O氏とスクーター2台でツーリングに出た。
10時に待ち合わせて御前崎へ。
国道150号線は、いつものように田舎の幹線道路として活気があった。
海岸線に沿うように伸びる道路を走る我々。
潮の香を嗅ぎながら上ったり下ったりする。
海には7~8隻の漁船団が等間隔をとり波を側面に受けて我々と平行に向かっていく姿が見える。
気温は低いが春の明るい陽が差し風もなく絶好のツーリング日和だ。
高台に設置された灯台の脇の小さな料理屋で昼食にした。
窓から見渡せる海には、沖合いに航行する船舶と岩場に群れて羽を休める鵜の姿があった。いずれも止まっているように見え波だけが動いている。
この店の刺身は非常識なほど大きい。だが、それがとても質感を感じさせた。1口では食べきれず何度もワサビ醤油をつけて食べる。そのあと口に入れるご飯がまた美味しく感じられた。
今日はO氏にとって、ほぼ3年半ぶりのツーリングだ。
O氏は平成14年8月に第1回目の平成15年6月に第4回目の手術を受けていた。
網膜はく離を起こしレーザー治療を受けたのだ。
左目の視力は回復することはなく、かろうじて明るさのみが感じられる。
だが、それ以上に彼を苦しめたのは治療後の痛みである。
眼球の痛みは頭全体に広がり顔の左側にもピリピリとした痛みが走るという。
痛みは彼から趣味を奪っていった。読書、音楽鑑賞、そしてオートバイ。いつしか他人との接触すら煩わしいものとなっていた。最近までは園芸をすることが、ほぼ唯一の暮らしの光明であった。
しかし今日はツーリングに出てくる気になったのだ。
痛みは無くなったわけではないが、それまで仮死状態に凍結されていた「オートバイに乗りたい」という気持ちが甦りツーリングの後に出てくる痛みを覚悟して、それを乗り越え突き動かせる自分があった。
気力の勝利と言えよう。
私は前を走りO氏は私の右後を走る。これはO氏の左目をカバーする意味もありO氏の自信回復に役立ったようである。
「やっぱり、いいね2輪は」と感嘆する。
私はO氏の喜びに満ちた表情と声の調子で彼の心が見えた。
嬉しかった。
昼食後しばらく私が先導する形をとった。しかし彼の仕事上のテリトリーに入ったとたん彼は私を先導して走るようになった。
彼はセンターラインに寄って走る。やはり左目の不利をカバーするには、これしかないであろう。
なんのなんのいい走りである。
信号で止まり私が彼に近づくと彼はヘルメットのバイザーを上げて
「仕事で走っていたときと全く景色が違う」と言った。
私はヘルメットを被ったまま大笑いをした。
その後骨董屋兼喫茶店でコーヒーを呑み私の友人陶芸家の家に寄った。
もう遅いと思っていた桜トンネルも味わうことが出来た。
別れ際に鳴らした彼のホーンの音が輝いていたように感じた。
私はバックミラーから消えて行く彼に向かって精一杯左手を大きく振った。
帰宅して見るとトリップメーターは133.5キロを示していた。
気力の回復は、生活の、そして生きていく力の回復を示す。
彼の回復は私にも良い影響を与えてくれる。
私も彼から生きていく力をもらった。
10時に待ち合わせて御前崎へ。
国道150号線は、いつものように田舎の幹線道路として活気があった。
海岸線に沿うように伸びる道路を走る我々。
潮の香を嗅ぎながら上ったり下ったりする。
海には7~8隻の漁船団が等間隔をとり波を側面に受けて我々と平行に向かっていく姿が見える。
気温は低いが春の明るい陽が差し風もなく絶好のツーリング日和だ。
高台に設置された灯台の脇の小さな料理屋で昼食にした。
窓から見渡せる海には、沖合いに航行する船舶と岩場に群れて羽を休める鵜の姿があった。いずれも止まっているように見え波だけが動いている。
この店の刺身は非常識なほど大きい。だが、それがとても質感を感じさせた。1口では食べきれず何度もワサビ醤油をつけて食べる。そのあと口に入れるご飯がまた美味しく感じられた。
今日はO氏にとって、ほぼ3年半ぶりのツーリングだ。
O氏は平成14年8月に第1回目の平成15年6月に第4回目の手術を受けていた。
網膜はく離を起こしレーザー治療を受けたのだ。
左目の視力は回復することはなく、かろうじて明るさのみが感じられる。
だが、それ以上に彼を苦しめたのは治療後の痛みである。
眼球の痛みは頭全体に広がり顔の左側にもピリピリとした痛みが走るという。
痛みは彼から趣味を奪っていった。読書、音楽鑑賞、そしてオートバイ。いつしか他人との接触すら煩わしいものとなっていた。最近までは園芸をすることが、ほぼ唯一の暮らしの光明であった。
しかし今日はツーリングに出てくる気になったのだ。
痛みは無くなったわけではないが、それまで仮死状態に凍結されていた「オートバイに乗りたい」という気持ちが甦りツーリングの後に出てくる痛みを覚悟して、それを乗り越え突き動かせる自分があった。
気力の勝利と言えよう。
私は前を走りO氏は私の右後を走る。これはO氏の左目をカバーする意味もありO氏の自信回復に役立ったようである。
「やっぱり、いいね2輪は」と感嘆する。
私はO氏の喜びに満ちた表情と声の調子で彼の心が見えた。
嬉しかった。
昼食後しばらく私が先導する形をとった。しかし彼の仕事上のテリトリーに入ったとたん彼は私を先導して走るようになった。
彼はセンターラインに寄って走る。やはり左目の不利をカバーするには、これしかないであろう。
なんのなんのいい走りである。
信号で止まり私が彼に近づくと彼はヘルメットのバイザーを上げて
「仕事で走っていたときと全く景色が違う」と言った。
私はヘルメットを被ったまま大笑いをした。
その後骨董屋兼喫茶店でコーヒーを呑み私の友人陶芸家の家に寄った。
もう遅いと思っていた桜トンネルも味わうことが出来た。
別れ際に鳴らした彼のホーンの音が輝いていたように感じた。
私はバックミラーから消えて行く彼に向かって精一杯左手を大きく振った。
帰宅して見るとトリップメーターは133.5キロを示していた。
気力の回復は、生活の、そして生きていく力の回復を示す。
彼の回復は私にも良い影響を与えてくれる。
私も彼から生きていく力をもらった。