遠州森町の森山焼きの展示会があった。
「炎の芸術」というタイトルに相応しい作品が並んでいた。
7つの窯元はもちろんのこと地元の高校生の作品も中央に置かれていた。
会場には高校生とその親達の姿も見られた。
地元の窯元が直接生徒を指導するといううらやましい環境での作品には若々しさと柔軟な考えが表れている。
しかしやはり稚拙な感は否めない。
そこへいくと本職の作品は、さすがな物ばかりだ。
使用する物としての価値が充分に出ていると共に使い手の心を満たすだけの姿をしている。
特に我が友人の曉雲窯の鈴木恵三氏の作品には毎回驚くものがある。
彼は赤焼きの次男として新しい窯を起こしたが赤を愛し心の奥底から赤を知り尽くしていると思われる。
最近の彼の作品には白色の釉薬が使われている。
赤から白に転じたのでは決してない。
白を使って赤をより美しい物に変えているのだ。
器全体の赤もきれいだが器の一部にある赤が、これが素晴らしい。
赤は赤を主張するのに白い中にあるべきだとも感じられるほどだ。
小さな赤い部分が全体の中で大きな役割を果たす。
彼の作りだすカーブや太さ細さが、いちいち私の琴線に触れる。
何代にも渡って受けつながれたDNAの中にあって、それが自然と出てくるものと思わざるを得ない。
「あの消火器の赤は少し朱色に発色しましたね」と帰りがけに彼に冗談を言ってみた。
会場には彼以外にも窯元が来ていたので少し微妙な冗談だったが。
「そう。なかなか難しかったよ」と笑って答えた。
友人として贔屓目(ひいきめ)で見ているのではないことは彼の作品を直接見ればすぐに理解できる。
「炎の芸術」というタイトルに相応しい作品が並んでいた。
7つの窯元はもちろんのこと地元の高校生の作品も中央に置かれていた。
会場には高校生とその親達の姿も見られた。
地元の窯元が直接生徒を指導するといううらやましい環境での作品には若々しさと柔軟な考えが表れている。
しかしやはり稚拙な感は否めない。
そこへいくと本職の作品は、さすがな物ばかりだ。
使用する物としての価値が充分に出ていると共に使い手の心を満たすだけの姿をしている。
特に我が友人の曉雲窯の鈴木恵三氏の作品には毎回驚くものがある。
彼は赤焼きの次男として新しい窯を起こしたが赤を愛し心の奥底から赤を知り尽くしていると思われる。
最近の彼の作品には白色の釉薬が使われている。
赤から白に転じたのでは決してない。
白を使って赤をより美しい物に変えているのだ。
器全体の赤もきれいだが器の一部にある赤が、これが素晴らしい。
赤は赤を主張するのに白い中にあるべきだとも感じられるほどだ。
小さな赤い部分が全体の中で大きな役割を果たす。
彼の作りだすカーブや太さ細さが、いちいち私の琴線に触れる。
何代にも渡って受けつながれたDNAの中にあって、それが自然と出てくるものと思わざるを得ない。
「あの消火器の赤は少し朱色に発色しましたね」と帰りがけに彼に冗談を言ってみた。
会場には彼以外にも窯元が来ていたので少し微妙な冗談だったが。
「そう。なかなか難しかったよ」と笑って答えた。
友人として贔屓目(ひいきめ)で見ているのではないことは彼の作品を直接見ればすぐに理解できる。
中でも弟は素晴らしい。
陶芸以外でも時々その才能を垣間見ます。
神の不公平さを感じる瞬間でもあります。