団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

棄権

2009年08月20日 | 日本再生

  選挙権を持って初めての選挙は学生のときでした。初めての選挙でもありどうしても選挙権を行使したかったこともあり住民票もなかったのですが、何らかの手続きをして(どうやったかは見事に忘れています。)京都で参議院議員の投票をしたことを覚えています。確か、青島さんが始めて全国区に立候補したときだったと記憶しています。
  それ以後、余程の理由が無い限りは殆どの選挙権を行使してきました。ところが、今度の衆議院選挙は今のところその意欲が全く湧きません。
  と言うのも、昨日の高速道路無料化でも書きましたが、自民・民主のどちらも選ぶ気がしないのです。どちらを選んでも日本の未来はなさそうな気がしてならないのです。どちらが政権をとって日本を駄目にするとしても国民の選択を受け入れて、もう、諦めて運命に身を任せるつもりです。どのみち、先はそれ程無いのですから。
  そんな気分の時、何時ものサイト順路の
武田邦彦 (中部大学)で武田さんが面白いことを書いていました。

  民主主義を守るのか?

  ・・・略

民主主義の3番目の要件は,間接民主主義だから,議員が「国民」の側に立たなければならない.簡単に言うと,納税者である国民の代表は税金をもらってはいけないということである.

でも,議員は年間2000万円以上の税金をもらい,黒塗りの車に乗って,絨毯の上を歩いている.彼等は国民の代表ではない.

私は8月の選挙は棄権する。私の選挙区には「税金をもらわず,選挙民の代表として働く」という候補者がいないから,投票に行けないのだ.つまり,選ぶべき代表者になる人がもともと立候補していないから,投票ができない.

民主主義が成立するためには,国民の一人一人が民主主義に対する信頼感があり,マスメディアや専門家がその社会的責任を果たし,議員が税金をもらわないことだろう.・・・以下略

  議員が報酬を貰わないのは理想でしょうが、そうなると甲斐性の無い人間は政治家になれないということになるので問題はありそうです。とは言いながらも、生活力の無い私のような人間が政治をやっても大したことは出来ないでしょうね。
  しかし、「選ぶべき代表者になる人がもともと立候補していないから、投票ができない。」と言うのには賛成です。
  国民のことも、国のことも考えずに自分のことしか考えていないような人を何故選ばなければならないのか分かりません。そう思いませんか。いっそのこと国民全員が棄権するか白紙で投票すれば面白いのに。

誰もやらないだろうなぁ!