家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

春野でぎっくり

2012-12-24 08:30:44 | Weblog
こらえてもズルズルと落ちていく斜面で間伐して放置された丸太を短く切っては下に落とす作業をしていた。

終わってみると少し背中が痛かった。

夏の間に同じことをしても何ともなかったものが冷たい風の通り過ぎる寒い日陰でこの時期作業したのが悪かったか。

翌々日痛みがなくなり再び春野で作業の続きをしようとした。

まずは自宅用のポリタンクに飲み水を汲んで持ち上げようとしたその時・・・。

やってしまった。

ぎっくり腰だ。

家の中に戻って少し横になろうと思った。

室温は3.3℃。

いくら横になるといっても、この気温では冷えてしまう。

だが焚きつけ用の葉を取りに行けない。

しかたなく、そのまま寝袋の中に入ってしばらくじっとしていた。

20分後少し楽になったので杉の枯葉を拾ってきてストーブを点けた。

室内温度が上がり今度は楽に寝袋に収まった。

昼近くになり持ってきた弁当を食べてY爺さんに連絡した。

すぐに駆けつけてくれて水の入ったポリタンクを車に入れて門の施錠をしてくれた。

私は車に乗り込もうと思うのだが左足が痛くて上がらない。

激痛に耐えて上がらない左足を床に当てながら入れ続いて右足も手の助けを使って入れた。

車のドアを閉めてくれるY爺さんの心配そうな顔をあとに出発した。

ブレーキを踏む左足が重くて仕方がない。

左足のかかとを固定してつま先だけを転回させてブレーキを操った。

カーブで身体が傾くと痛い。

こんな日に限ってガソリン残量が少なく帰宅前に注入する必要があった。

やっとの思いで自宅のベッドにたどり着いた。

今日は妻は習い物に行っていて留守だ。

自宅は灯油ストーブだからスイッチひとつで楽に点火できる。

ベッドに入ってしばらくするとマロ君が見に来た。

妻の枕の上で心配そうに見守ってくれている。

布団を持ち上げると入ってきてくれた。

通常なら決して入ってこないのだが今回は特別なようだ。

その姿や声で癒してくれているが今日はゴロゴロとのどから発する低周波で私の患部を治してくれる。

そっとのぞいてみたが、やはり眠ってはいない。

だが外にも出てゆかない。

妻が戻ってきてマロチンは妻に後を任せるかのように出て行った。

食事の用意が整ったがベッドから出るのが一苦労だった。

どのように足を動かしてよいのか忘れてしまったかのように痛みの少ない方法を試みるのだが、そのようなものはない。

涙を滲ませて食卓に着く。

食欲はあり身体が一定の場所にあって動かさねば痛みもこない。

夜は困った。

一定姿勢で寝ていると身体が痛くなるから寝返りを打つ必要がある。

その時には強い閃光に目を覆い隠し同時に瞬間的な激痛が全身を走りぬける。

うめき声が出て涙が搾り出される。

たびたび妻を起こしてしまった。

マロ君も妻の布団に入り見守ってくれたが今度はちゃんと眠っていた。

ほぼ夜中ほとんど眠れなかった。

翌朝を向かえて眠れなかったにもかかわらず少し体の調子が良くなっていることに喜びを感じた。

子供が、できなかったことができるようになったように、というより老化現象から少し回復できたように動きが良くなった。

90歳から80歳に戻れた気持ちだ。

少しでも治りを良くするために恐怖のベッドに戻らなくてはいけない。

左足を少しでも動かそうとすると激痛が走る。

体を突き抜ける痛みは、それでも涙を伴うことはなくなった。

ただし右側ばかりを下にして寝ているので右耳が頭と枕で挟まれて痛くて仕方がない。

こんなに何度も寝返りをしていたのかと、あらためて驚いた。

一瞬で起き上がれば痛みも一瞬なのだが、そうもいかない。

徐々に起き上がるしかなく、その間痛みは何度も私を襲う。

腕を動かす時にも実は腰を使っていたのだと実感した。

こんなにひどいぎっくり腰は何年ぶりだろう。

家の近くでの作業ではなくチェーンソーで作業している時に起きたら、どうなっていたかと創造すると少し背筋が寒い。

作業をしているときには汗をかき少しじっとしていると、もう寒い。

そんな環境での作業は難しい。

いつも通りの蒲団が、とても重く感じる。

今はベッドでの闘いが私の仕事。