日本の侵略戦争と非 難されている大東亜戦争がアメリカのルーズベルト大統領が反戦機運の高かったアメリカをイギリスのチャーチル首 相の望むヨーロッパ戦線に参戦したいために日本を戦争に引きずり込んだのはもう定説として知る人も多くなってき たようです。
そのルーズベルトもソ連のスターリンに操られていたことももはや多くの人が知るところとなってきているよう です。
そうは言いながらも、私も、その中身はもう一つ良く理解できていませんでした。
何時もの、平井 さんが詳しく取り上げてくれていました。平井さんは学生時代にアカに染まって刑務所にも入っていたが、後に目が覚めたと言う人だけあってアカの酷さは身に しみているようです。平井さんのように皆が目覚めてくれれば良いのですが、そうはいかないようですね。
ガツ ンと一発 平井修一
(6)の勝 田吉太郎の「大東亜戦争とコミンテルン」の論考に戻ろう。からの続きです。
コ ミンテルンの革命戦略(7) 2/17
振り返ってみると、1935 年のコミンテルン・テーゼは、中国革命を実現させ、中国共産党を勝利へ導くための、まことに見事な革命戦略だった。当時、中共は蒋介石の国民党軍に追われ て「長征」の途上におり、気息えんえんの状態にあった。その中共が1935年8月1日、「抗日救国のため全 国同胞に告ぐるの書」を発表した(注1)。
「8.1宣言」とも「抗日救国宣言」とも言われ、折から満州事変以来日増しに昂揚 していた反日感情と民族主義の波にのって、抗日民族統一戦線の結成、したがって国共合作を訴えたのである。
この宣言はコミンテルン・テーゼの「反 ファッショ人民戦線戦術に関する決議」に沿ったものであった。その眼目は、日、独、伊などファシズムを打倒する ため、共産党を中核として、社会主義勢力のみならず広汎な民族主義勢力を結集することにあった。
同時に帝国主義間の戦争を拡大させて、 (戦争を内乱へ転化させる)敗戦革命を促すというものであった。
「8.1宣言」以降、反日、排日、侮日が激しくなり、日本人虐殺事件も相次ぐよう になった。こうした中で1936年12月12日に有名な西安事件が起きた。中共軍討伐の督戦に来ていた蒋介 石国民政府主席が、配下の張学良指揮下の軍によって逮捕監禁されたのである。
張学良は中共にとりこまれており、蒋介 石に国共合作による抗日戦を強要した(注2)。蒋介石が具体的に何を了 承したのかは明瞭にはなっていないが、結果的に彼は釈放されて南京へ帰還した。
西安事件とその結果たる第二次国共合作 は中共にとって九死に一生を得るものとなった。さらに日中戦争を挑発し、日中戦争を利用して勢力を拡大し、つい に権力掌握に成功した。国共合作という「反ファッショ人民戦線」を演出したのはコミンテルンだった。
1937 年7月7日、盧溝橋事件が勃発する。夜間演習中の日本軍が銃弾射撃を受けたのだ。日本軍と国民党軍を戦わせるた めに中共が仕掛けたという説が有力だ。戦後 に中共軍の将校となった葛西純一によると、中共幹部で後に主席にまでなった劉少奇が党中央の指令に従って抗日救国学生の一団を使い、暗夜の盧溝橋で日中両 軍に向かって発砲し、支那事変を勃発させ、さらには大東亜戦争の導火線に火をつけたのだ。
コ ミンテルンの狙いは国民政府と日本を徹底的に戦わせて共倒れ状態に追い込むことであり、最終的に共産革命に導くことであった。当時わが国も蒋介石の中華民 国も、スターリンの指導するコミンテルンの世界革命戦略について、また中国共産党の工作や謀略について甚だしく 認識不足だった。
我が国の権力中枢の周辺に、意識的ない しは無自覚的にコミンテルンの手先の役を果たした共産主義者、元共産主義者の一群が蟠踞していたようである(注3)。枢軸国も連合国も結局はコミンテルンの仕掛けた罠にはまり、共産主義の膨 張のために互いに大量の血を流したことになるのではないか。将来の歴史家の研究を待つ。(おわり)…中略
注3) 当時の米国F.D.ルーズベルト政権の中枢にソ連のスパイが300人もいたという。いちばんの大物はモーゲンソー財務長官の補佐官ハリー・デクスター・ホ ワイトで、1930年代からGRUおよびKGBのスパイ・ネットワークに属し、ソ連諜報部に情報を提供し続 けていた。日本に対する実質的な最後通牒となっ た「ハル・ノート」の素案作成に携わったことでも知られる。
ホワイトは1948年に下院非米活動委員会に召還され、自身のソ連スパイ疑惑を否定した が、その直後に心臓麻痺で急死した。(2014/2/17)
これを読んでもまだ共産党を信じる人が いるのでしょうか。というか、洗脳されたものを解くのはそれだけ難しいのでしょうね。
それにしても、ルーズベルトのバカさ加減は並大抵じゃないですね。と今だから言えるので、後世に批判さ れる政治家も大変です。それだけ、人間のやることは間違いだらけということですね。
となると、世界平和なんて無理ですね。常に最悪の場合を考える必要があるのでしょう。