家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

熱海を楽しむ

2016-05-19 08:10:32 | Weblog
車仲間に熱海に詳しい男が居る。

仕事で熱海に来てから20年だという。

彼の後ろをついていくと

「なんて坂の多い街なのだ」と感じる。

目的地までは曲がりくねって、とんでもない方向から行くしかない。

チンプンカンプンの地理だが慣れれば特徴がモロにあるから間違えようのない道路になるのだろう。

道路が狭くて曲がっているから注意深く走らないと、すぐに渋滞してしまいそうだ。

すれ違う場所を常に意識して走る。

宿泊するホテルの前の道が最も狭かった。

上からタクシーが2台来て私が止まっていると、そこに歩きの観光客が来てその上スクーターが降りてきてテンヤワンヤになった。

が、落ち着いて譲り合ってあっという間に通れるようになった。

熱海は、こうしてずいぶん前から譲り合って生きてきたということはすぐに体感した。

夕方皆で夕食に焼き鳥屋に入った。

熱海の彼が予約してくれてあったから待ち時間なく当然座れた。

カウンターは我々だけで占領する形になった。

ぶっきらぼうなオヤジが愛想もなく焼いては出してくれる。

オヤジの出す皿をこちらから回してそれぞれの前に置いて食べる。

レバーが特に美味しかった。

普通のレバーが、いかに焼きすぎているか分かった。

フワフワトロトロの肉を食べたあとの生ビールが口の中をキレイに片付けてくれて次の肉を要求する。

部屋に戻り皆と再びアルコール。

急いで屋上の温泉に行った。

今夜は熱海の花火の日なのだ。

湯船から花火が見られたら贅沢だなと思っていたのだ。

たしかに湯船からの花火は綺麗だった。

だが見知らぬ老人と一緒なので話は楽しかったがロマンティックのかけらもなかった。

再び部屋に戻って10階の窓から目の前に打ち上がる火の芸術を見た。

音が耳を通って身体中に響き爆風が腹筋を貫いて背骨を揺らせた。

目まぐるしく打ち上がる花火は、それでも今までよりは質が落ちたと聞いた。

あのぶっきらぼうのオヤジが話好きで明るい人と聞いた。