉に期待せず、かといって傲慢な振る舞いにも短絡的に怒らず、冷静に中国と向き合う姿勢が好ましいのではなかろうか――?

持ちネタが通じなくなった
……とまあ、そんな話が2010年代前半ごろまでの私の持ちネタだった。だが、ここ数年間で、上記のような話は「中国とどう付き合うべきか」という問いへの回答として適切とは言えなくなった感がある。
 
その理由は、1894年から2010年前後まで存在した「日本>中国」という図式が、もはや成立しなくなったからだ。中国のGDPはすでに日本の2倍以上に達し、国際政治・経済における影響力は日本を明確に上回るようになった。

もちろん中国国内には社会矛盾が山積みで、一般庶民の生活水準も人権状況もまったく先進国の水準に届いていないのだが、それでも国家としての存在感は大きい。

2010年代になり東アジアのトップランナーが日本から中国に移り変わったことは、単純な数字の面だけではなく、ちょっと海外に行ってみるだけでも明らかに感じ取れる話だ。
 
中国を賛美するにせよ嫌うにせよ、また「日中友好」路線にせよ「暴支膺懲」路線にせよ、日本人が上から目線で中国を眺めて、日本主導で日中関係をコントロールできると考えてきた「長い20世紀」はもう終わってしまったのである。

「強い」のに全然魅力がない中華人民共和国
「長い20世紀」の約120年間は、北九州の奴国(なこく)の王様が漢の金印をもらってから2000年間におよぶ日中関係史のわずか6%程度の期間でしかない。

歴史的に見れば「日本>中国」という力関係のほうがイレギュラーな状態で、今後の日本が中国の後塵を拝していくのは、むしろ本来のポジションに戻るだけだという見方もできる。
 
ただ、前近代と2010年以降の日中関係では決定的に違う点がある。すなわち、前近代の日本人は中国の先進性にあこがれて、かの国の道徳や哲学や国家体制や統治理論や芸術や文学その他もろもろに、やたらに惹かれていた。

昔の人が中国を日本よりも「上」の国だと考えたのは、こうした文化大国としての魅力に抗しがたかったからでもあるのだ。(中略)

しかしながら、現代の中華人民共和国にこの手の魅力は全然ない。一般的な日本人にとって、道徳的な面で中国を模範にするべき点は皆無に等しく、その国家体制や人民の統治理論も参考にできない(むしろ参考にしてはいけない)。他のソフトパワーの面でも、強く惹かれるものは感じづらいはずだろう。
 
現代の強者である中華人民共和国の「魅力」は、やたらと派手に札ビラを切っていることと、スタートアップやイノベーションが活発でおもしろいこと(これも結局はカネの話だ)ぐらいで、実に即物的で薄っぺらいアピールポイントしかない。

ほか、近年の中国のものごとの決定速度と大胆さは魅力的だが、それに惹かれる日本人の絶対数は決して多くない。(中略)

習近平政権が掲げる「中国の夢」や「中華民族の偉大なる復興」は、もしかしたら中国人だけは幸せにできる考えかもしれず、ゆえに庶民からも割と支持されている。

しかし、他国の人間には共感できる要素が全然見つからないイデオロギーだ。(中略)

しかも現代の中国は「強い」はずなのに不安定で、持続可能性にも難がある。

日本やアメリカなら仮に総理大臣や大統領が暗殺されても国家体制は動揺しないが、中国は習近平が失脚したり暗殺されるだけで、国や社会の安定がいきなり損なわれかねない。一見すると強そうなのに内部で無理をしすぎている帝国が意外とあっさり滅びる事例は、秦帝国しかり隋帝国しかり、過去にいくらでもある話だ。

「今後の中国とどう付き合うか」は答えられません
今後の日本は、ここ120年間すっかりご無沙汰だった「中国>日本」という力関係のもとで、過去の王朝時代と違って魅力や尊敬できる要素をまったく感じられず、かといって近代以降の人権感覚や民主主義の基本的価値観も共有しておらず、しかもかなりの不安定さをはらんでいる(なのにカネと力だけはあるっぽい)中国と接していかなくてはいけない。

「中国とどう付き合うか」という問いも、このように日中関係が前例のない状態になっている以上、回答は非常に難しそうだ。事実、私は今年度の講義の最後では「自分としては答えはわからないです」と言って教室から出てきたのであった。(後略)【2月5日 安田 峰俊氏 文春オンライン】
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最後に蛇足で付け加えれば、“魅力や尊敬できる要素をまったく感じられず・・・”という中国ですが、実際に“5泊6日4万円”みたいな、中国人と接する機会の多い旅行を経験すれば、“魅力・尊敬”はともかく、そう毛嫌いする相手ではないかも・・・ぐらいには思えるかも。
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