家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

1000年

2006-02-28 09:37:03 | Weblog
1000年という年月の流れを実感することは難しい。

最近その年月の重さを目で確かめることができた。
その根拠は樹齢である。

樹は1000年以上行き続けることができる。

1000年も立ち続けている樹を見ると畏敬の念がごく自然に湧いてくる。
とても切り倒そうなどとは考えつきもしない。

人間は高々100年生きるか生きないかの存在である。

「男系男子」という継続してきた重さを感じた。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
長寿 (ラビット)
2006-02-28 13:11:09
縄文杉は何年生きるのだろう 次回、屋久島に行ったら会ってみようと思っています
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ラビット様 (無職無収)
2006-03-01 09:40:06
「会う」という感覚がいいですね。

樹木は何も語ってくれませんが風雪に長年耐えてきた、その姿を見れば会う価値はあったと思うのでしょうね。
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