11月15日に女優三田佳子さんの涙ながらの記者会見をTVで見ました。次男の覚せい剤逮捕(3度目)に対して「すべては私たち夫婦の養育、教育の失敗」と謝罪し、最後に「…息子をどう更正されればよいかわからず、一晩中泣いていました」と目の腫れもない、いつもの美しいお顔で語っていました。(決して皮肉ではありません。でもねたみ?)<o:p></o:p>
同年代の息子を持つ身として、なんだか見ていて切なかったです。職業のためとはいえ、27歳の息子の後始末を世間のみなさまにお詫びしなければならないことに。できれば本人が謝罪して欲しかったです。そして悪い芽が出た最初の頃に、親や周囲の毅然とした態度で未然に防ぐことはできなかったのでしょうか。<o:p></o:p>
また今日は元光GENJIメンバーの覚せい剤所持による有罪判決が出ていました。彼は「離婚のあと、息子に会えなくてつらかった」と言ったそうですが、「その息子につらい思いをさせてしまった」のは皮肉なことです。芸能界だけでなく、若い人たちの間で安易にドラッグが使われていることはとても心配です。<o:p></o:p>
ここで少しことばの説明です。医学的には、アルコール、ニコチン、シンナー、覚せい剤などを使用して精神や行動に可逆的な変化が起こることを「中毒」と言い、それらの物質の使用が本人のおもうままにならなくなり(コントロール喪失)、日常生活に支障が生じる状態を「依存」と呼びます。一方臨床心理学では一連の症状を「物質関連障害」と称し「物質を摂取して起こるすべての精神と行動の障害」と位置づけています。心理学では身体的な要素はあまり考えないようです。(参考:『臨床心理学キーワード』坂野雄二編集、有斐閣双書)<o:p></o:p>
合併症としてほとんどの物質において「うつ病」が見られます。三田さんの次男も「うつ病で入院・・・」と説明していましたね。ドラッグで一時的に高揚したあと、気分が低下するのは当然といえば当然です。あるいはもともと落ち込んでいたり、感情表現が充分できなかったり、憂鬱感がある人が必要とし、使用により得た快感にはまってしまい、忘れられなくなるという状況もあるのでしょうか。<o:p></o:p>
現代のドラッグの使用を見るとなんでも手軽に手に入れたい、手に入るはず、という風潮を感じます。あまり昔と比較するのはいやですが、なんだかファーストフード店でハンバーガーを買うみたいなスピード感と手軽さが標準化しているみたいです。もともとは苦労して食べ物を得た時、子孫を残すべく相手を探し当てた時、あるいは一歩一歩進んで到達した山の頂で感じた達成感とか、スポーツで勝利した感激など、そんな時に得られる感情や感覚であったはず。もし脳と身体がそれを知っていれば、あるいはドラッグに頼ることもなかったのでは、と思ってしまいます。
<o:p>写真:半潜水艇「せと」の窓から見た奄美大島・大島海峡のさんご礁。太陽の光がゆらゆらして見にくいですね。でもとってもきれいでした。</o:p>
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