第 126回の「子育ては母にかなうものなし」で世界の流れに逆らって日本の女性を家庭に取り戻 し、子育てや家事に専念してもらう方が余程大事だと書きました。
男親がどんなに頑張ったって母親の子供に対する愛情には勝てません。動物の本能がそういう風になってい るのですから、その能力を最大限に利用して素晴らしい家庭と子育てに頑張ってもらい、男は安心して外で働き 収入を家に持って帰れば良いのです。
実を言えば、こんなことを考えるようになったのは単身赴任を経験してからです。それまでは、食事の心配や子育 てなんて全く気にすることなく、仕事のことだけ考えていればよかった。
ところが、単身赴任したとたん、掃除洗濯から食事の心配までしなくてはならなくなり、毎日何を食べるか で頭が一杯で、仕事のことを考えるのは2の次になってしまいました。
それだけ、私の能力が無いと言えばそれまでですが、多かれ少なかれ単身赴任の人は同じような悩みを持っ ているのじゃないでしょうか。
その時、思ったのは、会社もバカなことをするもんだ、大事な給料払って、食事の心配で仕事がおろそかに なったのじゃ何をやってるか分からないのに気がつかないのだろうかと言うことでした。
この時は、つくづく、内助の功という言葉の大切さを痛感したものです。一方、女性にとっても、利益しか 興味のない会社で神経をすり減らすより、家庭を守って、亭主を手のひらの上で操っていた方がよっぽど良いと 思います。
特に、日本の男は仕事に没頭したいので、面倒くさいことは嫌います。給料は全部奥さんに渡してやりくり を任せるのが殆どでしょう。それに比べて、欧米ではレディファースト何ておだてておいて、給料は渡さず、生 活費をその都度渡すなんてのがほとんどだそうです。
そんな、表面は女性を立てているような風を装いながら、実際は信用して家計を任せることもしない国が盛 んに進める、女性の社会進出なんて体の良いこき 使いです。そんな風潮を取り入れずに、世界一女性の地位の高かった日本の習慣を取り戻した方が余程日本の将 来の為になりそうです。
そんな私の気持ちを又「日本の面影」 が見事に書いてくれています。
日本の面影よ り 10月17日
本 物の“大和撫子”入門 ③~ 我の否定、徹底した自己犠牲精神 新渡戸稲造『武士道』より
・・・略
『武士道は、同じく「自己 自身を女性の有する弱さから解き放ち、最も強く、かつ勇敢である男性にも決して負けない英雄的な武勇を示した」女性を讃えた。したがって若い娘たちは、感 情を抑制し、神経を鍛え、武器、特に長い柄の「薙刀(なぎなた)」と呼ばれる武器を操り、不慮の争いに対して自 己の身体を守れるように訓練された。
し かし、この種の武芸習得の主な動機は、戦場でそれを用いるためではない。それは二つの動機、すなわち一つは個人のためであり、もう一つは家のためであっ た。主君をもたない女性は自分の身を護る術を鍛えた。女性は夫たちが主君の実を護るのと同じくらいの熱意でわが 身を潔く守った。女性の武芸の家庭における 効用は、後に見るように息子たちの教育にあった。』…中略
【家庭において最高に重んじられた女性】
『武士道は二項方程式の基準を持っていた。つまり、女性の価値を戦場と家庭の、双方で測ろうとしたのだ。戦場に おいては、女性は全く重んじられることがな かった。だが家庭においては完全であった。女性に与えられた待遇は、この二重の尺度に対応していた。すなわち女性は社会的、あるいは政治的な存在としては 重要ではないが、他方、妻、あるいは母としては女性は最高の尊敬と深い愛情を受けていた。
ローマ人のように軍事的な国民の中で、母親たちがなぜあのように敬愛されたのか。それは彼女たちがまさしくマト ローナ(matrona)すなわち母親であったから ではないか。男性は女性を戦士、あるいは立法者としてではなく、自分たちの母親として、その前に謙虚に脱帽した のであった。そのことは私たち日本人とて同様である。
父や夫が出陣し、家は留守になりがちであったため、家の中のやりくりはすべて母や妻の手に委ねられていた。子女 の教育、時によっては家の防備も彼女たちに託された。私が先に述べた女性の武芸は、その子女の教育を賢明に実行 していくためのものであった。』
『私には、日本人の結婚についての考えは、ある点で、いわゆるキリスト教徒よりも遥かに進んでいると思われる。
「男と女は合いて一体となるべし」(創世記)
アングロ・サクソン人流の個人主義は夫 と妻が二人の人間である。とする考えから抜けられない。二人がいがみあう時、彼らにそれぞれ別の「権利」が認め られ、二人の気が合う時は、あらゆる種類の馬鹿馬鹿しい愛称や、あまり意味のない、甘い囁きを交わすことに費や される。
他人に対して夫や妻が、それぞれの半身のことを、それが善き半身であるか、悪しき半身であるかは別にして、かわ いい、聡明である、やさしい、などと語るのを聞くと、私たち日本人にはとてもわざとらしく聞こえる。』
『武士道に特別な徳目や教訓がサムライの階級だけに限られていたのではなかった、ということは驚くに当たらな い。このことは、武士道の感化が日本人すべてに行き渡っていた、ということ・・・』…以下略
どう考えても日本の方が優れているのじゃないでしょうか。安倍さんもこの辺りが解ってないのか、外で女性を活 用する経済何て言ってます。これじゃ、ますます子どもなんて増えませんよ。その挙句に、外国人を活用なんて言っ てたら日本の再生なんかまず無理でしょう。
女性の社会進出が少ないとか、政治家が少ないとか、管理職が少ない何て、世界の風潮に惑わされず世界一 女性を重んじる日本を取り戻しましょう。
ここは、安倍さんの考えに同意できないところだったのですが、その上に、靖国に参らなかったり、慰安婦問題に 冷淡なのじゃだんだん信じられなくなってしまいます。
金の亡者より日本の誇りを取り戻す事の方が余程大事なはずです。日本人は金儲けに狂うより家庭の幸せを大事 にする心がまだ残っているとは思いませんか。
何とか、杞憂であってくれることを願いたいものです。