家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

2006-12-09 08:22:32 | Weblog
カイロプラクティックに一緒に通っているマイク(日本人)と話した。
治療を終えて居間にある囲炉裏に移動した。

炭に火が着けられていた。

マイク
「黒い炭が赤くなり、やがて白い灰になる。これは日本の美の色だと思う。日本人は古より丹頂鶴のような配色を好み城や家なども、そのような色で造られている。それは武士の精神にも通じるものがあると思われる。白装束をまとった侍、噴出す真っ赤な血、真っ黒なざんばら髪。切腹のシーンだ。こんなところにも現れている気がする」
という意味のことを言った。

私は以前旅行先での薪ストーブを思い出していた。

薪をくべると炎が出る。
勢い良く燃え上がる。
そして炎が無くなり薪は少しの灰と濃い赤の増した状態となる。

そのとき今の自分の姿を見たような気がしたのだ。

炎はとても美しいが今の自分は、そこを通り越して少し灰の出ている状態。
つまりストーブの中の今の状態ではないのかなと。

勢いこそ無くなっているが、まだ充分に熱量は有り煙はもう立たなくなっている。

そして赤の色としては、こちらの方が上品なのではないかなと思った。

マイクは
「日本人は、いろいろなところに自分を見つけ人生を垣間見るものだ」と教えてくれた。


老いることは美しくなっていくことでもあるような気がする。

ただ、うわべだけは醜くなっていくことも事実だ。