団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

どこまでも逃げる朝日と植村

2014年12月29日 | 朝日新聞

  朝日新聞の第三者委員会の報告書が出たようです。相変わらず逃げることしか考えていないようです。今回は何と、木村前社長に責任をかぶせているようです。
  一番のお仲間の毎日新聞も庇い立ては難しかったようです。

  毎日新聞より  2014年12月22日

   朝日慰安婦検証:「自己弁護が目立つ」第三者委報告書

  朝日新聞社が自社の慰安婦問題報道を検証するため設置した第三者委員会(委員長=中込秀樹・元名古屋高裁長官)は22日、報告書を発表した。同社は8 月の特集紙面で慰安婦を強制連行したと証言した吉田清治氏(故人)に関する記事を取り消したが、報告書は「自己弁護の姿勢が目立ち、謙虚な反省の態度も示 されなかった」と指摘。経営幹部が謝罪しないと決定したことなどを挙げ、「一般読者や社会の納得いく内容にならなかった」と責任を厳しく追及した。

  朝日新聞は8月5、6日に慰安婦報道に関する特集紙面を掲載し、1982年以降に掲載した「吉田証言」に関する記事16本を取り消すと表明したが、謝 罪はしなかった。報告書は、現代史家の秦郁彦さんが92年に吉田証言に対する疑問を示して以降、同社が現地取材などをしなかったことはジャーナリズムの在 り方として非難されるべきだと指摘。97年の特集紙面でも「真偽は確認できない」としたことに対し、「この時点で訂正か取り消し、謝罪をすべきだった」と した。

  今年8月の特集紙面掲載の際、1面で「おわび」をする方針だったものの、当時社長の木村伊量(ただかず)前社長が反対し、経営会議懇談会で謝罪しない ことを決めたと記載。「初報から約32年後の取り消しとなった理由を示すのが読者への誠実な態度だった」と批判した。経営幹部の紙面編集への関与はあり得 るとしつつ、「謝罪しないと判断したのは誤り。編集部門には反対の者がおり、真摯(しんし)に受け止めるべきだった」と述べた。

  報告書は、特集紙面に謝罪がないことを批判したジャーナリスト、池上彰さんのコラムが一時掲載見送りとなった問題にも触れた。木村前社長は9月の記者 会見で「見送りの判断は編集担当の取締役」と述べたが、報告書は木村前社長が掲載に難色を示し編集部門が抗しきれなかったとして「見送りは木村前社長の判 断」と認定。経営幹部の不適当な関与だったと指摘した。

  慰安婦報道の国際的影響については三つの見方を提示。(1)米国での強制連行というイメージ形成に大きな影響を及ぼした証拠は決定的でない(2)吉田氏の度々の紙面登場が国際的評判を広めたわけではない(3)朝日新聞の海外への影響は限定的--などと記した。…以下略

  木村前社長に罪を被せることで、今回のふざけた謝罪の責任を取らせる作戦でしょうか。そんな姑息な手段で騙される国民と甘く見られたようです。もう廃刊しかないと言うことが未だに分からないようです。

  その元凶の一人、植村が今度は韓国の新聞に責任逃れを書いています。流石、会社も記者も卑怯者そのものですね。どう考えても日本人とは思えないですが、それだけ日本人が劣化したと言う証拠かもしれません。

  相当長い記事ですが、証拠として全部載せておきます。それにしても、人間ここまで姑息になれるものでしょうか。見事としか言いようがないですね。河野 洋平とそっくりです。こういう人間にだけはなりたくないものですが、残念ながら自信はありません。私も、戦後育ちの劣化した日本人であることは間違いない ので。

   the hankyoreh japanより  2014.12.22

   [インタビュー]「私が書いた慰安婦記事はねつ造ではない…右翼の脅しには屈しない」

   「いまでも夢を見ているようだ。なぜ私にこのようなことが起きたのか」

   16日、北海道の中心都市、札幌市内の事務所で向かい合って座った植村隆元朝日新聞記者(56)は、頭を抱えて深いため息をついた。黙って彼の姿を見つめることしか、他に慰めの言葉は思いつかなかった。

   慰安婦問題を取り巻くし烈な攻防が繰り広げられている日本の社会で、植村記者は大変独特な位置にある。彼は1991年8月11日、「朝日 新聞」大阪本社版に、自ら日本軍慰安婦であったことを初めて公に明らかにした金学順さん(1924~1997)に関する最初の記事を書いた人物である。彼 は日本の右翼にとって、慰安婦に関する「捏造記事」を書き、日本の名誉と国益に限りなく大きな傷を残した「売国奴」だ。しかし、慰安婦問題を解決すること が、より良い日本と平和な東アジアを作り上げる第一歩になると信じる革新勢力にとっては、崩れてはならない重要な「砦」となっている。「ハンギョレ」は 16~17日の2日間にわたる植村との深層インタビューを通じて、安倍政権の河野談話(1993年)検証が行われた過去1年間、日本の右翼の度を越した バッシングを、なす術もなく受け入れねばならなかった彼の苦痛の時間を振り返った。

   そのなかで確認できたのは、日本社会の歪んだ自画像だった。

  韓国人の妻と結婚し
  義母が太平洋戦争遺族会長
  右翼は虚偽宣伝戦を行った
  義母たちのために記事をねつ造したと…

   - あなたは23年前、金学順さんの証言を初めて報じた。それによってこの1年間、どんな目にあってきたのか。

   「 攻撃の始まりは、1月末発売の「週刊文春」(発行日基準では2月6日号)だった。記事のタイトルは「慰安婦捏造朝日新聞記者がお嬢様大学教授に」だった。 慰安婦捏造記事を書いた植村が、4月から神戸松蔭女子学院大学の教授になるという内容だった。数日後の1月31日、学校の事務局長から会いたいと電話がき た。そして、2月5日、神戸のホテルで副学長、事務局長と面談した。私は記事を捏造していないのだから、きちんと説明すれば学校でも理解してくれると考え た。そこで説明資料を取り出したところ、大学側では「記事の真偽とは関係なく、このままでは学生募集などにも影響が出る。松蔭のイメージが悪化する」と述 べた。私が本当に記事を捏造したなら仕方がないことだが、そうでないからとても残念だった。 しかし、ある意味では大学も被害者だった。訴訟は起こさなかった。そして、3月7日に雇用契約が解消された。最初はこれで終わりだと思っていた」

   植村記者に対する日本の右翼の限度を超えたバッシングが始まったころ、「産経新聞」を筆頭にした日本のマスコミは、韓日間の大きな外交懸案となっている 慰安婦問題を自らに有利な方向へと導くために、慰安婦動員過程の強制性を認めた河野談話に対する攻撃を始める。菅義偉官房長官は2月20日、河野談話検証 チームを設置するとの計画を公式に発表した。検証チームは4月から本格的に活動を開始、6月20日に報告書を出した。安倍政権が河野談話に揺さぶりをかけ ると、右翼は自分たちの怒りを表出する対象を探し始める。安倍政権が河野談話検証に乗り出す過程で決定的役割を果たした山田宏衆議院議員(当時、次世代の 党)は、植村記者を国会証人喚問すべきとの主張まで展開した。彼に対するバッシングはもちろん、彼を非常勤講師に採用していた北海道・札幌市の北星学園大 学まで右翼の攻撃対象となった。

  - あなたがこのようにとんでもないバッシングを受けるようになった原因は何だと思うか。

   「今の状況は自分も時折実感がわかない。金学順さんの初の証言が出たころ、私と同じような記事を書いた人は多かったのに、 なぜ私だけがこのようなバッシングを受けるのか、理解できない。私が金学順さんの証言を最初に書いた経緯はこうだ。<朝日新聞>大阪本社社会部時代の 1990年、当時のデスクが夏の平和企画として、韓国にいる慰安婦の女性を探してみようというアイディアを出した。それでその年の夏、2週間ほど韓国を 回って取材した。 しかし、歩き回っただけで取材は空振りだった。 それから1年後、当時を記憶していたソウル支局長「韓国挺身隊問題対策協議会(以下、挺対協)が慰安婦の女性を見つけたようだけど、取材してみないかね」 と提案してきた。それで1991年8月10日、ソウルの挺隊協事務所で、尹貞玉・共同代表から金学順さんの 証言を録音した録音記録を聞くことができた。 インタビューではなかったので質問できない状況だったが、長い間沈黙していた韓国の慰安婦女性が初めて歴史の前面に出てきたことだったので、十分記事の価 値はあると判断した。 右翼は、慰安婦問題が今のように世界的に大きな問題となったのは、私が金学順さんの証言を報道したからだと主張する。しかし、私が翻訳家の友人に頼んだ が、私の記事を引用報道(転電)した韓国のマスコミは見つけられなかった。 この問題が注目されるようになったのは、金学順さんが8月14日に直接記者会見をしたからだ。

   結局、私が推測できる理由は一つ。私の妻が韓国人で、義母が梁順任・太平洋戦争犠牲者遺族会会長だからだ。しかも、義母が戦後補償訴訟と 関連して詐欺罪で起訴された事件(8月に無罪が確定)があった。右翼はこれらをもって 、植村が義母のために記事を捏造したという 虚偽のプロパガンダを流布させている. 私は 1996~1999年の ソウル特派員時代には、 梁順任の婿が慰安婦問題を書いていると言うバッシングを受けたくなくて、 そうした記事はわざと避けていた」

  娘に対する攻撃が変化の契機
  市民たちが怒り始め
  学者・弁護士・ジャーナリスト444人が支持
  脅かされた講師職 契約1年延長

    - 最初、慰安婦や韓国に関心を持った背景は何か?

   「私は1978年に早稲田大学に入り、1982年に朝日新聞に入社した。学生時代は韓国の政治情勢が急変した時代だった。 1979年に朴正熙大統領が死に、 1980年に光州事態が起きた。 1981年には金大中大統領の死刑確定判決があった(直後に無期に減刑). 学生時代、寮に在日韓国人の先輩がいた。彼は1970年代にソウル 留学したが、在日同胞スパイ団事件の巻き添えになるのが怖くて、日本に帰って来た人だった。彼を通じて朝鮮半島や 在日朝鮮人の差別問題等について学ぶようになった。 1981年に旅行で韓国を訪れたこともあったし、学生時代には金大中死刑求刑反対運動にも参加した。 その後1987年から1988年までの1年間、韓国に語学研修に行く機会があった。韓国が長い独裁政権に終わりを告げ、民主化された時期だった。 1987年の大統領選挙の時、汝矣島広場で開かれた金泳三、金大中、盧泰愚の各大統領の選挙遊説にもすべて参加した。誇張ではなく、本当に100万人が集 まった時代だった。 (1987年10月) ソウル明洞のYMCA 講堂で開かれた 創刊発起人大会にも行き、宋建鎬 先生( 初代社長)ともお会いした。 その後、1989年11月から大阪社会部に勤務し、在日韓国・朝鮮人問題を担当した。1997年12月、ソウル特派員時代に で金大中大統領の当選記事を書いたのも私だ」

  -日本の右翼があなたを「捏造記者」と呼ぶことについてどう思うか。

   「捏造記事は書いていない。私への批判は、金学順さんに関する記事で 「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」を混同して書いたということであり, もう一つは、金学順さんが 慰安婦として連行される前に キーセン学校に通った事実に言及しなかったという点だ。だが、 慰安婦問題が初めて露わになった時、韓国では 慰安婦と挺身隊を同義語として使っていた。 また、キーセン学校は酒の席で踊りを踊ったり楽器を扱う方法を学ぶ場所で、そこに入ったからといって 必ず慰安婦になるわけではない。私を批判する の当時の記事を見ても、 挺身隊と慰安婦を混同したり、金学順さんがキーセン学校に通った事実に触れない記事がある。

   金学順さんが「強制連行」されたとも書いていない。個人的には朝鮮では慰安婦の強制連行はなく、少なくとも今までは、これと関連した資料 は発見されていないと思う。金学順さんも 一貫して言っていることは、 強制連行ではなく「だまされて行った」 「意に反して行った」ということだ。私は記事に 「女子挺身隊の名で連行され、日本軍を相手に売春行為を強いられた」と書いた。ここでの「連行」は、 まともな人たちを狩りをするようにつかまえるという意味の強制連行ではない。嘘であることが暴露された 吉田清治 証言(自分が済州島で女性狩りをするように強制連行したと語った証言)に基づく記事は1本も書いていない」

  - あなたが右翼からとんでもないバッシングを受けていたころ、<朝日新聞>では慰安婦記事に関する検証記事を発表した。

   「8月5日 が 慰安婦記事を検証し、私が書いた記事は 「捏造ではない」と確認した。 私はこれで自分の名誉が回復するものと思っていた。しかし、私に対する記事と吉田証言が嘘であることを認めた記事が共に出私が吉田証言と関連した記事を書 いたというデマも広がった。 そのためバッシングの強度がさらに増した。最も戸惑い孤独を感じたのはその頃だった。最初、変化のきっかけになったのは、娘に対する右翼のバッシングだっ た。 幼い女学生に対する限度を超えたバッシングに人々が憤り始めた。 この間交流してきた元高校教師の 新西たかし(85) さんら支援者が現れ、私を支援する人々を集め始めた。フェイスブックを通じて、「北星学園大学を応援してほしい」と訴えた。これが日本社会の雰囲気を変え るのに大きな役割を果たした。また、9月19日付 に私の状況を告発する記事が初めて報じられた。そして、 9月30日大阪の帝塚山学院大学に 在職していた 出身の 文学部教授(67)が、脅迫電話に屈して辞職した出来事がに報道された。この事件をきっかけに、それまで私の問題を扱わなかった マスコミが北星学園大学でも同じようなことが起きているという事実を報道し始めた。 こうした流れのなかで、 10月6日全国の学者、弁護士、マスコミ関係者ら444人が集まり、「負けるな北星!の会」を作った。そして、12月17日 北星大学が 私との非常勤講師契約を 1年延長すると発表した」

  - 新聞社をやめた後の生活は?

   「の定年は60歳だ。しかし、本人が (年棒ピーク制を) 選択する場合、定年が延長され65歳まで通える。 私は神戸の女子大教授職に合格していたから、 55歳で退職を出していた。 現在、の仕事は北星学園大学の非常勤講師だけだ。 50歳の時、早稲田大学の博士課程に入学した。 大学で学生たちを教えながら叙述活動をするのが夢だった。日本には50歳を過ぎて教授になりたいと思う記者が大勢いるので、教授を公募する際、競争率がと ても高い。それでも何度か面接までこぎつけたが、ほとんど慰安婦関連報道が問題となって途中で脱落した。 そんな時、やっと合格したのが神戸の女子大だった。私は テヘラン、ソウル、北京で特派員生活を送り、本も数冊出した。しかし、博士課程を終えて学位をもらうとしても、今後、大学への就職は難しいかもしれな い。」

  - この1年間の日本の姿を見て何を感じるか。

   「私は日本を愛する愛国者だ。日本がアジアで尊敬される国になることを願っている。 そうなるためには、私たちが周辺国に謝罪することがあるなら謝罪し、直すべき点があるなら直すべきだと考える。 過去の問題をきちんと解決しなければ、アジアの中で日本は尊敬や信頼を勝ち取れない。私が金学順さんの記事を書いたのは32歳の若い時だった. 当時 「太平洋戦争開戦から50年が過ぎ、ようやく歴史の暗部に光が当たろうとしている。この歴史に対して、われわれ日本人は謙虚であらねばならない。これを放 置することは、ハルモニたちを見殺しにすることに他ならないのだ」と書いた。これは若き日の植村が、56歳になった今の植村に投げかけた言葉だと思う。こ れまでは慰安婦問題をあえて避けてきたが、これからはこの問題に目をそらさず直視したい。攻撃されて逃げ場所がないから闘うしかない。いまの日本には歴史 の暗部を見つめようとする人々を攻撃しようとする勢力がいる。しかし、それに屈しないと声を上げる人々もいる。来年も学生たちを教えられるようになったこ とが何よりうれしい。 私は捏造記事など書いていない。これからも不当な攻撃に屈せず闘っていこうと思う」

   札幌/文・写真 キル・ユンヒョン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

  テレビでの放送もあったようです。何時ものcoffeeさんが詳しく書いてくれています。

  正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現より  2014/12/25(木)

  北星学園に抗議!植村隆「捏造ではない。強制連行と書いていない。…私は日本を愛する愛国者だ。」

  http://www.dailymotion.com/video/x2d96ak_news2320141223_fun


ダムにメガソーラー

2014年12月29日 | 太陽光発電

  第 5499回の「フロート式水上太陽光発電所」などで何度も取り上げて来たため池などへの水上メガソーラー設 置に何時までも香川のため池、特に日本一の満 濃池への設置を期待していました。
  それというのも、どうせやるなら日本一の大きさを期待していたものです。ところが、ため池ではないですが、ダムに世 界最大と言われるメガソーラーが設 置されるそうです。ダムと競争しても勝てる見込みは無さそうなので、もう香川のため池への設置はどうでも良いです。それ にしても情けない香川。  

  SankeiBiz(サンケイビズ)よ り  2014.12.22

  京 セラ、千葉県内のダムにメガソーラーを建設へ 水上設置では世界最大

  京セラは22日、千葉県が管理する同県市原市の山 倉ダムに大規模太陽光発電所(メガソーラー)を建設す ると発表した。出力は1万3400キロワットで、水上設置型としては世界最大。2016年3月の稼働を目指す。発電 した電力は全て東京電力に売り、年間4 億5千万円の収入を見込む。

  京セラは、ため池などを利用した水上メガソーラーを15年度中に全国約30 カ所で稼働させる計画で、既に兵庫県で建設を進めている。

  山倉ダムの一部、約18万平方メートルに京セラ製の太陽光パネルを設置す る。投資額は明らかにしていない。年間の発電量は、一般家庭約4700世帯分の電力使用量に相当する1563万5千 キロワット時程度の見通しだ。

  京セラと、東京センチュリーリースが共同出資した京セラTCLソーラー合同 会社(東京)が運営。パネルを乗せる浮具は、水上メガソーラーを手掛けるフランスのシエル・テールが供給する。

  水上メガソーラーはシエル・テールの 独壇場のようですね。日本にこうしたメーカーが生まれなかったのはなにかあるのでしょうか。
  それにしても、ダムと比べてはため池では勝てませんね。ダムだったら日本にも設置可能な候補地はどんどん出てきそう です。もっと増えてくれば面白そうですが、買い取りの制限もあるので、もしかしたら、これが最後になるのかもしれませ ん。
  海外だったら、とてつもないものが出来そうな気がします。というか、海だったら制限無さそうですね。もしかしたら、 太平洋のど真ん中に世界中の電気を賄えるくらいのものが設置される時代が来るかも。
    

これは面白そう!

★企業の道徳的退廃はどこから

2014年12月29日 | 日本的経営の崩壊

  第 592回の 「企業の道徳的退廃」でも書いたように戦後の日本の企業 の退廃振りにはがっかりさせら れますが、その代表的な企業と 言えば、私の大嫌いなソフトバ ンクやロッテ、パチンコなどが 代表的なものじゃないでしょう か。全て韓国がらみというのも 凄いですね。
  日本の企業がここまで堕落 したのには、こうした韓国系企 業のやりたい放題に対抗するた めにやむを得ずというのもあり そうな気がします。と言って、 やはり許されることではないの じゃないでしょうか。

  その代表的なロッテのやり 口を何時もの博士が教えてくれ ています。  


  博士の独り言 IIより  2014/12/22(月)

  歳 末もロッテ不要ということで

  その「お買い得」「破格的安売り」セールの頻度の高さをキーアイテムに、敷島民間防衛調査隊の数名が10数店舗を対 象に「365日データ」を記録してまいりました。何も見ていないようでしっかり観ている。その観察法を当方では「猫ウ オッチ」と呼んでいますが。

  この一年間の結果ですが、ロッテ製品の「お買い得セール」は、平均値で「214日/365日」であることが判りまし た。ということは、12カ月の内約 7カ月が「安売り」状態であり、それ販売実態はまた、 ≒ (ニアリーイコール)製品原価の違いの反映とも指摘し得る。言い換えれば、安売り価格がロッテにとってはむしろ「定価」と謂えることを突き止めました。

  産地情報を開示せず、主原料も間引き

  一方、「ロッテのチョコを食べて」子供さんがお腹を壊した。嘔吐したという親御さんの方々からの拙隊への問い合わせ を端緒に、原産地情報の調査に入り ました。そもそもロッテは、系列のロッテリアを含めて原産地情報を開示していない。直接問い合わせても答えてもらえな い。時に火が付いた爆竹のように先方 が炸裂することもある。それでは話にならない。

  かくなれば実地調査をと。ロッテリアの店舗をはじめ、同社の菓子類をあつかう販売関係者への聴き込みを開始していま す。調査隊の方から明年にかけて発 表することになろうかと思いますが、支那(China)製の廉価素材で「原料」が占められていることはほぼ確定的と謂え るまでになりました。

  ましてチョコレートの場合、ロッテではその主原料とすべきカカオマスを間引き、原価が低い油脂の「加工法」で代替し ている。いわば、偽装的な“工夫”も凝らされている。その実態も判明しています。

  こういう事例も調査隊に届いています。「バレンタインデーにと、大きなハートチョコを作るために、安いからロッテの チョコを大量に買った。溶かして ハートチョコを作って彼にプレゼントしたら、『チョコの味がしなくて、何だか油臭い』と云われてしまった」(要旨)と。 調査隊にとっては感慨に残る事例で した。その「油臭い」もととなっているであろう油脂自体も、「地溝油」が油脂の一割以上流通しているとされる支那からの ものであるためと思われます。

  通名用日・帰化系企業も調査対象に

  上記のロッテのみならず、たとえば、「エバラ」や「モランボン」などの通名・帰化系企業の製品も「安売り」が多い。 「たれ」製品などに使用している 「にんにく」や隠し味としている「りんご」などの果実類。ひいては「コンソメ」「アミノ酸」類もオールチャイナの状態で ある。

  言い換えれば、工場を日本国内においているだけで、その中身には純粋な日本産のものはほぼ皆無と謂える。党本部を日 本に置いているだけの「民主党」らとよく似た構図が浮かび上がって来た次第です。

  調査隊の主だった食品調査担当はわずか4名ですが。日本人の口は、まして大切な子供たちの世代の口は特定の特殊国の ゴミ箱ではない。その信条をもとに 明年にかけて、ロッテは無論のこと。通名用日・帰化系企業の実態を問いかけてまいる計画でいます。無権益の純粋な国思う 調査活動の方へも心有る皆様の応 援、後押しをお願いします。  平成26年12月22日 冬至

  人間が食べるものをここまで誤魔化してまで儲けようと言う考えは日本の企業では考えられなかったことじゃないでしょ うか。
  最近の、韓国・中国の危ない食品をコストの為だけに使う企業が殆どになってきたのも、こうした悪い例を見習って蔓延 してきたような気がします。と言うか、韓国系の企業がどれだけ含まれているのかも気になります。
  ここまで、日本人をコケにして儲けることしか考えない人達にはやはり、自分の国に帰っていただくしかなさそうです。
  その整理ができれば、日本の企業の道徳的退廃もかなり減りそうな気がします。やはり、日本再生には中・韓との国交断 絶は絶対条件でしょう。